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どっちが良いとかどっちが優れてるとか、やめることにする。

 「良いもの」って何だ。

 白米より玄米。精製紛より全粒粉。発酵食品。無添加食品。量産型よりオーダーメイド。

 「優れたもの」って何だ。

 マルタよりマリヤ。逃避より忍耐。女より男。

 摂食障害、低血糖症、自律神経失調症、PMS、そして鬱。…なんていう心の病気と向き合い始めてから、
 必死に「聖書に記された」「より良い衣食住」を探してきた。


 神学を学ぶたびに、「聖書に記された」「より優れたもの・従うべきもの」を教えられてきた。



 ことばって恐ろしい。これよりあれ、と言われると、
 白米が、精製粉が、有添加のものが、量産型が「良くないもの」に思えてくる。


 マルタが、逃避が、女が、「弱い」って言われてる気がしてくる。


 でも実際は、甲乙なんてつけられない。

 市場で売っている肉はどれでも、良心の問題を問うことをせずに食べなさい。
 地とそこに満ちているものは、主のものだからです。
  1コリント人への手紙 10:25-26

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会


 確かに私にとって症状を引き起こす「良くない衣食住」があり、ホルモンバランスを保ってくれる「良い衣食住」がある。


 でもそれって私の病気だからそうなだけで、特に病気じゃない人にも等しく必要・不必要ってわけじゃない。


 人が違えば、摂るべきもの・摂るべきでないものって変わってくる。

 ある人には良いものが、他の人にとっては死に至るものだったりする。
 ナッツとかも、そうだよね。


 マルタよりマリヤ?
 いやいや、マルタもマリヤと等しく主に愛された人。

 逃避より忍耐?
 いやいや、ダビデもエリヤもイエスも、逃げてるぜ。

 女より男?
 いやいや、女は助け手よ。女がいないと完成しないぜ。


 どっちが善か、どっちが優か。
 いやいや、その善の反対側にあるものも、劣と言われるものも、実のところは善であり、優だ。


 私は主イエスにあって知り、また確信しています。それ自体で汚れているものは何一つありません。
 ただ、何かが汚れていると考える人には、それは汚れたものなのです。

 もし、食べ物のことで、あなたの兄弟が心を痛めているなら、あなたはもはや愛によって歩んではいません。
 キリストが代わりに死んでくださった、そのような人を、あなたの食べ物のことで滅ぼさないでください。

 食べ物のために神のみわざを台無しにしてはいけません。すべての食べ物はきよいのです。
 しかし、それを食べて人につまずきを与えるような者にとっては、悪いものなのです。

  ローマ人への手紙14:14-20

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会


 それなのに、私は、善い食・善い衣装・善い生活とは何かをひたすら探しては、
 「⁡聖書的な」「善いもの」に縛られ、そして人を縛ってきた。

 きっと“みんなに”善いものだと思って。



 それが、貧しさを通らされてる今、「良くない」と遠ざけてたものに散々助けられ、「良かったもの」はお金が無いと助けてはくれなくて、

 何が良いものなのか分からなくなってきた。


 そして、甲乙つけるべきではないことを教えられる。


 衣食住においても、思想においても、善悪二元論に陥る自分を、壊したい。

 目の前の人にとっての「いのちのパン」を差し出せるようになりたい。


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