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神様と、喧嘩中。
1月27日。私たち仲宗根家にとってのXデー。そうです、生活費等々の、支払い期限です。
私は神学校に入学してから、すべてのことをひたすらみことばによって決断してきた。それは、神学校への反抗心の表れでもありました。(おい。笑)
私の在籍していた学校は、「聖書信仰」に立つ神学校。
しかしその聖書信仰は、私にとっては「律法主義」にしか思えなかった。
私の読んできた聖書は、人を裁くものじゃなく、人を愛するものだと思っていたがゆえに、その「律法主義的聖書信仰」の学校で学ぶのは、とても苦しい4年間だった。
それでもその学校へ行くと決めたのは、「あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見出そう。(伝道者11:1)」そのみことばを信じたからだった。
私にとって苦しい選択を選ぶこと。その意味は、後の日に分かる。
そう考えて、私は初めから「茨の道」だとわかっていたその学校へ行くことを決めた。
おかげさまで、ますます聖書を読み、調べるようになった。
先生や先輩の言う「教え」は、本当に聖書が伝えたいことなのか?と。
そんなアウェイな私にいつも味方してくれていたのは、他の誰でもなく、神様だった。
神様だけはいつも、そのみことばを通して、私を諭してくれたし、戒めてくれたし、慰めてくれた。
もともと人間不信なところがあった私は、もはや神様の言うことしか聞かない超めんどくさい人間になってしまった。
そして時は流れ、卒業から2年。結婚した。
そして3人の子供を授かった。
…で、話はようやく本題に入る。
みことばに生きる夫婦生活のはじまり
夫は「律法主義的聖書信仰」のど真ん中を行く教会の人だった。
そこから彼を救い出すのは至難のわざだった。
何を質問しても、答えは聖書ではなく、夫に聖書を教えてくれた「先生」の答えで返される。
「それは先生の考えでしょ?あなたが自分で聖書を読んで、自分で考えた答えを聞かせてよ!」と、喧嘩することも多かった。
夫が縛り付けられていた「律法的」な考えから脱却できるようになったのは、結婚してから5年後だった。
3人目の出産3日前、夫は職場でのモラハラに耐えきれなくなり、双極性障害が再発。(いわゆる鬱です。)
それを機に、フリーランスへ転向した。
私も、摂食障害があり、自律神経も弱く、1人目の出産後を機に、外で働くことをやめ、フリーで仕事を請け負うようになっていた。
それは、サムエルの母ハンナの子育てから学んだ、私の母としての生き方だった。
こうして夫婦2人でのフリーランス生活が始まった。
それはかなりのチャレンジだった。経済的な保証はまるでないし、人脈も作れぬままで2人とも退職しているから、頼りはもう神様だけだった。
夫の仕事の方向性、夫婦の目標、子育てとの両立… すべて神様のみことばに従おうと二人で決め、仕事や日常のあらゆることを、みことばで考え、神様のみこころを常に求め続けた。
感謝なことに、仕事はちょこちょこいただいた。貯金を崩しながら、時に適って子育て給付金やコロナの給付金。
いつも何とか生活できるだけの収入があり、不思議に暮らせていた。
何度も外で働くか、悩んで職を探すとかもした。「生活大丈夫?バイトでいいからすれば?」っていう心配の声に、私たちも不安になっていた。
でも、いつも神様がみことばによっても、物理的にも、「外では働くな」と言ってくる。
「わたしを信じなさい。」「人ではなく、神に従いなさい。」と。
与える神は、取る神でもある
ところがどっこい、いよいよ暮らせなくなってきたのは4ヶ月前。
ちょこちょこいただいていた仕事もプッツリと途絶えた。給付金も、そんなにいつもあるわけじゃないし、そもそも給付金に頼る生活ってどうなのよ神様!って言ってたぐらいで。
それでも、ギリギリのところで、給付金でもいいから与えられて、支払えるっていうのが今までだった。
でも、その時から神様は「与えないお方」に変わってしまった。
