教育勅語の普遍的価値と形骸化の正確な歴史認識を一浴湯と共に赤ん坊を流すな
教育勅語の内容は井上毅と元田永孚の考え方を反映して、儒教思想と近代市民倫理が折衷されたものとなった。唐沢富太郎によれば、新旧両思想、封建倫理と近代倫理との相克に於いて、形式的には封建倫理の勝利の如く見えて、その内容に於いては近代的な社会道徳に相当な重点が置かれ、この当時の思想の混乱を救済するものとして、不偏不党の立場から『古今二通シテ謬ラス』『中外二施シテ悖ラ』ざるものとして渙発された。
また、和辻哲郎は昭和7年に発表した「国民道徳論」において、次のように批判した。
「わが国民に特殊の道徳があって、それがわが皇室の尊厳に根ざしていると考えるのは、明らかに教育勅語の精神を無視するものである。教育勅語によって宣揚せられた道徳は、『古今中外』を通ずるところの普遍的に妥当なものであって、わが国民に特殊なものではない。」
これらの教育勅語の普遍的価値に関する基本認識は、後述する田中耕太郎の見解にも共通するものがあるが、こうした議論が十分に吟味検討されていない。そこで昭和29年の教育勅語の教材使用問題をめぐる議論の経緯をたどりつつ、先行研究に学びながら論点整理を行いたい。
●教育学関連学会等の相次ぐ反対声明
昭和29年3月31日、日本政府は民進党の初鹿明博衆議院議員が提出した質問主意書に対する答弁書を閣議決定した。質問内容には、「衆参の決議を徹底するために、教育勅語本文を学校教育で使用することを禁止すべきだ」とあり、これに対して政府は、「学校において、教育に関する勅語を我が国の教育の唯一の根本とするような指導を行うことは不適切であると考えているが、憲法や教育基本法等に反しないような形で教育に関する勅語を教材として用いることまでは否定されることではない」と回答した。
さらに4月7日、衆議院内閣委員会で民進党の泉健太衆議院議員の「朝礼で教育勅語を朗唱することは問題ありか、問題なしか」との質問に対して、義家弘介文部科学副大臣は、「教育基本法に反しない限りは、問題のない行為であろうと思います」と答弁した。また、「例えば、読むこと、朗読することのみをもってダメというならば、これは教科書の教科指導ができません。教育勅語は教科書に載っております。それに対して、声を出して読むことさえ、教育勅語を読むということだからダメといえば、これは、教育ができないというふうに思っています」と述べた。
●井上哲次郎の釈明と教育勅語の普遍的価値
井上哲次郎は教育勅語が渙発された時代的背景について、次のように述べている。「明治天皇の御製にも、よきをとりあしきをすて外国におとらぬ国になすもよしかな (中略)我が国古来の良識美俗の如きは決して破壊すべきでない。寧ろ之レを存続発展すべきものとして、御示しになった(中略)修身科の授業に就いて考えてみると、何ら一定の方針は無く、或は儒教主義によって修身を説いたり、或は耶蘇教主義の教科書を用いたり、或は西洋道徳を説いて聴かせたり、甚だしきに至っては共和国であるフランスの民法を以て修身科のテキストとしたり、種々区区にして帰一する所が無かった。さういふ状態であつたからして、畏れ多くも 明治天皇は深く此の点を御憂慮あそばされた・・・」
井上哲次郎によれば、教育勅語の草案作成がはかどらず、数カ月を要したという。井上は中村正直、井上毅、加藤弘之、西村茂樹らに意見を求め、芦川顕正文相や江木千之文相らは稿本に付箋を貼って意見を述べたという。特に厳しい反対意見を述べたのが、教育勅語を起草した井上毅であった点に注目する必要がある。
なぜ「私著として上梓」されたのか。『明治天皇紀』には、「この書、修正の如くせば可ならん。しかれどもなお簡にして意を尽くさざらんものあらば、また毅と熟議してさらに修正せよ」という明治天皇の御言葉が記されている。
いうまでもなく「毅」とは教育勅語を起草した井上毅である。井上哲次郎はこの明治天皇の叡慮に従わず、「毅と熟議」どころか、「撥ね付けた」のであった。井上毅は教育勅語が特定の宗教や哲学、政治に偏らないように細心の注意を払って「普遍的中立性」を重んじ、良心の自由をも追求したが、井上哲次郎は「夫婦相和し」などの道徳を「儒教主義」で解釈する見方は「誤り」だとして、日本固有の愛国的な「神ながらの道」を強調した。
