ユクミチテラス

宣教師として、デザイナーとして、クリスチャンとして思うこと。

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最近の記事

どこまで子どもを親に付き合わせる?

 “宗教2世“  旧統一教会モンダイで浮き彫りなってきた、宗教の問題。  というわが家もクリスチャンホームなので、私も宗教2世だし、私の子どもたちは宗教3世ってことになる。  でも、「宗教2世」ということばが持っているイメージは、あんまり良くない。  私自身はクリスチャン2世だけど、”宗教2世” だとは思っていない。  無論、自分の子ども自身が、自分を ”宗教2世” だと思ってもほしくないし、  まわりにうちの子が “宗教2世” と思われることも嫌だ。   〜これはわ

    • ひっくり返される前に

       控えめで慎ましい、なのに美しい、そんな京の文化を学びたくて、京の都へやって来ました。 ⁡  …しかしやっぱり京都にも、“それっぽい”ものが溢れていて、しかも高価。 ⁡  そんなニッポンの都で思い出す、エルサレムの都。 ⁡ ⁡  ユダヤ人にとって、傷のない最上の家畜と穀物を神にささげるという信仰は、 ユダヤ人にとってはあたりまえの文化だった。 ⁡  ところが、いつしかその文化が商業化されていった、エルサレムの都。  「ささげもの、売ってますよ!」  というビジネスが誕

      • 収穫の働き手とは、守り手。

         私の住む畑野町から山一つ下った麓にある、本梅の田んぼ。  おばあちゃんが一人で管理をしている姿をよく見かけました。  9月も終わりに近づいているけど、まだ収穫されずに、日に日に稲が倒れていく。  稲はこんなにも色づいているのに、もしこのまま収穫されずにいたら…。  鹿や猪、鳥たちに食べられて終わってしまう。土の中に残されたガスが影響して、翌年の生育不良を招くことも、なくもない。  なぜ収穫せずにいるのか。  もしも、働き手がいなくて収穫できずにいるとしたなら…。  

        • どっちが良いとかどっちが優れてるとか、やめることにする。

           「良いもの」って何だ。  白米より玄米。精製紛より全粒粉。発酵食品。無添加食品。量産型よりオーダーメイド。  「優れたもの」って何だ。  マルタよりマリヤ。逃避より忍耐。女より男。  摂食障害、低血糖症、自律神経失調症、PMS、そして鬱。…なんていう心の病気と向き合い始めてから、  必死に「聖書に記された」「より良い衣食住」を探してきた。 ⁡  神学を学ぶたびに、「聖書に記された」「より優れたもの・従うべきもの」を教えられてきた。  ことばって恐ろしい。これより

        マガジン

        • うつ病夫婦の、子育て奮闘記。
          5本

        記事

          うつ病夫婦の、子育て奮闘記。⑤〜まさかの、仲間〜の巻

           「鬱」ってもっと長い時間苦しむものだとは思うけど、症状に早めに気づけたことと、早めに休んだこと、そしてみことばから得たエネルギーが相まって、ピークも早めに脱することができた。  そしてその日、ふと長男にひとつの家事を任せたことをきかっけに、わが家の空気が一変した。 「このまま全部の家事・育児・仕事の時間を、長男に体験させてやろう」  …なんて、苛めにも聞こえるかもしれないけど、その日から、仲宗根家に、「ハルママ」が誕生した。  一番手のかかる長男に、すべての家事と育

          うつ病夫婦の、子育て奮闘記。⑤〜まさかの、仲間〜の巻

          うつ病夫婦の、子育て奮闘記。④〜みことばエネルギー〜の巻

           私たちがうつになってしまった原因は、「休みなく働いたこと」…ではないと思う。 どんなに仕事をしても相応の報酬がなく、生活もままならなくなっていたからだ。…と思う。  こうなっているのは、「それでも聖書を信じて神に従うか」を試されているのだろうという「訓練」の時だということは、もうずっと示されていたのだけど、  どんどんお金がなくなって、心身も打たると、いくらヨブ記を読んでいても、無意識に、神様の気を引こうとひたすら頑張りまくっていたのだと思う。  このとき私は、神様に

          うつ病夫婦の、子育て奮闘記。④〜みことばエネルギー〜の巻

          うつ病夫婦の、子育て奮闘記。③〜妻、ついに鬱?〜の巻

           夫の看病と、子育て、家事、仕事に追われ、「死にたい」ってずっと神様に言いまくっていた私。  そんな時に再びかかってきた、学校から一本の電話がかかってきた。 「スクールカウンセラーと話してみませんか?」  正直人と会うことどころか、家から出ることも辛い状況ではあったけど、学校からの好意を断るのも申し訳なくて、とりあえず学校へ行ってみることにした。  夫がうつを再発したこと、とりあえず今は子どもたちと遠出して夏休みは過ごしてること、それで私も何とか自分を保っていること、

          うつ病夫婦の、子育て奮闘記。③〜妻、ついに鬱?〜の巻

          うつ病夫婦の、子育て奮闘記。② 〜現実逃避〜の巻

           うつ症状がでていたにも関わらず、育児も家事も仕事もムキになり続けていた結果、子どもを蹴っ飛ばしてしまった私。  学校から「お子さんのことで」と電話があり、「あー、もう子どもたち児相に連れてかれるかも」と、生きる気力を完全に無くしてしまった私。  ところが、保健室の先生が全部の事情を聞いて、保健師と子どもリサーチセンターを紹介してくれた。  感謝な反面、いろんな機関に私たち家族のことが知られてしまって、市役所の人はアポ無しで家に訪ねてくるし、まるでレッドリストに入れられ

