「竜馬がゆく」が執筆されたころの本ですから、司馬遼太郎氏の著作としては比較的初期のものです。
会社の書棚にあったので手にとってみました。
内容は、のべ18時間にもわたるインタビューをベースに、聞き語りという形式で整理したもの。評論家江藤文夫氏による「歴史を見る目」についての問いに対して、司馬遼太郎氏が自らの考えを語っていきます。
まずは、メインテーマである「歴史を見る目」に言及しているくだりから、私の興味を惹いた部分を以下にご紹介します。
こういう日常に入り込んでいく営みを、司馬氏はこう表現しています。
歴史へ接近するという観点では、まずはどういう視座に立つかが一義的に重要になります。そこで登場するのが「史観」です。
この「史観」の陥穽について司馬氏は「南北朝」を例にこう語っています。
この陥穽に陥った一例が、明治から戦前にかけての「楠木正成」の評価です。戦後におけるこの評価の転換が明示しているように「史観」は「思想」の反映でもあります。
この「思想」について、司馬氏は面白いコメントをしています。
日本人には「思想」を見事に渡り歩いてきた歴史があります。他の社会にはない「無思想という思想」が、日本人の「プラス」の特性といえるのではないかという指摘です。
司馬氏の歴史に対峙する構えは、一つの思想・史観に拠って立つ姿勢ではありません。
「手掘り」においては、歴史に触れる自分自身の手先の感覚がとても重要になります。その生の感触が、同じものを触ったとしても、まさに一人ひとりの史実の意味づけの違いとして表出するのでしょう。
さて、最後に、もう一節、引用しておきます。
本書の冒頭、司馬氏が自分の祖父について語った部分です。
明治初年に青年期を過ごした祖父、惣八さんは、頑固に自分の思想を持ち続けた一庶民でした。