明治天皇は起草者である井上毅の意に沿うような修正を井上哲次郎に求めたが、従わなかったために、教科書ではなく「私著として上梓」されたが、井上の『勅語衍義』も結果としては、個人著述の『検定教科書』の一つに位置づけられるにとどまり、実質的には、教育勅語に関する公式の解釈決定版はついに成立し得なかった。
教育勅語の普遍的価値をめぐる議論の口火を切ったのは、昭和29年年2月23日の衆議院予算委員会第一分科会の辻元清美議員の質問に対する答弁において、稲田朋美防衛大臣が「教育勅語の中の、例えば親孝行とか、そういうことは、私は非常にいい面だと思います」と述べ、さらに藤江文部科学省大臣官房審議官も次のように答弁したことが大きな波紋を呼んだ。
<教育勅語を我が国の教育の唯一の根本理念として、戦前のような形で学校教育に取り入れ、指導するということであれば適当でないというふうに考えますが、一方で、教育勅語の内容の中には、先ほど御指摘もありましたけれども、夫婦相和し、あるいは、朋友相信じなど、今日でも通用するような普遍的な内容も含まれているところでございまして、こうした内容に着目して適切な配慮の下に活用していくことは差し支えないものと考えております>
井上哲次郎の解説には多くの反対意見があり、教育勅語と教育基本法の関係については、歴史的経緯を十分にかつ正確に踏まえる必要がある。その際に教育基本法制定当時の両者の関係についての公的解釈、GHQの民政局の口頭命令によってその公的解釈がいかに捻じ曲げられたかについて、史実に基づいて正確に認識する必要がある。私はこの問題について臨時教育審議会の総会で詳細に報告したが、日本教育学会「教育勅語の教材使用問題に関する研究報告書」は、この臨教審の審議に全く言及しておらず、黙殺していることは明らかに客観性、バランスを欠いているといわざるをえない。
●教育勅語と憲法・教育基本法の関係
教育勅語と教育基本法の関係については、教育基本法制定当時の立法者意思に立ち返る必要がある。文部省調査局が第92回帝国議会のために作成した「予想質問答弁書『教育基本法の部』」には、文部省の当時の公的解釈が次のように述べられている。
<教育勅語と教育基本法との関係>
答 (前略)この法案の中に教育勅語のよき精神はひきつがれているし、また不十分な点、表現の不適当な点もあらため表現されていると思う。それであるからこの法案と教育勅語とは矛盾するものではない。
<教育勅語を廃止する意思なきや>
答 教育勅語は過去の歴史上極めて重要な意義を有し、重大役割を果たしてきたものであり、またその中には天地の公道たるべきものが示されているので、これを廃止するというようなことは教育上甚だ面白くないと思うので廃止する意思はない。(後略)
<教育勅語は日本国憲法前文第1項後段によって排除さるべきものではないか>
答 憲法前文最後の「これ」とはいわゆる民主主義政治の原理であり、事柄は政治に関するものであり、教育勅語は道徳、教育に関するものであるから、教育勅語は「これに反する」詔勅に入らない。のみならず、形式的にいっても教育勅語は国務大臣の副署なく、詔勅の形式になっているのではなく単に天皇の御言葉であるから、むしろこの憲法前文とは無関係なものというべきである。
ところが、メリーランド州立大学ホーンベイク図書館プランゲ文庫所蔵のジャスティン・ウィリアムズ文書によれば、民政局の口頭命令によって強制された国会での教育勅義排除決議によって、①詔勅の内容は部分的にはその真理性を認められる、との見解が否定され、さらに、②教育勅語は国務大臣の副署なく、詔勅の形式になっているのではなく単に天皇の御言葉であるから、憲法とは無関係、との見解が否定された。
しかし、憲法第98条の規定する、憲法に反する詔勅との関係を民政局に問い質した民間情報教育局教育課のドノヴァン女史によれば、②についての民政局の公的見解(民政局の法律専門家ブレイクモアによる)は、教育勅語は天皇の個人的な言葉に過ぎないから法令ではなく、その内容と精神は新憲法に反するが、憲法によって自動的に排除されるものだはなく、憲法第98条にいう「詔勅」ではないというものであった。
