大好きな貴方へ捧ぐ、愛。
「愛するから恐くなるんだ」って言うブッダと、「恐れが生じるのは愛が全き者となっていないからだ」と言うヨハネの差が印象的すぎて、
「全き愛」が今、私の最大のテーマ。
私はすぐ人間不信に陥る。たとえ大好きな人でも、信じるのが恐くなるし、距離感が掴めなくなる。
神様に対してもそう。状況や心身が悪くなると、すぐ神様を疑ってしまうし、つぶやいてしまう。
傷つくのも傷つけるのも恐いから、結局何もできなくなる。
__ブッダが言うように、愛さなければどんなに楽か。
パウロもヨハネも、私の中の愛と向き合わせてくれる。人も神も、信じられなくなる私は、愛において全き者ではないのだ、と。
もしあなたがそれほどまでに愛したいのなら、信じ、耐え、望み、思いとどまれ、と。
イエスさまは、いつもそうだった。
最後まで、人の回心を信じ、父の約束を信じ、十字架の上でさえ、ひたすら「全き愛」を、神に、人に、果たし続けた。
「人間は罪人だから、完全な愛を持つことはできない。でも神様は完全だから、あなたを完全な愛で愛してくれる」
…と、教わり続けてきた。
たしかに、私が愛において「全き者」になることは無理かもしれない。
愛せない人を無理に愛することも、できないし。
だけど、私には、愛したい人がいる。
愛したい神がいる。
だからせめて、大好きな人、大好きな神様のことは、全き愛で愛したい。
耐える。
信じる。
望む。
思いとどまる。
それができたら、めっちゃかっこよくない?