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続・ベトナム街道 ベトナムの葬式
(時事速報 「広州から見たベトナム」2011年7月29日を再編集しました)
2000年頃だっただろうか。ジェトロ出版で「知ってて良かった世界のマナー」という書籍のベトナム部分を執筆したことがあった。当時の文章を改めて読み直してみるといろいろと面白いことが書いてあった。そういえば、私は日本や中国やベトナムの冠婚葬祭に並々ならぬ興味を持っているが、そもそもこの書籍に寄稿するために調べたベトナムの冠婚葬祭や迷信などが面白くて、その後も各地で「冠婚葬祭のしきたり」に関心を寄せることになったことを改めて思い出した。現在は様子が変わってしまったかもしれないが、以下ベトナムの葬式についてである。
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葬式のしきたり
ベトナムの葬式は仏教と儒教の影響を強く受けている。両親のどちらかが亡くなった場合は長男が喪主となる。喪主はカーテンレースのような白い粗布を纏い、頭にはバナナの茎で編んだ冠をかぶり、足元に竹の杖を持つ。昔、山地に遺体を埋葬する際、悲しみのあまり遺族が岩に頭を打ちつけたり、山道で転倒して怪我をするのを防ぐためだといわれる。通夜、告別式(出棺)の儀式は自宅で行なわれる。一般的に一晩の通夜の後、翌日に出棺される。出棺の直前に喪主が出棺の方角と逆の方向へ向かってしばらく歩くことで、故人との別れを拒む素振りをする。火葬化が進んでいるものの、依然、土葬がほとんどである(本段落は『ベトナムの辞典』、同朋舎、1999年を参照した)。
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葬儀には、泣き屋と言われる人たちが雇われる場合がある。通夜から出棺、土葬までの一連の行事に同行し、「泣くこと」が仕事であるから、いわば葬儀のムードメーカーである。仏教式に49日と100日目に法事を行う。また、儒教式に土葬してから3年ほどで一旦遺骨を掘り起こし、洗骨、改葬の儀式もおこなわれている。一度、ハノイに駐在していた時、事務所スタッフが改葬があるので休暇をとるというので参列させてほしいとお願いしたことがあった。翌日そのスタッフは両親に相談した結果として、「親族で行われる死と密接な儀式なので、血縁もない、しかも外国人が参列することは、参列するその外国人にとってこの上なく不吉なこと」であり、「あなたに不幸が降りかかることは避けたいので遠慮してほしい」ということであった。
さて、葬儀は通夜と出棺までの儀式はなるべく多くの人に見送ってもらいたいから、通行人や全く縁のない人であっても葬儀に参列できる(普通喜んで参列する人は少ないが)。また、1990年代初頭の頃は、出棺は車でなく親族たちが棺を担ぎ、隊列をつくって徒歩で移動することが多い。隊列が行進する際は交通が遮断され、道路は渋滞する。しかし、巻き込まれた人々は、ゆっくりと隊列をやり過ごし、クラクションを鳴らしたり、文句を言う人はいない。平時での交通マナーの悪さを考えれば、葬式渋滞に対する人々の寛容さと慎み深さには感心させられたものだ。
迷信
棺は部屋の真中に置かれ、猫が近づかないように見張りを立てるとされる。猫が棺を飛び越えると、遺体が跳ね起きるからだという。猫は死後の世界と現世を行き来できる超自然的な霊力もつと信じられている。跳ね起きた勢いで棺から落ちたりすると故人が可哀想だし、一度死んだのだから安らかに死なせておくのが遺族の義務なのだという。
遺族は涙を流しても良いが、その涙を遺体に直接落すのは厳禁とされる。涙が故人にかかると、死の世界に誘われてしまい、涙を流した本人も道連れになるからだと言われる。
遺体は足をドアの方に向け安置されなければならない。ただし、日本の北枕とは異なり、生きている人間が足をドアに向けて寝ることは縁起が悪いことではない。人は頭から部屋に入り、足から出て行くものであり、当然、出棺の時には死者にもそうしてあげたいということのようである。
以上がベトナムの葬儀の様子だ。ちなみに中国でも通夜があるが、中国語では通宵という。科学的に人の死を判別できなかった時代、一晩寝かせて親族が付き添い、本当に死んでしまったのかを確認する必要があった。町内を練り歩くような葬儀は都市化した日本では既に少なくなり、その多くが斎場を利用した劇場型の葬儀に形を変えてしまった。日本では、葬儀に「出席」すると表現するのが最も適しているように思える。それでも「参列」するとしているのは、昔の葬式は出棺後、地域住民に故人の死を告知するために、埋葬前に隊列を組んで町内を練り歩いたからである。
猫の話はベトナムらしい。きっと祭壇の供え物を犬や猫に摘み食いされないように子供を見張りを立てたのが由来だろう。洗骨の儀式についても、土葬ばかりして墓を建て続けると、あっという間に土地が無くなってしまう。このため、一度掘り起こして洗骨して骨壷に納め、先祖代々の墓(個人墓もある)に埋め直す必要があった。ベトナムでは水田の真ん中に先祖代々の墓があったりする。そして、最近亡くなった人はまずは別の場所に埋葬されて3年後の改葬を待つことになる。
しかし、最近のベトナムの墓ブームを見ていると、代々墓ではなく個人墓が主流となっている。畳一畳分くらいの立派な石棺に墓標が一体化したものがみられるようになった。そして、国道沿いの車窓を眺めているだけで、その墓の多さに驚かされる。2025年現在、改葬の儀(洗骨)は禁止となり、土地が確保できることなどが条件となり一部農村地域で細々と続けられている。それでも立派な個人墓が乱立している様を見ると、墓の処理にいつか困る日が来るのではないかと他人事ながら心配になるのである。
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葬式を巡るしきたりや迷信の多くが科学的ではないと疎まれる時代になったが、ベトナムの古来の葬儀を考察すると迷信やしきたり多くが、それなりに合理的な事情に由来していることに気づかされる。