お釈迦様は「人生苦なり」と喝破された。しかしこれを安直に生きる意味がない、と捉えることは早計な気がする。「人生苦なり」と分かった人はそこにおのずと感謝が生まれてくる。つまり人生苦なりという言葉はその裏に感謝がセットである。そうすることで深い人間の底と明るい人間の繋がりを示してる。
今現在周りにいる人たちに高圧的な態度を取れば、その人の人生や事業は必ず頓挫するだろう。ではその高圧を解消するのは何かというと、一つの不幸であると思われる。不幸を通り抜けた人間は洒脱、一つのとらわれのない境地へと出る。故に毒親の毒と老害の害の本質は、不幸を経験しても高圧的であること
実家近くの駅で母に渡すものがあり喫茶店でお茶をしていたら、姉がLINEで 謎の生き物の巣みたいなのを家の中で発見😱と言って来た え、ナニナニと母に話しを聞くと、去年私があげた綿の種から綿が取れ、箱に入れておいたら毎日減る。二箱のうち、一箱空になってひっくり返ってるって。ネズミ⁉️
無意識に人を助けているとき、それが最も人間の本質がいい形で現れているとき。
AIは苦しむことができない。
「戦に勝ったから宴をする」のか 「宴があるから戦える」のか 学者の多くは前者を、 アダムスミスは後者を持つだろう。 格が違うのだ。 アセンション、悟りとは 至極の順序不同体験なのだろう 「あった・なかった」では暗い 「おそらく・不要不急」で充分だ 順不同 和して同ぜず
森田一義が筋肉痛になったら言いそうなこと 「これ貼っといてぇ~」 # おそらく「これ」はサロンパス
海には鯨がいた。独りだった。 陸には象がいた。独りだった。 ふたりの交わす歌声は、 人びとには聴こえなかった。 春を謳う鯨。