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映画の感想

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映画・アニメ・MV・映像・ドラマ……とにかく芸術の発露媒体としてリリースされたムービーやその市場について書き残したnoteを集めたものです。
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#エッセイ

ピアノ・レッスン(今年の映画)傍白

ピアノ・レッスン(今年の映画)傍白

アメリカの人種史をピアノが語ってる『ピアノ・レッスン』が単なる家族の争いを描いた物語に留まらないのは、ピアノという象徴を通じてアメリカの人種史に深く切り込んでいる点だ。
舞台である1930年代のアメリカは、大恐慌の余波と人種的抑圧が色濃く残る時代。
この文脈を踏まえると、ピアノに刻まれた家族の歴史がどれだけ重い意味を持つのかが見えてくる。

1. 奴隷制の記憶が残した傷跡

家族史を彫り込んだピア

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『ピアノ・レッスン(今年の映画)』「ポケモン・ショック(1998?)」

『ピアノ・レッスン(今年の映画)』「ポケモン・ショック(1998?)」

ポケモンショック的演出の極端さ『ピアノ・レッスン』における演出の中で、特に山場での「ポケモンショック」的な表現は大きなポイントだ。この一見過激な演出が、映画全体のテーマやメッセージにどう結びついているのかを考える。

1. ポケモンショック的表現とは何か

視覚的な過剰さ

「ポケモンショック」とは、視覚的な刺激が観客に直接的な衝撃を与えるような演出を指す。『ピアノ・レッスン』では、ストロボのよう

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『ピアノ・レッスン(今年の映画)』遺産、家族、ギスギス、修羅場

『ピアノ・レッスン(今年の映画)』遺産、家族、ギスギス、修羅場

『ピアノ・レッスン』を観てぼくが最初に感じたのは、「またか」という疲労感だった。

映画の裏にデンゼル・ワシントンの影が見えるとき、その結末には一種の覚悟が必要だ。デンゼルが裏方で関与した映画に共通するのは、視聴者の心を一切容赦せず、息苦しいまでのリアリズムと圧倒的な修羅場を提示することだ。

『フェンス』や『マ・レイニーのブラックボトム』で描かれたような、家族や社会の中でのギスギスした緊張感が、

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映画を数字で評論するほど無意味なことはない

映画を数字で評論するほど無意味なことはない

『ノクターナル・アニマルズ』論考

『ノクターナル・アニマルズ』という映画は、非常に多層的なテーマと物語構造を備えた話であり、その解釈や評価が単純な「点数」では到底語り尽くせないことを痛感する。

美と醜、愛と裏切り、復讐と救済の狭間に立つこの話は、観る者を深い考察へと誘うが、同時に強い不快感や混乱がガーンと来る点で議論を呼ぶ。

ぼくがこの映画を観て感じたことを、以下に多面的に掘り下げていく。

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ルーガルー人狼を探せのかんそう3

ルーガルー人狼を探せのかんそう3

本来なら、世代間の価値観の違いっていうのはもっと複雑で多層的なもののはずだ。

若い世代が持っている価値観は単なる「新しいもの」ではないし古い世代の価値観がすべて無意味になったわけでもない。Z世代が人前で褒められるのを嫌がるのは出世を望んでないからではなく、SNSと同じく公開やっかみの恐ろしさを知っているからだ。だから人前で無神経に褒め倒す、叱り散らす上司とはそれだけで無価値だ。

それぞれの世代

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ルーガルー人狼を探せのかんそう2

ルーガルー人狼を探せのかんそう2

世代間ギャップをテーマにすること自体が、もう「一つの古い題材」に見える。現代の設定に古い題材を重ねて「世代間のズレ」とか「断絶」を扱うっていうのはわかりやすいテーマに見えるけど、「対立軸」を無理やり作り上げてそれを並べ立ててるだけだ。

この映画もそうだが、現代の若者と旧世代をキャラクターとしてぶつけるような設定が、すでにお決まりのパターンだらけなんじゃないか。「インスタで稼ごうとする娘」と「その

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ルーガルー人狼を探せのかんそう/最新の映画でクソ古い題材を扱ってやることが世代間ギャップだった

