今回のナミアゲハの終齢幼虫。じつは三兄弟なのだ(いや雌雄はわからないが)。今年最後の幼虫で、見つけた時は六匹だった。羽化する確率は1%以下なので、ここまででも大健闘。けれど今回は「越冬」という難関が待ち受けている。手を貸してやりたいところだが、それは禁物。春は自然のものなのだ。
しかし、このナミアゲハの幼虫。見れば見るほど不思議な模様である。まるで現代美術家のアートのようだ。禍々しさは感じられず、逆にアニメチックで愛らしい。黒の縁取りは立体感を出すためか? ともかく目立つし、これではカモフラージュにならないだろう。「なんでなの?」とよく話しかけている。
ナミアゲハの幼虫がすべていなくなった。餌になった植物も、これで今年のお役目は終わり。しかしこれ、山椒だと思うのだがよくわからない。なにせ新芽がバリバリ食べられ、花も実も生ったことがないのだ。そこで挿し木で増やしてみることにした。ともあれここまでの御礼を。ありがとうございました。
庭の例の植物に、また何匹もナミアゲハの幼虫が出現した。気象庁によると「統計開始以降で最も暑かった10月」らしいが、そのせいもあるのだろう。けれどここにきての気温低下。餌となる植物も成長せず、幼虫も寒さのために動けない様子。なんとも心配だが、見守ることしかできない。頑張れ、青い子。
「時代のせい」をさらに考える。正直言うと、好きな言葉ではない。元々、なにかのせいにするのが嫌いなのだ。もちろん、どうあっても抗えぬ力は存在する。けれどそれらを含めて、いや前提として、その時代に生まれてきたのではないだろうか。つまり、あえて。まわりは皆、そんな「同時代」人である。
同時代人、とりわけ同世代人は大切にすべき。同じ時代の空気を吸い、折々の時代の雨風を浴び、この歳まで生きてきたのだから。ある意味戦友である。だからであろう、同じ出生年の人間に出会うとなんとも嬉しくなる。ナミアゲハの二人よ。無事に蛹化し冬を越し、春に羽化して昔話に花を咲かせてほしい。
植物からすれば、葉を食む虫は厄介であろう。植物を愛でる人にも、青虫など害虫でしかないはず。でも人には見えないなにかで、蝶は恩返しを、植物もなにかの恩恵を受けている気がする。いや、そうであってほしい。ちなみに私は草むしりをしていて幼虫を見つけ、その植物だけ抜かずにおいた。
「生まれた時期が悪かった」は、人間でいうと「生まれた時代が悪かった」になるのだろうか。生まれた時代のせいで低賃金にあえいだり、千年に一度の自然災害に遭ったり、謎の病原菌のために店を畳んだり。けれど生まれた方は、その時代がすべて。諦めずそこで懸命に生きていれば理解者はきっといる。
枝を這い葉に安らげば土色のデニムと皮膚の隙間を思う
昨日、うちの越冬蛹が羽化した!ちっさいけれどかしこい!一緒に冬を過ごしてくれてありがとう!
見つけてしまった、ナミアゲハの幼虫。 あ、とは思ったけど今日じっくり見て、やっぱりそうだと思う。 羽化るまでソワソワする日々がまた始まるのかな。