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わかった気になることが一番のリスク? -day4/100日投稿シリーズ②-

昨日も地元の賀詞交換会、コーチ先の中学バスケ部の練習試合、お友達ドクターに誘われての業界ネットワークの新年会と、良いご縁に恵まれてたくさんの方々とお話しする機会がありました。シアワセ^_^人のご縁に感謝ですねえ。

タイトル画像は、わからないことだらけだった米国貧乏留学時代のLA郊外、Redondo Beachの夕暮れ^_^

本日は、自己紹介のときに昔からよく感じていること雑感。

自分の働き方が、まだ一般的ではないからか、丁寧に説明してもイマイチ、何やってメシくってる人間なのかご理解いただけないことが結構あります。

こちらは困らないのでそのまま流しちゃうんですが、それは相手にビジネス領域の知識や理解したいという意欲がないから、というだけではなく、わからないことをわからない、と伝える力があるからでもあるなあと思ったりしてます。

それは大切なチカラ。

というのも、たまにこちらがまだ一部分しか説明できてないのに、自分の理解や知識に引き寄せて、こういうことね、ああいうことね、とご自分のイメージにはめこんで、説明のすごく早い段階で合点される人がいるのです。

で、面白いのは、中には話していてその情報が全体のごく一部であることを説明したくなくなるタイプの人がごく稀にいて^_^

そういう人には僕は多分、ある一部分のみで理解されるんですよね。ある意味で誤解されている。うん、それでいいや、と感じるときや場の流れで、そのままになるわけですが。

まあ、相手もこちらへの興味や情報ニーズがその程度、ということで、ネットワーキングの場ではよくあることです。

で、ものすごく(2年とか^_^)時間が経ってから、別の人からあの人が君の得意な領域で困ってるから相談に乗ってあげたら?なんて連絡が来たりするわけです。あのとき自分からネタを引き出せていればあの人はあの場で解決したし、前回会った時からの、あいだの時間の苦しみは減らせていたかもしれないのに、、、なんていう体験がちらほらあります。

逆の立場で捉えると、怖いことだなあと感じるのです。(わかってないのに)わかった気になることが、なんだかよくないことのような気がするわけです。自分の理解レベルで相手のチカラを決めつけることの怖さ。

もちろん、誰かのことを理解する、というのは初対面では難しいことで、究極、人と人はわかり得ないのかもしれないし。

一緒に働いたり、一緒に何かの活動をしたり、対話する量と質を高めないと、お互いの求めていることが相手の中にある、ということがわからない場合もあるでしょうし。

自分としても経験が積み上がってきて、企業さんや経営層の方々との対話も、ある程度の自信をもって、ある程度の予測がつくようになってきたタイミングだからこそ、ますます自戒したいところです。

わかってきたからこそ、わかった気にならない。

少なくとも今年のmottoは、

わかった気になることに慎重になる
わかった気になることは、求めていることを目の前で失うことに似ているから

を加えたいと思います。


・・・にしても、同時に、欲張りだなあ。とも感じてる自分がいて。この自分の所作や捉え方に。

その程度のご縁、流れに任せていけばいいじゃん、と思ってる自分もいるわけです。。。

まずは自分のあり方として、ほんとはわかってないことを、わかった気になることはなんだか傲慢な気がして、間違いの元のような気がしているようです。書いててそれに気づきました^_^

まあ、必要なことは出会うべきときにやってくる、とも感じているので、わかってないくせにわかった気になって目の前を通り過ぎていった知恵や情報も、いずれ必要であればまた巡り合うとも信じていたりするのですけどね。そういう意味で恐れからは行動したくない自分がいるのですねえ。

いずれにせよ。

日々の出会いの場面で、こういうことを感じながら、自覚しながら進みたいと思います^_^

その意味は後でわかるのかもしれませんから。

そして探求はつづく。

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このお花、よく九州の実家や横浜の近所でみるのですが、なんて花だろう。外来種ぽいですよね。出自はなんであれ、かわいいので好きです^_^ 

あんた、花してはりまんの?

わて、べっぷしてまんね。

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