このように、国会での教育勅語排除失効決議は、教育勅語と憲法との関係についての、文部省と民政局の公的見解を逸脱するものであった。日本国憲法が施行される以前に教育基本法、学校基本法が施行されたことによって、国民学校令以下16の勅令及び法律が廃止され、教育勅語又はその精神を援用した教育に関する従来の法律がその法的効力を失っている以上、憲法施行時において教育勅語自体は憲法上の効力を問われ論じられるものではないとした参議院決議の方が、憲法第98条第1項にいう違憲詔勅として排除すべきであるとした衆議院決議より法理的には正しいといえる。このような教育勅語と教育基本法に関する歴史的経緯を踏まえる必要がある。
●田中耕太郎「教育勅語は人類普遍の道徳律」
井上毅の意図に反して、教育勅語が教育法令の中に取り入れられることによって法的拘束力を持つようになり、御真影と同様の扱いとなり、その内容を実生活において「拳拳服膺」することよりも恭しく儀式で奉読する形式が重んじられるようになり、形骸化してしまったのである。昭和21年3月に来日し、約1カ月滞在して報告書を提出した第一次米国教育使節団も教育勅語の内容自体は全く問題視しなかった事実にも注目する必要がある。
「自然法の法哲学によれば、命令と規範とが区別される」として、井上毅は「軍国主義、極端な国家主義」者の狂的な崇拝と「「戦後における共産主義者や同調者達」の双方を厳しく批判している。井上毅によれば、後者の間違いは、次の点にあるという。
「一部の者は教育勅語の形式即ち命令の方面が民主憲法の根本理念と相容れないことが明らかになった結果、その内容まで全面的に否定する態度をとる。彼等によれば『父母に公二兄弟ニ友ニ』等の道徳規範は今日は最早通用しない封建的道徳だということになる。形式である命令が否定されたことによって内容である規範をも無礙に否定しようというのである。それは『浴湯とともに赤ん坊まで流してしまう』との批判を免れない。」
戦前の一時期に広がった軍国主義、極端な国家主義を払拭しつつ、教育における道徳と秩序を確立することが求められる中で、文部省が教育勅語に関して取るべき態度は「デリケートたらざるを得なかった」と述べ、田中耕太郎はその理由について次のように述懐している。
「何となれば共産主義者やその同調者達は、従来の教育の過誤の重要な部分を教育勅語に帰し、それが民主主義の世の中では一片の反古同様になったかのようにみなすにいたったからである。従ってもし文部省において教育勅語が教育上もはや無効になったとでも宣明するならば、教育勅語の内容をなすところの、『父母に公二』以下の全ての徳目も民主主義の下においては否定されたものと早合点する者も出てこないとは限らなかったのである。」この井上の杞憂は今日現実のものとなった。井上によれば、教育勅語は人類普遍の道徳律即ち自然法的原理を列挙したものであった。
●おわりに
「教育勅語体制から教育基本法体制へ」というように戦前と戦後を単純な対立図式で捉えるのではなく、戦前と戦後の連続性と非連続性の両側面を実証的研究を積み重ねることによって、曇りのない眼で客観的に包括的に捉え直し、イデオロギー対立の所産として導き出されてきた固定的な評価を客観的に再検討するという、歴史研究としてはごく当たり前の次元に還る必要がある。
戦前と戦後を単純な二項対立図式で捉える固定観念が修身科と教育勅語をタブー視し、「修身科」復活論争、「特設」道徳論争、「期待される人間像」論争、「心のノート」論争など、文部省対日教組のイデオロギー対立の争点となってきた道徳教育をめぐる不毛な論争を招来し、修身教育の功罪が学問的に検証されず、道徳教育の理論研究を阻んできたのである。
臨教審の教育基本法論議によって、この戦前と戦後を対立的に捉える不毛なイデオロギー対立からの脱却が試みられ、道徳教育の見直しが行われたが、思考停止に陥った日本の教育学会や教育学者たちは臨教審の問題提起を真正面から受けとめようとはせず、道徳は「領域」にすぎず「教科」ではなかったために、道徳教育に関する理論研究、実践(指導法)研究、教員養成、教員研修は機能不全、構造的な「負のスパイラル」に陥ってしまった。これが戦後の道徳教育が形骸化した歴史的要因であり、戦前と戦後の断絶こそ、戦後教育学の創り出してきた最大の虚構といえる