そうでなくても代議士であったものもあるだけに様々な名士 との接点もあるため国家の礎を創り上げたともいえるわけ だしだからこそ大隈重信に対して危険視していたものの 早稲田創立に対する裏の立役者のようなところすらあったと いうのかねぇ…
井上毅(こわし)というところにはなるけど殖産興業のほかに 国家の課題を問われる情勢下で何を取り入れるのかで奔走 していたにしろそのさなかで有力な人物を喪いながらも 歴史的経緯を踏まえた上で憲法や教育勅語を制定したため 忘れられた存在だという次第だと云えるよな…