弔問に来ていただいた人の何人かから、出棺の時間を尋ねられた。数人だったので、4,5人の方に見送っていただけるのだなと思って嬉しかった。午後2時半、自宅から外にでると、霊柩車の周りには、2,30人の方が見送りの来られていた。それだけで泣いてしまった。
部屋のドアからのお棺を出すことは、私の苦労にもかかわらず無理ですということだった。私は、妻を一度外にだしてというようなことは避けたいと強く言った。寝室からベランダに出て、それからリビングに入れば、何とかなるでしょうということになった。またまた片付けが必要だったが、一安心である。
葬儀屋さんは午後2時に来訪、午後2時半に出棺ということだった。とにかく横になっている状態で出棺してほしかったので、息子に葬儀屋さんに電話をしてもらった。電話では一度彼女をお棺の外に出し、玄関で再び入れるというような話だったが、それは絶対にやめて欲しかった。それで来てもらった。
散歩中、どうしても気になることがあった。それは、妻を安置していたのが、彼女の書斎であり寝室だったところである。よって、妻を出棺するには、立てなければいけないという葬儀屋さんの話である。私はただ臨席しているだけで、息子が話しているのを聞いているだけだったが、それは了解できなかった。
帰宅したのは、朝6時頃、それから廊下の本棚の本を和室に積み上げ、本棚を撤去する作業に取り掛かった。廊下に掃除機をかけていたら息子が起きてきたので、事情を話した。二人で、彼女が安置されている部屋のドアを外した。これで横たわったままで出れるギリギリかなという感じだった。
予定通り2時半に妻を乗せた霊柩車は出た。その後、葬儀屋さんに見送っていただいている方々にご挨拶をと促されたが、「有難うございました」と言うだけが精一杯で、あとは泣いてまったく何も話すことが出来なかった。息子が、四十九日に、二人でご挨拶に廻らせていただきますと話してくれた。
27日の土曜日、出棺の日である。いつものように朝早くに目が覚めた。数時間しか寝ていなかったが、二度寝は出来ないなぁと思って散歩に出かけた。午前4時半前だったので、外はまだ暗かったが、歩いている途中から明るくなり始めた。1時間ほど歩いて帰宅した。シャワーを浴びてさっぱりした。