日本人の生き方のバイブル「教育勅語」とは?(前編)ー先生のための『和の国・日本国』講座⑬ー
こんにちは。りたろです。
自らの持ち味を社会に貢献する「『和』の学級経営」を軸に発信しています。
今回は、
「先生のための『和の国・日本国』講座」という主題のもと
「教育勅語」に焦点を当て、
先人たちが積み上げてきた生き方の極意
を学びながら、
『和の国・日本』とは何か?を考えていきたいと思います。
【今日の内容】
日本人の生き方のバイブル「教育勅語」とは?(前編)~先生のための『和の国・日本国』講座⑬〜
1)「教育勅語」は太古から受け継がれる日本人の「生き方」の集大成!
2)「明治維新」を経て、教育が荒廃した?!
3)「明治維新」が目指したものとは?
4)荒廃した教育を立て直し、
日本国を発展させたものはどのようにつくられたのか?
1)「教育勅語」は太古から受け継がれる
日本人の「生き方」の集大成!
「教育勅語」。
正式名称は
「教育二関スル勅語」
と言います。
明治23年10月30日に発布されました。
明治天皇のお言葉を
念のため文書化してまとめたものであり、
明治天皇の個人的著作物です。
明治天皇が国民に対して、
「こういう生き方はいい生き方だから
みんなで一緒に取り組んでいこう。」
とお示しになったものです。
「教育勅語」とは何か?
を一言で表すとすると、
「修身」「道徳教育」の根本規範
と言えます。
「修身」とは、
身を修めること。
人間の欲望を自分で上手にコントロールして
やるべきことやあるべき姿を
正しく判断する力。
そして
「道徳」とは、
場面を見とり、状況を判断し、
「何が正しいか」を判断する力。
この二つの教育の「根本規範」なのです。
つまり、
人間として生きていくために学ぶ教育の
「核」になるものということです。
先ほど、
「教育勅語」は、
明治天皇が国民にお示しになった「生き方」であると
お話ししましたが、
明治天皇が強制的に国民に生き方を強いたものではありません。
そして、
明治天皇が考えた生き方でもありません。
「教育勅語」に示されている生き方とは、
太古の昔から日本人が「正しい」と考えていた生き方の集大成
であり、
それを明治天皇が
「まずは、天皇である私が最初に実践するから
国民の皆さんも、よければ一緒にやりましょう。
そして、天皇のためではなく、自分自身の人生を
よりよいものにするために実践してほしい。」
という内容が「教育勅語」なのです。
では、
明治天皇はなぜ「教育勅語」を発布したのでしょうか。
次は、このことから考えていきたいと思います。
2)「明治維新」を経て、教育が荒廃した?!
「明治時代」というと
明治維新や様々な改革
日清戦争や日露戦争など大国との戦いでの勝利など
華やかな
そして
偉大なイメージを持たれている方も多いのではないしょうか?
しかし、このような光の部分だけではなく
実は、影の部分もあったんです。
それは、「外国かぶれ」の方に大きく傾いてしまったことです。
例えば、
日本酒を飲んでいたものをワインに替えて飲み始めたり
和服だったものが洋服に置き換わったり
だんだんハイカラなものも増えてきて
「日本の伝統や文化は古臭いしどうでもいい」
「そんなことよりヨーロッパだ!アメリカだ!」
というように西洋の方に目を向けすぎて
完全に「欧米化」してしまいました。
「この状況をどう打開していこうか…?」ということが
喫緊の課題となっていたのが
明治20年だったのです。
3)「明治維新」が目指したものとは?
そもそも
「明治維新」が目指したものは何だったのでしょうか?
