史観。
真夜中の勤務待機中に、週刊プロレスの今週号を読んだ。
編集部のリレーコラムで奈良記者が問題作品になってる今成選手vs入江選手戦の事を書かれていた。
入江選手のコメントが書かれていた。
僕は素直に嬉しかったです。
皆、悩んでるんですよ。今成選手のファンは。すべてを受け止められていない。気持ちはわかるんです、凄く。
でも僕は読んで納得した部分もある。
『闘い』なのだから。
次に繋がらない試合だったかもしれないが、そんなのプロレスなんだから当然ある。すべてが思い通りに行っていたら、それは『プロレス』でもなんでもない。
入江選手はフリーなんですよ。所属ではないんです。だから仕事が無くなったらお終いなんですよ。だから覚悟持って毎日試合をされていると思う。
今はハッピーを求めている・求められている時代だ。でも、それだけじゃない。レスラーの行動にどう感じて、どう解釈するかだ。それはこちらの勝手だ。
レスラーは、どう思われたって闘い続けるしかないのである。
すなわち『入江史観』で見た・感じたプロレスはナメられないって事なのでしょう。それがプロレスなのだから。
入江選手は、勝負が決まったら、そそくさと帰ってしまった。それが僕には現在のプロレスへのアンチテーゼだったと思う。
昔、棚橋選手がDDTに対して「横一線だと思われたら困る!」って発言したが批判があり、すぐにパワポで謝罪したのが、心底嫌だった。
謝ったら終わりなんだ。
すべてを語っちゃダメなんだ、プロレスラーは。
仲良し好吉しではダメなのだ。突出したモノが出せなければレスラーではない。
入江選手がやり過ぎだ!って声もある。なら、プロレスは何なんだろう?そこに僕は違和感を感じるのである。
それこそ、ナメられてると思うのだ。プロレスが。
今成選手にも失礼だと思うのだ。
だから、僕は入江選手が良かったと書いた。無言で帰る入江選手に僕はプロレスラーの姿を見た。負けたんだから。
勝敗以上というが、勝敗があるからプロレスなんだ。そこから僕達は思考するのだから。感情を揺さぶられるからこそ。
『今成史観』より『入江史観』
感じた以上に与える感情。
で、勝ったのは今成選手。それで良いんだ。
それが答えなんだ。
今成選手のファンは堂々とすれば良いんだ。
僕の双眼鏡で見た試合は、そういうものだった。
プロレスの大事な一部分だったのだ。
綺麗なものだけを見たいんじゃないんだ。
今成選手戦の次の日、入江選手は大阪で試合だった。闘い続ける。
僕は選手を見てるんじゃない。
プロレス見てるんだ。
プロレスは『闘い』なんだ。