マガジンのカバー画像

親とか子どもとか

26
親とのあれこれとか、子どもを持とうと思っていないことの諸々です。
運営しているクリエイター

記事一覧

子どもぎらい

子どもぎらい

かっこいい
素敵
おしゃれ
尊い
ファビュラス…

対象の素晴らしさを表現する言葉はあまたあれど、わたしは「かわいい」に勝るものはないと思っています。

例えば「かっこいい」は、減りますよね。

顔に鼻くそがついていたら
バナナの皮で無様に躓いたら
お腹に肉がついたら

かっこいいは確実に、減ります。

でも、かわいいは減らない。

顔に鼻くそがついていても
バナナの皮で無様に躓いても
お腹に肉が

もっとみる
人間ぎらい

人間ぎらい

わたしは長らく自分のことを
「子どもが苦手」なのだと思ってきました。

やたら見てくるし
触ってくるし
ズケズケとものを言うし
急に奇声をあげるし…

いいところが見つからない。

でもある日、ふと気付いたのです。

他者に対する遠慮のない人
肩や腕にベタベタ触れてくる人
テリトリーに踏み込んでくる人
罵声や怒声をあげる人

わたしはそれが大人か子どもかに関わらず
そういう、人間らしい人間がきらい

もっとみる
愛とカルピスの濃度について

愛とカルピスの濃度について

夏です。
突然ですが、カルピスって美味しいですよね。

暑い暑い外出から帰って、冷蔵庫にカルピス(原液)があるのを思い出したときの弾む心。
お水でも炭酸でもいい。
割って一口飲んだときの華やぎ。

清少納言がカルピスを知っていたら、枕草子の「心ときめきするもの」の章にカルピスは名を連ねていたのではないか、とさえ思います。

でも、そんな夏の風物詩カルピスも、当然のことながら原液そのままでは甘ったる

もっとみる
家族大好き人間へのやっかみで"かぞかぞ"が見られなかった

家族大好き人間へのやっかみで"かぞかぞ"が見られなかった

わたしは、母が苦手です。

いわゆる、過干渉タイプの母。

母は、わたしの単独行動や遠出や外泊を許さず、わたしを手元に置くことを好みました。
わたしの行く手を決め、母の命令に背こうとすると急に弱さを出し、罪悪感でもって従わせました。

子どもの頃はそんな母の行動をさほど不思議に思っていませんでしたが(というか幼い頃のわたしは気が弱く母の言いなりで反抗心を持っていなかった)高校生の頃、わたしは自分の

もっとみる
人間、多すぎない?

人間、多すぎない?

夜景を見る機会がありました。

夜景、ロマンチック。
夜景、エモーショナル。

ただ、わたしはそんな綺麗でうっとりするべき景色を見ながら考えていました。

この光の一つひとつに、1人か
もしくは何人もの人が生活しているのだなと。

どう考えても
人間、多すぎだなと。

こんなにも人間が、ほぼ隙間なくびっしりとひしめく空間の程近くに生きているわたしが、子どもを持ちたいと思えないのはもはや、不自然とは

もっとみる
正解が分からない/子どもの動画を見せられた時

正解が分からない/子どもの動画を見せられた時

一体、どうしろと言うのでしょう。

子どもが不思議な動きをしたとか
上手に踊っているとか
ふいに大人のような表情を見せたとか

そういう瞬間の動画を、同僚や知り合いから急に見せられることがあります。

たぶん「かわいいね」と言ってほしいのだろう、とは思うのですが、わたしは全然、本当に、心から、まったく、恐ろしいほど人間の子どもに対して興味がありません。

先日も書きましたが、わたしの中にはあまり、

もっとみる
子ども、かわいくない考

子ども、かわいくない考

年若く未熟である、つまり子どもであるという一点だけで「かわいい」とは言い切れないと感じてきました。

だって、どう考えても個体差がある。

かわいいのもいるけど
かわいくないのもいる。

(そして、かわいくない方が多いという印象)

