東大流よみなおし日本史講義 (山本 博文)
(注:本稿は、2015年に初投稿したものの再録です)
縦横に歴史を俯瞰したビッグピクチャの中で歴史的なイベントを位置づけ理解するというのは、とても興味を惹く営みです。
そういった視点に立った著者の山本博文教授が選んだエピソードの中から、特に私の印象に残ったものをいくつか書き留めておきます。
まずは、戦国時代の「鉄砲伝来」の背景の解説。
倭寇との関わりが指摘されていますが、これは私にとっては、改めて認識が変わったところです。
これはいわゆる「後期倭寇」に関する学説のひとつのようですが、昔、日本史の教科書で習った「鉄砲伝来」のエピソードとはだいぶ様子が違いますね。
もうひとつ、「平安期摂関政治」の実態を説明しているくだり。
私が中学・高校時代に手にとった「日本史」の教科書の記述もそうですが、歴史を語り何がしかの解釈を与える場合、“不偏不党”というのは不可能ですね。歴史を扱う人々が共有する「水準点」のような普遍的な“基点”が存在しないからです。
そもそも、歴史を語ることは、まさに、その語り部一人ひとりの「史観」の開陳でもあるわけで、そこに、例えば、網野善彦氏の著作の面白さがあるのだと思います。
このあたりの歴史上の出来事や人物の評価に如何についてですが、私たちが影響されているインプットとして、「歴史小説」での扱われ方があります。
歴史小説における巨匠といえば、誰しも司馬遼太郎氏を思い浮かべますが、著者は、この司馬氏の代表作「坂の上の雲」における乃木将軍の捉え方を取り上げて、こうコメントしています。
辛辣ですが、大切な指摘です。(注:こういった “司馬史観” の弊害は、坂本龍馬の評価についても明らかになってきていますね)
さて、本書を読み通しての感想ですが、「歴史の大きな流れ」をつかんだ上で時々の出来事の意味づけを理解させるという著者の目標は、残念ながら十分に達成できたとは言い難いですね。
歴史の流れを俯瞰するには、時間軸に加え空間軸を意識した捉え方が必要ですし、また、政治・経済・社会・文化等々多面的な切り口からの解釈が求められるのですが、(注:まさに東京大学の入学試験での記述問題はそういった視点から問われていました)本書の記述スタイルがやはり “時系列” を機軸としているので、従来形の解説とは異なる “大きな視座の転換” といったインパクトは、どうやらかなり小さくなってしまったようです。