仲宗根家の畑野でミニストリー。〜まちづくり編〜
畑野へ引っ越してきて、9ヶ月が経とうとしています。
仲宗根家のビレッジデザインは、なんとなく、新しい時期に来ている気がしている。
ここのとこ、「まちづくり」と「衣食住」という視点から、新たな進路が示されつつあるので、記録しておこうと思います。
まずは、まちづくり編。( ▶︎ 衣食住デザイン編はこちら)
①隠れ場と、繁栄づくり
クリスチャンが奉仕ストレスや信仰のプレッシャー、罪意識、罪悪感から、一時的に避難できる場所をつくるという召を受け《民数記35章、1列王記17章》、私たちはカクマイをオープンしました。
その拠点として導かれたのは、京都府亀岡市。…の奥地、畑野町。
「山を見上げて主の助けを覚える」ことを、カクマイとしては条件にしていたので、ここは絶好の隠れ場でした。
さらに、沖縄を出るとき、「移り住む町の繁栄を求めること」を示されていたので《エレミヤ29:7》、亀岡/畑野へ転入手続きを行いながら、町をぐるっと見てまわり、
一体何がこの街の繁栄であり、隠れ場なのかを考えていました。
そして8ヶ月前に出した答えは、「福祉と暮らしやすさの整備」
あまりにも不便なこの町。子育てが充実する環境・医療がすぐ届く環境・楽しい遊び場があれば、心も体も落ち着いて暮らせる町になるのでは?と思ったのです。
そして移住後すぐに、自治会と関わるようになり、移住促進の一端を担うこととなりました。
繁栄を求めて、他の移住者とチームを結成し、個人・チーム両面から、移住者を呼び込むことで、この町の経済を取り戻し、福祉を整え、暮らしやすい町ができる方法を考えていきました。
②町の人の暮らしやすさづくり
移住チーム結成後は、繁栄を求めて活動。そしてチームの認知度が上がり、町の人からいろんな声をいただくようになりました。
「あれがあったらいいのに」
「あれがなくて不便」
そもそも町の人が暮らしやすいことがまず、この町の繁栄のはじまりでは?と考えた私たちは、移住者を呼び込む傍ら、町の人の願いを叶えていくことを大切にしてみました。
ただ、与えればいいわけではないし、持続するための方法まで考えるのがビレッジデザイン。
”どうすれば”この人の願いは叶うだろうかと、いろんな方法を模索しました。
…で、いつの間にか自分の領域を超えていたようで、体が追いつかなくなっちゃったんだけどね。
③喧騒から逃れる静寂と安穏づくり
そして8ヶ月、移住チームのメンバーとこの町の魅力について話し合い、自治会や町の人たちの願いを聞き、由緒あるお寺の住職や、新たな移住者と話をする中で見えてきたのは、8ヶ月前とはまた違った視点のまちづくりでした。
畑野町には、法常寺というお寺があります。ここは、江戸時代におこった紫衣事件を機に、京都の喧騒から逃れてきたひとりの僧侶が建てたお寺だそうです。
さらに、令和の移住者から声を聞いてみると「都会の喧騒から離れたい」と、この畑野を選んでいる人が結構多いことを知りました。
昭和のバブル期に、この畑野には新興住宅が多く建設されました。きっとその時に求められたものこそ、私たちが作り出そうとしていた「福祉とインフラ(暮らしやすさ)」だったと思います。
ところがバブルが崩壊し、この町を興すという計画は、建設途中で途絶えてしまったのです。
だから、この町の人たちは、その夢を今も抱えている…のかはわかりませんが、「繁栄(暮らしやすさ)」を求めているのかもしれないと思いました。
ところが、この町の、この土地の魅力は、江戸時代と令和を見れば、「静寂」です。この地の持つ性質と、人々が作り出そうとしたものは、真逆の位置にありました。
このギャップに気づいて、自分の体も崩してしまった仲宗根家は今、「静寂と安穏」にスポットを当てたいと思っています。
繁栄も、静寂も、どちらも、「שָׁלוּם(シャローム/エレミヤ29:7)」というヘブル語の側面です。
とにかく、私たちの思うようにではなく、この町の人たちの願いを叶えられるように、
神様がこの町と、この町に住む人たちにもたらそうとしているשָׁלוּםを探しながら、私にとってのשָׁלוּםも、見つける時間になったらいいなぁ〜と思います!