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身内意識が薄いから子ども産むの怖いのかもしれない

以前、「娘ならなんとも思わないんだけど、嫁だと腹が立つのよね、どこか他人だって気分が抜けないからなのかしら。」という発言にどうも共感できない、という記事を書きました。

思い返してみれば、わたしは子どもの頃から「身内意識」というものが薄かった気がします。

低い/弱いというより「薄い」。

元々供給される濃度が薄いから、経験や知見により高まったり強まったりすることは期待できなさそうなイメージで捉えていただけると幸いです。

冒頭の発言者さんは
嫁は他人だから腹が立つが
娘なら身内だから大方許せる
と思っているのでしょうね。

ふーん。
全然分からない。

わたしは
親だろうが
きょうだいだろうが
姪や甥だろうが
嫌なものは嫌です。

一方、わたしの母親は身内意識を非常に強く濃く持っていて、それは普段の発言にもよく表れています。

やっぱり、血のつながりを感じるわよね
実の子はかわいいものよ
夫は結局、他人なのよ
家族なんだから当たり前でしょ
他人なんて信用できないわよ

その流れからなのか、母はわたしのことを「自分から生まれ出た子ども≒自分」と認識している節があり、当然の如く朗らかに支配しようとしました。

やめておきなさい
あなたはそういう子じゃない
ほら、お母さんの言う通りになったでしょ
言うことを聞いていれば間違いないのよ
次からは先に相談しなさい

わたしが何故か持って生まれなかった「身内意識」を、当たり前のように強く持っている母との会話は噛み合うはずもなく、でも母はわたしを自分と一体であると信じて疑わないので、どれだけ言葉を尽くしても伝わりません。

わたしと母は違う人間だ
血の繋がりがあっても他者は他者だ
わたしが1人の人間であることを認めてほしい

いつか母に懸命に伝えようとしたとき、
「なんでそんな寂しいこと言うの」
「そんな冷たい人間に育てた覚えはない」
と泣かれたときの絶望たるや。

身内意識が十分に備わっている人は「どんな子が生まれても、自分の子どもならかわいいはず」と信じることが出来るのでしょう。

でも、わたしにそんな成功体験はありません。

身内なのに苦手、という感想が、自分の産んだ子どもには絶対に浮かばないと、誰が断言できましょう。

生まれたときや育てている内に「あ、この子、なんかちょっと嫌いかも」と、もしも万が一感じてしまったら、どうすればよいと言うのでしょうか。

親のことを好きではない子と
子のことを好きではない親では
罪悪感のレベルが段違いなのではないか。

そういうことが実は今までにもあったけれども「母親の無償の愛」という名のもとに、無かったことにされてきただけではないのか。

…怖い。

そんなの、怖すぎる。
そんな恐ろしい賭けに、わたしは身を投じられない。

「心配しすぎよ」
「産んでみたらかわいいものよ」
などという無責任な言葉で、安心できるわけがありません。

持てるものと持たざる者。
お金も、身内意識も、初めから持っている人は、持っていない人のことを想像し難いものなのかもしれません。

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