そこにないはずの言葉に傷つけられないようになりたい
直接誰かに
言われたことは
ないのに
ネットで
見かけた発言が
自分も対象に含むもの
だったため
まるで自分が
言われたかのように
強く印象に残り
何度も思い返して
気がつけば
自分自身が
それなりの頻度で
直接言われたきたような
感覚に陥ってしまい
それで
イライラしたり
傷ついたり
してしまっている
ということが
ありました。
自分は
言われたことが
ないのに
自分の世界には
なかった言葉なのに
自分の世界を
生きていくだけなら
そんな問題
どこにもなく
平和だったのに
せっかく
身近になかった
苦しみを
自分から
取り込むことで
そこにあるものに
してしまって
いたのです。
時に
自分以外の世界を
知ることも
必要でしょう。
ただ
それは決して
自分を苦しめるため
ではありません。
ですから
自分で自分を
苦しめないよう
知る場所を限定したり
知る量を調節したり
時に受け入れないことを
選択したり と
かなり意識的に
工夫することが
必要なのでしょう。
この世は
情報にあふれています。
自分が
わかっているよりも
想像しているよりも
ずっと多くの情報に。
それに比べたら
人間の脳1つに入りきる
情報量など
あまりにも
ちっぽけなものです。
相性のいい情報で
満たされれば
驚くほど幸せに
生きられますし
相性の悪い情報で
満たされれば
驚くほど簡単に
心が壊れます。
そんな情報を
自分なりに制限したり
コントロールしたり
することは
思ったよりも重要で
人生の幸福度のみならず
自分の心を壊すかどうかさえ
左右してしまいます。
だから……
何でも知るべき
知って意見を持つべき
辛くても受け入れるべき
とは 限らない。
それは
元気いっぱいな時にだけ
言える理想。
現実的には
人間の脳や心のことを
考えれば
自分の弱点と許容量を
よーく考えて
本当に大丈夫だ
いまは受け入れても
余裕がある
と思える時だけに
受け入れるという
制限の訓練を
しておくべき
なのでしょう。
構えも制限も
コントロールもせず
ただただネットや本を
眺めているだけでは
知らず知らずのうちに
自分を追い込み
すぐに限界が
来てしまいます。
一つの素敵な言葉に
心打たれて
人生が良い方向に
変わることもありますが
それと同時に
一つの言葉に心を囚われ
その悪影響から
ずっと抜け出せない
ということもあります。
言葉とは
情報とは
案外
強いものなんです。
人間は情報を
活用しているようでいて
意外と振り回されてもいます。
情報を得ようと
するだけではなく
情報から
自分を守れるようにも
なりたいですね。