ルーガルー人狼を探せのかんそう/最新の映画でクソ古い題材を扱ってやることが世代間ギャップだった

もう題名ですべてを言ってしまったので以下からは読む意味がない。ぼくも書く意味がない。

ぼくは見る映画にどんな少しでも内容ばれをされると許せないので、ジャン・レノのファンに対してだけ必要と思われる内容ばれを今から書く。

それはジャン・レノが痴呆の男を演じてるということだ。あの精悍なジャン・レノはもういないが、それはぼくがまだ半分しか見ていないからかも知れない。

簡単に人が異世界に行く方法として

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クソという形容はオットーが特に好んだ表現

クソという形容はオットーが特に好んだ表現

こんなに切ない映画があっただろうか。ぼくは映画で泣くよりもYouTubeのオリジナルコンテンツで泣くことの方が圧倒的に多いが、といいますか映画で泣くことがまずないんだがぼくが泣くのは切ないことに対してだということがman called otto(オットーという男)を見てわかった。

そしてこれはオットーとソニア(故)に対する救いの話でもあったはずだ。恐ろしいほどにこの映画にはテーマとして死がつきま

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ジェニーがディープインパクトの歌だと気づかなかった

ジェニーがディープインパクトの歌だと気づかなかった

ジェニーとはもちろんTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTのうた。ディープインパクトとは映画です。ヘッダ画像をお借りしています。

というのもディープインパクトを見て、ジェニーはどうなった?と思った。
あそこまで恨みつらみでいじめ倒したおやじと一緒にどこかの海岸に打ち捨てられて、あたしたち助かったのね、とでも言うんだろうと思ったらそのまま映画が終わってしまった。

ジェニーはCD版の

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デリカシーが人を創る

デリカシーが人を創る

映画「キングスマン」シリーズは、スパイ映画の新たなスタイルを確立した作品であり、その中でも特に有名なのが「マナーが人を創る」というせりふだ。ヘッダ画像をお借りしています。

主人公であるエージェントたちは、どれだけ強大な敵と戦っても、どんな困難な状況に置かれても、エレガントさと礼儀を決して忘れない。その姿勢が「マナー」というものの価値を一層際立たせている。

しかし、わたくしがここで提唱したいのは

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あの子のことが好きじゃないのは お里が知れた単語を下品に使うから

あの子のことが好きじゃないのは お里が知れた単語を下品に使うから

画面を見てたらホアキン・フェニックスが出てきたので「はい?」と思ったら、ジョーカーの続きを作ってしまうらしかった。ヘッダ画像をお借りしています。

ぼくはかつてジョーカーについて今年最強の映画だと褒め称えた。ちょうど八ヶ月と13日ぐらい前に言ったのでそりゃ当たり前(その年に初めて目にしたメディアだから)なのだろうが……

ホアキン・フェニックスと監督を褒め称えに褒め称えた。かつてあそこまで映画の感

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尊厳死映画が見れるのは心に余裕がある証拠ではないのか

尊厳死映画が見れるのは心に余裕がある証拠ではないのか

ティルダ・スウィントンといえばぼくのなかでコンスタンティンの無性別的なクソ天使の役だった。ヘッダ画像をお借りしてます。

それがなんと重い病気の末期に達してしまった人を演じ、ベネチア国際どうたらうんたらでベストだったらしいから驚いた。コンスタンティンとはぼくのなかで今年の映画だった。

多分2006ぐらいの映画だと思うので、ぼくのティルダ意識は20年遅れていることになる。あのクソ生意気でめちゃくち

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オデッセイはキウェ学

オデッセイはキウェ学

昨日オデッセイの感想を書いてキウェテル・イジョフォーを褒めちぎった。ヘッダ画像を有志の方からお借りしていることをお知らせしないわけにはいかない。

転生して無双(あんま好きじゃない表現だ)する系に喩えたが、たまたま生物学に精通してたからその場で急遽メリケン製ルーンファクトリーを始められた。じゃなかったらあのVlog自体が成立しなかった。

キウェテル・イジョフォーはどっぷりした風体をしていて誰だっ

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AHOY! マーク・ワトニー宇宙海賊団

AHOY! マーク・ワトニー宇宙海賊団

マッデイの映画を見るときぼくはいつもマッデイ以外の配役にしびれてるんだが、今回は全体的に楽しかった。ヘッダ画像を有志の方からお借りしていることをお知らせしないわけにはいかない。

オデッセイを見た。事前にどのような映画かをガチで知らなく、またいつもそのように事前情報を絶対に仕入れない呪いをぼくは自分にかけているのだが、この呪いが功を奏した。

というのも、ぼくはオデッセイを宇宙版Cast away

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