子なし女性へのレッテルに物申してみた
母がわたしに、とめどない雑談をしていたときのことです。
その人はね、心が狭くて、意地悪で、全然思いやりがないの。愛想もないし、いつもぶっきらぼうで、優しさの欠片もなくてね。
なんでこんな風になっちゃったのかしらと思って色々聞いてみたら、その人、もういい歳なんだけど、子どもがいないらしいのよ。ああなるほどと思ってね…
それまで「うん」「へえ」「ふーん」の3パターンを繰り返して、母の知り合いではあるが、わたしは会ったことも見たこともないが故に、どう頑張っても興味を持つことのできない人に対しての悪口を聞き流していたわたしですが、「子どもがいない」部分で相槌をやめました。
またか、と思ったのです。
子どもを産んでも育ててもいない人は
優しさも思いやりもない。
そういうレッテルを、また貼られたなと。
個人差でしかない特性を、また
「子どもがいない」せいにされたなと。
それはさ、
え?
関係あるのかな、子どもが
うん
いるかいないかっていうことに、
優しさとか思いやりはさ、
ああ…
相関するのかな。
そういうデータがあったり、するのかな。
…
うん、ないね。そうだね。
言ってみました。
勇気を出して、言い返してみました。
たぶん、母には
「子どものいない人には思いやりがない」
という、今までの経験に基づく自論があって、普段周りには子どもを持つ人の方が多いので、そういう然したる根拠のない決めつけの発言をしても、引っかかりなくスルスルと話が進むのだろうな、と思います。
きっと、聞き手がわたしでなければ、この話はこう進むのでしょう。
わかるわー。
子どもがいない人ってどこか、包容力に欠けるところあるわよね。
やっぱり自分のお腹痛めて産んでないと。
放っておいたら死んじゃう子どもにお乳あげてあやしてっていう大変な思いを乗り越えた人じゃないとさ。ああ、あの人もそうよ。
仕事ばっかりしててもダメよね…
母の生きてきた世界では
それが当たり前の流れだったのでしょう。
でも、そういうレッテルを何回も貼られ続けたら、わたしだって無傷ではいられない、と思うのです。
聞き流すのにも限界があります。
そう…なのかねえ、と曖昧に笑うのにも。
勇気を出して言ってみても、話が通じないこともあると思います。
何度話しても分かって貰えなかったら、しまいには説得するのも嫌になってしまうでしょう。
そうしたら自分を守る為に、敢えて反論しない自由も、わたしたちにはあります。
だからみんな勇気を出すべきだ、なんてわたしには言えません。
でも、どうしても聞き流せないときもある。
もし反撃を食らって傷付くかもしれなくても
言い返さずにはいられない瞬間も、
あると思うのです。