大きく、2つあります。
⑴ 文明開化
まず、一つ目は「文明開化」です。
遅れた日本国を先進国へと発展させていかなくてはいけない。
そのために
蒸気機関車や大きな船を造ったり
憲法を作ったり、法体系を整えたり
外国からどんどんいいものを取り入れることです。
⑵ 神武建国の精神に立ち返る
そして、もう一つが「神武建国の精神に立ち返る」ことでした。
大政奉還や王政復古の大号令など
天皇中心の国家をつくることです。
この二つが
本来「明治維新」が目指したものでした。
ところが、
「文明開化」はどんどん進んでいったのですが
「神武建国の精神に立ち返る」ことが完全に疎かになってしまいます。
日本の伝統や文化、精神性は古臭いものだと馬鹿にされ
欧州や米国的なものがちやほやされる時代になってくる。
そして、
明治19年。
東京帝国大学やその他学校に
明治天皇がご視察をなさったとき、
衝撃を受けました。
生徒は、
「化学」「物理学」「法律学」「経済学」など
西洋のことは自信を持って次々に話すのに
日本国のことを聞くと全然答えられない。
そのような場面をご覧になり
外国のことはたくさん学んでいるのに
大切な日本国のことは何も学んでいないではないか!
いくら「化学」「物理学」「法律学」「経済学」をなど
西洋の学問を学んでいても、
基礎となる「修身」や「道徳」がなければ
すべては砂上の楼閣だ!!
と危機感を持ちます。
そして
明治天皇は、
この「明治維新」の偉業を成し遂げることができたのは
幕末に日本人としての気質、人間として大切なものを持った日本人が
国家何十年、何百年先のことまで一生懸命考えながら
時には、命を落としながら、
身を粉にして「明治維新」を成し遂げてきたのだ。
ところが、
今の若者たちを見ていると日本の将来が危ぶまれる。
「国家観」もない。「修身・道徳」の観点もない。
ただ妙に、知識だけはある。
こんな若者が大人になって
はたして日本国の政治を行ったときに
日本国はどうなってしまうのか。
日本国は滅びてしまうのではないか。
と大変心配をなさります。
なんだか今の日本国の状態と似ている
と思いませんか?
4)荒廃した教育を立て直し、日本国を発展させたものはどのようにつくられたのか?
そして
危機感を持った明治天皇や日本政府は、
明治23年2月26日 「地方長官会議」
といって、
全都道府県知事が一か所に集めて
一週間、「日本国の教育をどうするか?」を徹底的に議論しました。
それほど、日本の教育が荒廃していて
何とかしないと日本が滅びてしまうという危機感の中で
芳川顕正文部大臣が
「明治天皇の名で修身・道徳教育の指針を出そう」と提案します。
そして、
最初は、女子高等学校学長である中村正直に起草させます。
しかし、「キリスト教」を重視していたため、
当時、法務庁長官である井上毅(いのうえこわし)が批判。
そして
当時内閣総理大臣であった山縣有朋にすぐに長文の電文を送ります。
それを読み、感心した山縣は、
井上毅に書くように命じます。
そこで
明治天皇の漢学の講師であった元田永孚(もとだながさね)に
支えられ、
金子堅太郎から助言をもらいながら、
明治天皇とともに考えながら、
「教育勅語」を作り上げたのです。
日本国が近代化して
弱小国だった日本国が
明治時代を通じて、世界に誇る経済大国に一気に躍進し
近代化を成し遂げていく
その原動力となったものが
「大日本帝国憲法」と「教育勅語」
です。
そして、
この二つの原動力を明治天皇と一緒に作り上げた人物が
井上毅(いのうえこわし)
なのです。
次回は、
日本国の大天才である井上毅が
これほど悩み、多くの人に支えられ
作り上げた
そして
荒廃していた日本国の教育を立て直し
一気に日本国を経済大国にまで発展させた
明治天皇のお言葉であり、
日本人の生き方のバイブル
「教育勅語」の内容を
お話していきたいと思います。
これまで、
「日本はいい国だ!」というと
軍国主義者と言われたり、
危険思想だと思われたりしていました。
しかし、
2011年3月11日
東日本大震災を契機に外国から注目されてから、潮目が変わりました。
じつは、わたしたちが住んでいる『日本国』はすごい国なんです!!
まだまだ、
歴史の闇に埋もれてしまった「真実」が
たくさんあります。
「日本を知ることは、
『自分のルーツ』を知ること」
わたしたちの生まれた国をもっと学びませんか?
そして、子どもたちに伝えませんか?
自分の生まれた国を誇りに感じることは、
きっと自己肯定感とか自己効力感につながるはず。
一緒に、『和の国・日本』を楽しく学びましょう!
最後まで、お読みいただきありがとうございました。