仕事もまったく入ってこなくなり、たとえ児童手当が入ってきても、生活費を支払えるほどではない。
それでも神様を信じたい私たちは、必死に下手くそな祈りを神様に届けた。
結果、「その町を出なさい。あなたは出るにも入るにも祝福される」というみことばにより、いよいよ私たちは住む家を解約するまでになった。
それでも不思議なことはまだ続き、引っ越すとなったことで、多くの支援をいただいた。そのおかげで、私たちは、新しい場所で暮らせることになった。
しかもそこは、私たちが願っていた環境にとても近しいところだった。
感謝でいっぱいだった。…が、またしてもXデーは近づいていた。
そんな中で、神様から私たちに課せられたミッションは、「この寄るべのない空腹な人たちに、どうやって食べさせようか」という問いかけだった。
それは、5000人の給食へ繋がるキリストからの問いかけ。
「私の持っているものでは到底足りないし、私たちが破産してしまいます。」と、弟子たちは答えた。それはまるで、私の答えと同じだった。
しかし、そこに5つのパンと2匹の魚をもった少年が、それらを差し出した。
イエスがそれを祝福すると、5000人以上のお腹を満たし、さらに余ったものを集めたら、12のかごいっぱいになった。
…もう、「この奇跡を信じるか」と言われている気がした。
私はすべてを差し出そうと決意した。
…が、イエスは別のところで、病気の人を助けなかったシーンがある。
それは、「私たちが信じるため」という理由だった。
その病気の人は、イエスの大切な友人だった。しかしイエスはその友人を死なせてしまったのだ。
だけどイエスは、その友人を、死からよみがえらせるという手法に出た。
癒しよりもさらに、イエスは神の子だと信じるに至る奇跡である。
…私たちの前に、この5000人の給食の奇跡と、イエスは愛するものを死なせ、蘇らせるという奇跡の2つが差し出された。
「なるほど神様そうきたか」と、笑ってしまった。
すべてを差し出し、奇跡を期待するも、私たちは(経済的に)死ぬのだろう。それは、その後にさらなる奇跡が起こり、2度と神を疑わないためだろう。
と、私の考えはそこに至った。
「わかりました」と、そのさらなる奇跡を信じ、私はまた、全財産を、イエスさまが今満たしたいと思っているであろうところへすべて差し出した。
今心は十字架で死んだイエスの足元
さて、今朝。私の心は死んでいます。笑
イエスさまがラザロをよみがえらせたのは4日後だったけど、私たちが4日後によみがえるとは限らない。
イエスこそキリストだと信じていた弟子たちは、十字架に貼り付けられるイエスを見て、ものすごい失望したでしょう。
再び漁に戻った弟子たち。私もまた、外に出て働かなければならないのか。
でも、それなら今まで私たちが信じてきた、「主は、福音を宣べ伝える者が、福音の働きから生活のささえを得るよう定めておられる」というみことばは、嘘だと言うことになる。
「骨折って働き、納めるべき税は納めよ」というみことばだけが真実で、真実でないみことばがあったとしたら、それは聖書が真実ではないことになってしまう。
聖書は一言一句真実だと、私は信じてきた。それは、人には何度も裏切られ、嘘をつかれても、聖書のことばだけは、私を裏切ることもなく、嘘をつくこともなかったから。
私はこの信仰を貫き通したい。だけど、数えきれないほど多くあるみことばの中のたった一つでも、真実ではなかったとしたら、私の信仰は無くなってしまうでしょう。
今、私は神様と闘ってる。
「私が信じてきた神と聖書は、偽りだったのか」と。神様と喧嘩するなんて、高慢かもしれないのは百も承知。
私は神様がそんなお方じゃないと信じてる。だけど、状況はかなり悪い。
…そんなわけで、今私は聖書のことばが真実じゃなかったらどうしようなんて、不信仰なところに立っている。それなのにみことばを宣べ伝えることはできないと思って、今日はメッセージをお休みします。
でも私は願ってるよ。
聖書も神様も、絶対に裏切ることなく、偽りもなく、真実だと。
疑って、失望してごめんなさい、と神様に言えることを、願って。