          うつ病夫婦の、子育て奮闘記。② 〜現実逃避〜の巻

          うつ病夫婦の、子育て奮闘記。① 〜鬱の前兆〜の巻

           9年前、双極性障害となった夫。今でも毎日のお薬と、2ヶ月に一度の診察。  と言っても、9年間ずっと苦しんでるわけじゃなく、「なんかおかしいな」とはじまり、起き上がれなくなり、休息をとって投薬、数ヶ月親族等のサポートを受けながら、回復。  でもまた何かが引き金になって、再び診断を受ける。  そんなこんなを繰り返し、この夏、3度目のうつを発症した夫。  __そしてまさかのこの夏。妻も同時に、うつになりました。  …ま、と言っても、たった1ヶ月の話なんですが。  わが

          うつ病夫婦の、子育て奮闘記。① 〜鬱の前兆〜の巻

          聖書と衣食住 2nd season in 畑野町〜ライフデザイン編〜

           健康と衣食住のデザインと聖書研究をはじめてちょうど10年。  この10年で、健康的・環境的なライフスタイルが、かなり流行してきてる。  なのに、一定の知識で止まったまま自分がデザイナーとして成長していないことも感じてて、「心と体の健康」を、もっと奥深いところで研究したいと願いながら、畑野町に導かれました。  畑野に来て、科学的・哲学的な自然農というものに触れ、農家さんからいろんな話を聞く日々。「人間にとって良いとされるもの」を、さらに聖書視点で落とし込み、知識がどんどん

          聖書と衣食住 2nd season in 畑野町〜ライフデザイン編〜

          仲宗根家の畑野でミニストリー。〜まちづくり編〜

           畑野へ引っ越してきて、9ヶ月が経とうとしています。  仲宗根家のビレッジデザインは、なんとなく、新しい時期に来ている気がしている。  ここのとこ、「まちづくり」と「衣食住」という視点から、新たな進路が示されつつあるので、記録しておこうと思います。  まずは、まちづくり編。( ▶︎ 衣食住デザイン編はこちら) ①隠れ場と、繁栄づくり クリスチャンが奉仕ストレスや信仰のプレッシャー、罪意識、罪悪感から、一時的に避難できる場所をつくるという召を受け《民数記35章、1列王記1

          仲宗根家の畑野でミニストリー。〜まちづくり編〜

          大好きな貴方へ捧ぐ、愛。

          「愛するから恐くなるんだ」って言うブッダと、「恐れが生じるのは愛が全き者となっていないからだ」と言うヨハネの差が印象的すぎて、  「全き愛」が今、私の最大のテーマ。 ⁡  私はすぐ人間不信に陥る。たとえ大好きな人でも、信じるのが恐くなるし、距離感が掴めなくなる。 ⁡  神様に対してもそう。状況や心身が悪くなると、すぐ神様を疑ってしまうし、つぶやいてしまう。 ⁡  傷つくのも傷つけるのも恐いから、結局何もできなくなる。  __ブッダが言うように、愛さなければどんなに楽

          大好きな貴方へ捧ぐ、愛。

          あなたの必要を、満たせ。

           “だから金銭を追い求めず、欲にまみれぬよう、天に目を向けなさい” ⁡   と、どれほど言われて育ってきただろう。   そう言われ続けて育ったクリスチャンって、どうなると思う? ⁡  “欲しい服も我慢して、食べるものがあるだけ感謝。  そんな暮らしをしなきゃ。だって、それがクリスチャンでしょ、献身者でしょ?” ⁡  “高い服、高いごはん。求めてしまう私は罪人なの?” ⁡  そして、自分よりもいい暮らしをしているクリスチャンを見て、さばいたり、妬んだりしてしまう。 ⁡  _

          あなたの必要を、満たせ。

          脱・社交辞令

          「今度会おうね〜」とか 「今度交わりしましょう〜」とか 「今度おじゃまさせていただきます」とか 「今度お話聞かせてください」とか…  それは本心ではなく、「社交辞令」ということを知ってからは、「今度」と言われるたびに、  「どうせ会う気なんてないくせに」と、「今度」を信じなくなってしまった私。  (なんて言いながら、子どもには「後でね〜」とか言ってやらない私。ゴメンよ子どもたち。)  …日本の世は、そんな社交辞令で、関係が出来上がっている。教会だってそうだ。  でもそん

          嫉妬まみれドッカーン。

           最近あまりにも弱音と愚痴をこぼしすぎていました。  相当自分がひねくれてきていることには気づいていましたが、さっきお風呂に入りながら、神様から示されたこと、  __ 私の中の、「党派心」と「嫉妬心」  教会を出ることになり、仕事もなくなり、貯金もなくなり、家も失い。  それを私たちは、後悔してはおらず、むしろ、信仰をフル回転させて選んできた道だから、どちらかというと誇りに思っているぐらい。(自分で言うのも何だけど。)  でも、どこかでやっぱり、「何でよ!」と思う自分が

          嫉妬まみれドッカーン。

          神様と、喧嘩中。

           1月27日。私たち仲宗根家にとってのXデー。そうです、生活費等々の、支払い期限です。  私は神学校に入学してから、すべてのことをひたすらみことばによって決断してきた。それは、神学校への反抗心の表れでもありました。(おい。笑)  私の在籍していた学校は、「聖書信仰」に立つ神学校。  しかしその聖書信仰は、私にとっては「律法主義」にしか思えなかった。  私の読んできた聖書は、人を裁くものじゃなく、人を愛するものだと思っていたがゆえに、その「律法主義的聖書信仰」の学校で学ぶ

          神様と、喧嘩中。