『ピアノ・レッスン(今年の映画)』遺産、家族、ギスギス、修羅場
『ピアノ・レッスン』を観てぼくが最初に感じたのは、「またか」という疲労感だった。
映画の裏にデンゼル・ワシントンの影が見えるとき、その結末には一種の覚悟が必要だ。デンゼルが裏方で関与した映画に共通するのは、視聴者の心を一切容赦せず、息苦しいまでのリアリズムと圧倒的な修羅場を提示することだ。
『フェンス』や『マ・レイニーのブラックボトム』で描かれたような、家族や社会の中でのギスギスした緊張感が、今回も目白押しだ。
ぼくはこれまでさんざんデンゼルがでた映画の感想を書いてきた。エコライザーとかトレーニングデイとか。そのたびに褒めている。
だが、裏方として関わると「良いことしか言ってないんだろうけど」もうこんな感じだ。
『ピアノ・レッスン』は、ジョン・デヴィッド・ワシントン(デンゼルの子)が演じる短絡的なボーイ・ウィリーと、ダニエル・デッドワイラー演じる慎重で神聖な視点を持つ妹バーニースとの衝突を描いた物語だ。
ピアノを巡る争いは物語を超えて、家族の歴史、記憶、アイデンティティの根本に触れる。そして、監督マルコム・ワシントン(デンゼルの別の子)は、これを単なる人間ドラマとしてではなく、視覚的にも精神的にも観客を消耗させるエクソシスト的なテンションで描いた。以下では、この映画を多角的に掘り下げていく。
ピアノが象徴するものは遺産とアイデンティティの衝突
『ピアノ・レッスン』の中心に位置するのは、家族の歴史が刻み込まれたピアノという遺産だ。この物語の中で、ピアノは単なる物質ではなく、過去、現在、未来をつなぐシンボルとして機能する。以下、このピアノがどのような意味を持つのかを考察する。
1. ピアノという遺産の重み
先祖の記録としてのピアノ
ピアノは、かつて奴隷だった先祖が家族の物語を彫刻として刻み込んだものであり、チャールズ一家にとって過去の辛い歴史と誇りを象徴する。特にバーニースにとって、このピアノは、家族のアイデンティティそのものであり、売ることは家族の歴史を否定する行為に等しい。
金銭的価値としてのピアノ
一方で、ボーイ・ウィリーにとって、このピアノは未来を切り開くための「資金源」に過ぎない。こいつはピアノを売ることで土地を買い、新しい人生を始めたいと考える。ピアノに象徴される遺産への思いが対立することで、この映画は家族間の価値観の衝突を浮き彫りにする。
2. 過去と未来の間の葛藤
ピアノを巡る争いは単なる物質的な所有権の問題ではなく、家族の未来をどう形作るべきかという根源的な問いかもしれんやで。バーニースは過去を守ることに固執し、ボーイ・ウィリーは未来の可能性に賭ける。この相反する視点が、家族間の不和をさらに深める。
ジョン・デヴィッド・ワシントンはブラック・クランズマンではクソかっこよかったのに
ジョン・デヴィッド・ワシントンが演じたボーイ・ウィリーは、これまで彼が演じてきた聡明で冷静なキャラクターとは大きく異なる。ここでは、このキャスティングの意図と、その演技が物語全体に与える影響を考察する。
1. ボーイ・ウィリーというキャラクター
短絡的で知能の低い男
ボーイ・ウィリーは、ジョン・デヴィッド・ワシントンの過去の役柄とは異なり、短絡的で視野が狭いキャラクターだ。この役柄が、ジョン・デヴィッドの演技の幅を広げる一方で、観客に彼への新しい見方を……うーん………
過去のトラウマがもたらす焦燥感
ボーイ・ウィリーの行動には、単なる金銭欲だけではなく、先祖が背負ってきた過去から自由になりたいという切実な願望が含まれている。この心理的な背景が、キャラクターの奥深さを生んでいる……か………?ちょっと制作側に忖度し過ぎだろう。こういう感想を持っちゃったら
2. ブラック・クランズマンとの比較
ジョン・デヴィッドが『ブラック・クランズマン』で見せた聡明で戦略的なキャラクターとの違いは顕著だ。これらの役柄を比較することで、ジョン・デヴィッドの演技力の進化と、『ピアノ・レッスン』での役柄選びの意味が浮かび上がる。
デンゼル・ワシントンと修羅場
デンゼル・ワシントンが関わる映画には、必ずと言っていいほど息苦しいまでの緊張感が漂う。『ピアノ・レッスン』もその例外ではない。以下では、デンゼルが裏方として関与した映画に共通する特徴を掘り下げる。
1. デンゼルが描く修羅場の特徴
容赦のない家族間の葛藤
デンゼルがプロデュースした『フェンス』や『マ・レイニーのブラックボトム』では、家族や仲間内の関係性が熾烈な争いに発展する。『ピアノ・レッスン』もまた、家族間の対立が中心テーマとなっており、デンゼルが好む「修羅場」の美学が全編にわたって感じられる。
緊張感のあるリアリズム
デンゼルの関与する映画は、キャラクターの感情や行動が極端にリアルに描かれる。観客はまるでその場にいるかのような感覚を味わうが、その分心理的な負荷も大きい。
2. 修羅場を通じて伝えたいこと
デンゼルが描く修羅場は、単なるドラマチックな展開を狙ったものではなく、人間関係や社会問題に対する洞察を示しているというか「いいからこれについて考えろよ」と言ってきている。家族や仲間の間での衝突を通じて、「どうやって過去と向き合い、未来を築くのか」という普遍的なテーマが浮き彫りになる。
続きは明日。