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うつ病夫婦の、子育て奮闘記。④〜みことばエネルギー〜の巻

 私たちがうつになってしまった原因は、「休みなく働いたこと」…ではないと思う。
どんなに仕事をしても相応の報酬がなく、生活もままならなくなっていたからだ。…と思う。

 こうなっているのは、「それでも聖書を信じて神に従うか」を試されているのだろうという「訓練」の時だということは、もうずっと示されていたのだけど、

 どんどんお金がなくなって、心身も打たると、いくらヨブ記を読んでいても、無意識に、神様の気を引こうとひたすら頑張りまくっていたのだと思う。


 このとき私は、神様に3つのことを祈っていた。

 「私たちの働きは足りていないの?」
 「私たちの助けは誰から来るの?」
 「もう、ここでの働きは終わりなの?」


 いろんな方面から、「仕事が足りないからじゃない?」と、外の仕事を勧められたり、もっと社会制度や教会に頼るよう勧められたり。


 でも、何度も何が私たちにとってみこころなのかを祈り続けてきた今だ。
 神に頼り、みことばを信じて行い、そして今がある。
 それが正解だったかは分からないけど、間違っていたから夫婦共にうつになったとは思ってはいない。

 私はうつの話を、はじめて母に打ち明けた。

 母から提示された助言は2つ。
 ・父と一緒に働かないか という案。
 ・もっと人に頼る という案。

 どちらも私にとっては、受け入れるのに難しい提案だった。
 でも、母からその提案をされたことで、祈りが明確化され、答えをいただいた。

 ぶどう園の主人は、「労働者を呼んで、最後に来た者たちから始めて、最初に来た者たちにまで、賃金を払ってやりなさい」と監督に言った。

 そこで五時ごろ雇われた者たちが来て、それぞれ一デナリずつ受け取った。
 朝から働いていた者たちも一デナリずつ受け取ると、主人に不満をもらした。

 しかし主人は答えた。「私はこの最後の人にも、あなたと同じだけ与えたいのです。」

 __このように、後の者が先になり、先の者が後になるのです。
   マタイの福音書20:1-16

 もし私の働きが、他の人に比べて足りなかったとしても、神は約束通りの報酬を与えてくださるお方だということに、ものすごく慰められるし、

 もし私が朝から働く側だったとしても、報酬は後からだか、ちゃんと正当な分を与えられるのだ。

 そしてまた、このことも示された。

 あなたがたは、君主を頼みとしてはならない。救いのない人間の子を。

 幸いなことよ。ヤコブの神を助けとし、その神、主に望みを置く人。
   詩篇146:5

 私は神を頼ると言っておきながら、社会制度を必死に探している自分がいることに気づいていなかった。

 もちろん社会制度を通して神が助けてくれたことも何度もあった。

 だからか、私は神の助けは、社会制度を通してくるんじゃないかと、心のどこかで期待していた気がした。


神の助けは、私たちが探すものじゃなく、神ご自身からくるものなのに。


 「私はやっぱり神に頼りたい」と神に祈った時、そのことが私の中でエネルギーに変わった。

 めちゃくちゃ元気になった。


 そして翌日、働きについても導かれて(この話は割愛)、私たちうつ病夫婦は、再び力を取り戻した。

 そしてその日から、子育てにおいてもある変化がおきたのだった。


▼⑤〜まさかの、仲間〜の巻

⑤〜まさかの、仲間〜の巻

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