幼少期に体験した 父親の極端過ぎた制限は 当時とその後長い間 苦しく辛いだけの制限でした でもそれが 長期視点では 私の願いを叶えるための制限でもあった とも捉えられた まだ よくわかってはいない気がします でも 初めてそう思った 思った自分に驚いた 1つの捉え方として記録
わかった気になってそれで終わってしまうのはいけませんが、取りあえずわかった気にならないと何も始まりません。言い直すと、わかった気になることが始まりで、そこから何回もわかり直すのが理解を深めるということだとわたしは思っています。
人間にとって、どうあがいても解り得ない不可視・観測不可・定量化不可な領域があり、 同じものを見ているようで、同じものを視ていない聞いていない感じていない、この解り合えないという残酷にみえる孤独な事実に立ち向かうには、 「皆、同じ無知で、同じアホで、愚かな仲間」であることが救いか。