#コラム
『羅生門』と記憶から消去されずに残る映像
高校生の時に授業でやったこのなんとも理屈っぽい短編は、しかし、さらりと話の筋だけ拾うような感じで終わっていき、しかし、その後に、自分なりにこの話の軸に沿ったお話をちょいと書いてしまうほどには影響を受けていたのだった。
悪いことをしていた輩に悪いことをしても赦される、という理屈は、その前提として、生きるために、という言い分がついていたとしても、「ならさ、その生きるために悪いことをした人へ、自分も
いいね がつかなくても
もはや、皆そう感じられてるいることだと思うのだけど、写真系のTwitterにしてもここ、noteにしても、 Instagramにしても、いいねの数がそのまま写真の良し悪しに繋がるわけではない。いいねが少なくても、めたらやたらと上手いと思わせる写真がある。一方で、いいねがついている写真の多くは、やはり何某か、おお、と思わせるところがあるのも事実で、それが、写真そのものの良さだけではないところがSN
もっとみる忙しい人ほどカメラを趣味にするといいかもしれない。
つらつらと理由を書くほどのことでもないんだけれど、自分がそうなので、実感としてそう思う。忙しいのだけれど、趣味が欲しいのなら、カメラはどうですか、って話。
なかなか自分の時間の取れない人って多いと思う。そんな時間は自分で作るものだよ、という人もいるけど、それもやっぱり限界があるってものだ。
僕の場合は、朝5時起床、あれこれして7時前には出勤、家に帰り着くのはたいてい夜の9時過ぎ。そこから
ビギナー向けカメラという矛盾。今こそビギナー用を難解にしてみては?
スマホがカメラの存在を脅かして久しい。家電量販店であんなにあったコンデジをほとんど見なくなった。押せば写る、レンズ付きフイルムのころからそれを徹底してきたカメラは、押せば写るし、ちょっとした加工もできるし、なんならネットにも気楽にあげられる、という究極の簡潔性に負けてしまうのは道理だ。絞りがどうの、シャッタースピードがどうの、と細かな設定を考えなければ「表現」できないカメラは、日常をカラフルに「
もっとみる朝撮る?夕撮る?昼撮る?夜撮る?
断然朝なんですが。
独身のころは惰眠を貪って、なんなら起きれずに昼過ぎまでぼーっとしていたりする休日、そりゃ平日は朝は7時過ぎ、夜は9時まで職場にいる日々だとそうもなる。
が、家庭を持つと自分の時間というのはどこかを犠牲にして搾り出さなくてはならない。要は睡眠時間だね。
昼間はやっぱり子供といたいし、夕方も同様。夜は時々撮影に出かけたりするけど、それも子供が寝た頃だから遅くなる。
半径500メートルの撮影旅
撮影のために遠くへ行くことはあまりない。それこそ日帰りできるような県内のスポットを撮りにいくなんてこともしない。わりと昔からそうで、時間に自由のきいた独身のころでも、カメラを持って行く場所は限られていた。今思えばちょっともったいなかった。
万事がそんな感じで、日常の生活圏を飛び出すことを面倒に思うきらいがある。県北にあるネモフィラと太平洋の景色を撮りに、とか、巨大な人形と練り歩く祭を撮りにと
子どもの写真をプリントしての所感
ここ1年間ばかり、これまで撮りっぱなしにしていた子どもたちの写真をどうするか悩んでいた。5年分である。いくつかプリントはしたことはあるものの、その絶対数は少ない。
保育園の年度末には、毎回素敵な(そしてこれを先生方はいつ作ってくれているのだろうかと恐縮するほどに立派な)アルバムを作ってくださる。
それに比して息子たちの父は、撮ったらそのままで、時として写真をジジババにメールしたりするくらい
光を撮るために陰を撮る、すなわち時間。
陰影とは陰と光のことだ、というのを最近自覚した。意味としては知っていたが、そうか光と陰か、とふと得心がいった。
フォトグラフとはよく言ったもので、光の絵ということになるわけだ。真実を写すことではない。だから見たままを見たままに写そうとしないでも良い。
昔写真学科所属の先輩にフォトジェニックってどう言うことを指すのですかと尋ねたことがある。彼は少し悩んで、これだよ。まあこう言うことだよ、と指
スナップは都市生活者のものか。
解答としては「否」なんだけれど、否、と言いたいというのが正確かもしれない。都市に暮らしていたほうが断然しやすいし、楽しいし、色々利便性が高い、そういう事実はあると思う。
ここ数か月、朝の起床を早目にして、近所を撮り歩いている。軽い運動を兼ねてだが、春の終わりごろからこの時期にかけてやってきたので、季節の移ろいをよく感じることができた。これは朝の散歩の良さのように思う。この二週間ほどで、朝夕の
焦点距離と視野角。虹をみつけて。
朝の散歩も平日は暗いうちしかできなくなってきて、写真を撮りながらというのが厳しくなってきた。何より寒いし、休日のように防寒対策しっかりして出かける時間もないしで、サボり気味である。
そんなわけで先の土曜のお休みの日に、久しぶりの朝の散歩となった。平日より1時間ほどゆっくりと家を出れば朝日とタイミングが合う。天気は晴れるとはなっていたが、東の空は確かに日が昇ってきたけれど、西の空からはちょっと重
日常を愛おしく思う瞬間にカメラはいらない。
先日発熱をして、仕事を休んだ。夜中には39.7℃をマーク、接触の記憶もないが、もしかしてインフルかコロナか、と危ぶみ、家族とは別の部屋で休んだ。
その部屋は子供部屋だが、まだ幼い2人にとってはおもちゃのある部屋で、そこで遊ぶというよりはそこからおもちゃを取って階下に降りていく、今はそんなふうに使われている。
仕事を早引けして寝ていた僕の元に、ててて、と子どもたちがそれぞれにやってくる。
だ
「時間泥棒」とカメラ
灰色の男たちが、いかに人間が時間を無駄にしているのかを人々に説明する。節約した時間を彼らが運営する『時間貯蓄銀行』に預けるといい。そうしたら預けた時間に利子を乗せて支払う、という。
人びとは彼らの口車に乗せられて、時間を預けるようになる。
すると、人々は、時間を無駄にしたくないとイライラしながら働くようになる。預けたはずの時間は、結局……。
私たちの暮らしは、ずいぶんと便利になりました。