そのことでコンプレックスも味わってきました。

子どもをかわいいと思えないなんて
要は自分がお子ちゃまなんだよ
大人になりきれないってことでしょ
いい歳してるくせに

もっとみる
子どもに微笑めないってだけなのに

子どもに微笑めないってだけなのに

わたしは、人間の子どもをかわいいと感じたことがありません。

動物は大抵好きで、例えば一般的にあまり人気があるとは言えないハダカデバネズミすら愛おしく思うのに、何故人間の子どもだけにまったく興味が湧かないのか、自分でもよく分かりません。

偶然、電車内やレストランなどで隣り合わせた子どもが、信じられないほどの大きな声で叫び始めたりすると、わたしは恐れおののき固まってしまいます。

「かわいいと感じ

もっとみる
怯えた記憶は消えないけれど

怯えた記憶は消えないけれど

昼寝ができません。

正確に言うと、昼間眠くなって数分意識が遠のくことはあるのですが、それ以上になると途端に心拍数が上がり、息が苦しくなってくるので目覚めざるを得ません。

たぶん、子どもの頃にその辺でうたた寝する度、母親にこっぴどく叱られた経験からくるものだと思います。

わたしは非常によく寝る子どもで、四六時中眠たかった記憶があります。
つい、明るい時間にうとうとすると、決まって母に、文字通り

もっとみる
不自由な親子関係/けむたい姉とずるい妹

不自由な親子関係/けむたい姉とずるい妹

自分が散々支配的な母親に苦しめられてきたので、母娘問題系の書籍は色々と読み漁りました。

でも、実家にいたほとんどの期間、わたしは自分が苦しんでいることに確信を持てずにいました。

身体的な虐待もネグレクトもされていないし、周りの人には「世話好きのいいお母さんね」「羨ましい」とか言われるし、実際に母は愛情深い人なので、息苦しいと思うわたしがおかしいのかな?ひどい娘なのかな?と自分を責めていたのです

もっとみる
子どもと友だちがいないことを励まされる、けど

子どもと友だちがいないことを励まされる、けど

わたしには子どもがいません。
友だちも、ごく稀に会う人が1人だけ。

基本的には最愛の夫と
薄ーい付き合いの会社の人と
ときどき会う生育家族と

ごく狭い人間関係で生きています。

わたしはそのことに対して、基本的に負い目も引け目も哀しみも感じていません(子どもがいないことについては、たまに夫に「ごめんね」と思うけど)。

夫への罪悪感についてはこちら↓

友だちが実際100人いたら、3日に1回誰

もっとみる
身内意識が薄いから子ども産むの怖いのかもしれない

身内意識が薄いから子ども産むの怖いのかもしれない

以前、「娘ならなんとも思わないんだけど、嫁だと腹が立つのよね、どこか他人だって気分が抜けないからなのかしら。」という発言にどうも共感できない、という記事を書きました。

思い返してみれば、わたしは子どもの頃から「身内意識」というものが薄かった気がします。

低い/弱いというより「薄い」。

元々供給される濃度が薄いから、経験や知見により高まったり強まったりすることは期待できなさそうなイメージで捉え

もっとみる
子なし女性へのレッテルに物申してみた

子なし女性へのレッテルに物申してみた

母がわたしに、とめどない雑談をしていたときのことです。

その人はね、心が狭くて、意地悪で、全然思いやりがないの。愛想もないし、いつもぶっきらぼうで、優しさの欠片もなくてね。
なんでこんな風になっちゃったのかしらと思って色々聞いてみたら、その人、もういい歳なんだけど、子どもがいないらしいのよ。ああなるほどと思ってね…

それまで「うん」「へえ」「ふーん」の3パターンを繰り返して、母の知り合いではあ

もっとみる
家族だから許せない/他人だから腹が立つ

家族だから許せない/他人だから腹が立つ

娘ならなんとも思わないんだけど、嫁だと腹が立つのよね、どこか他人だって気分が抜けないからなのかしら。

という言葉を耳にしました。

わたしには娘も嫁もいないのでよく分かりませんが、そういう感覚って普遍的なものなのでしょうかね。

「どこか他人だって気分が抜けない」からこそ許せる、ことの方が多い気がしますけれど。

そもそも、わたしには「身内だから許せる」という感覚が希薄なのだと思います。
親だろ

もっとみる