些細な思い込みを手放す
こんにちは。成邦です。
…前回のnoteでも受けたルール(冒頭に一言挨拶を入れる)をさっそく忘れるところでした。
さて、またしばらくnote投稿にブレーキがかかってしまっていた事について考えてみました。理由を考えたところ、noteを書いたらTwitterに連携するべきだという思い込みが自分を不自由にしていることに気が付きました。
結論として、「note書いたからTwitterに投下しなきゃ」をやめていいことにしました。
noteを再開した当初は、
Twitterよりnoteにならまだ人目を気にせず書ける。それをTwitterから誘導することで何かアウトプットをしてる風になる!
・・・などと考えていました。
しかし、これはnoteに書けそうかな?と思い浮かべるたび、「制作活動には関係ない内容だし」とか「個人的な雑記を改めて宣伝するみたいなの恥ずかしい」などが先に頭をよぎってしまい、noteを書く手が進みません。
・・・これではTwitterからnoteに来た意味がない😇
長年染み付いてきた、他人の目を気にしすぎる癖を直そうと努力を続けていますが、無意識というのは怖いものです。。
ていうか、今見てみると最初の意図からダメダメですね。別に今やりたいことを見つけてバリバリ取り組めてるわけではないのに、そんなこと気にしたところで…という笑
ということで、Twitterへの投稿は基本なしで良いと自分に許可することにしました。みんなのフォトギャラリーへのイラスト追加とか、よっぽどTwitterでもお知らせしたい内容ならツイートしようかくらい。
よく考えてみれば、複数のSNSを使っている人がみんな漏れなくTwitter共有してるのかという話。多分していない。
思い込みって怖いですね、、。
手元のEvernoteに溜めがちだった日記メモ的なものも、これからは徐々にnoteに書けるようになりたいです。
とはいえ、自分の取るに足らない思考を晒すことに吹っ切れてはいません。本当は今書いているこのnoteも投稿しないほうがいいのでは……という葛藤が。。
ここで登場してもらうのが、過去の自分の書いたnoteです。
ちゃんと「自分が読み返す用」と書いてありました。noteに書くか悩んだとき、判断に使うチェックリストを用意していたんですね。
「人目を気にしすぎるのを直したい」とか数行前と全く同じことが書いてあるのが気になりますが、一旦置いておきます。それだけ直すのが難しい問題に挑んでいるとしよう…。
上のnoteの中で「noteは自分の成長に繋げるための、日常のセーブデータ」という考えはなかなかしっくり来ました。(自分の書いたことだからな)
他人からは理解されないような情けない悩みだったりするかもしれませんが、ネットに公開できるレベルに言語化する過程で、どんなことでも少しは自分の成長に繋がるでしょう。
何より今のように、過去の自分が書いたnoteが役立つこともあります。
そんなこんなゴニョゴニョ書いているうちに、それなりの文量になってきたのでそろそろ終わりにします。
いつもながら読みにくい文章ですが、これを投稿できた時点でまずは自分に合格です。