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魚亭ペン太(そのうち公開)
2021年12月25日 02:52
オールを漕ぐと船は進んだ。少なからず私の望むように船は動いた。けれどもあたり一面の景色は変わらない。見渡す限りの海。
2021年12月28日 06:54
私がごく普通の、模範的な一般人だったら、そんなことを考える。けれどもそんな教科書のような人は存在しない。ときおり食べる高級アイス。これにスプーンを差し込んで、吐き出してしまいそうな愚痴を抑え込み、飲み込む。
2021年12月28日 07:09
私が今どこにいるのか。スマホの画面を眺めれば、宇宙をぐるぐると回る人工衛星がその住所まで事細かく的確に教えてくれるだろう。だが、自分がどのような状況に置かれているか、どのような考えを抱かれているか、それは誰にもわかりようがない。誰かの言葉を信じてもよいが、それは偏屈な断言。思い込みの激しい一方的なものだ。
2022年1月9日 22:21
人の吐いた毒を飲み込みたくはない。私の目の前にはおどろおどろしい毒の入ったティーカップ。だれもそれを飲みはしない。溢れ出るように口から毒を吐く。それをテーブルに載せて騒ぐパーティー。生きていく上で、そんな恐ろしいパーティーに参加しなくてはならないときがある。その毒の並んだテーブルを囲むのは仕方がない。誰もが理解する理屈。主催者は至って健全だ。誰しもがその毒を一人
2022年7月2日 20:42
僕は猫が好きだ。だからといって飼っているわけでもない。飼いたいと考えたこともあったが、ペットショップで運命的な出会いはなかった。彼らは見た目として可愛くはあったが、その檻から出た姿を想像できなかったのだ。好きだからといって、必ずしも一緒に住む必要はない。何日か通ううちにそういう気持ちになったのだ。愚痴を吐くあの人は、想像していた生活と現実の目まぐるしさ、この2つがかけ離れて
2022年7月2日 21:13
「〜の弟子の○○です」「今度は、落語家が出てきたよ」飲み物や注文も気が利くし、食べ物も率先して取り分けてくれる。話ができるだけじゃなくて相槌も上手い。話をじっと聞いてくれる。表現、そして表情が豊か。わたし、この人いいかもしれない。でも、もしかしたら、年取ってから偉そうにして、怒鳴り散らしたり、威圧的な亭主関白になるかも。お茶が熱かったら文句言いそうだし、ホコリが落ちてた
2022年7月6日 06:26
「先生、原稿の方は」「そのへんにある」というやり取りはもはや懐かしいもので、書斎に入る私を一瞥した先生はそのまま視線で物語る。どれも酷いものだ。私は紙くず同然に丸められた紙の山から、一枚ずつ取り出しては広げていく。「私はそんなものに価値があるとは思えない」ふてくされた子供のような表情でまた一つ紙を丸めては投げ捨てる。「せめて丸めないでいただけませんか」「そうやって君た
2022年7月8日 17:22
長いタイトルにありがちなのは、もうすでに物語の全容を説明してしまっていることだ。なんとも出オチな事に、食指が動かない。けれども、その決まりきった結末にどれだけの肉付けができるのか。これがおそらく文章を書くことに求められる条件だ。肉まん一個にどれくらいの餡が入っているか。どんな味がするのか。それは買ってみて、食べてみないことにはわからない。
2022年7月8日 19:03
世の中、人に聞くことは大切ですが、人に聞くよりも早いこともあるようで、スマホ一台あれば大概のことができてしまう。連絡、スケジュール管理などなど。しかし頼り切ってしまうといざというときに困るもので……
2022年7月21日 19:38
自分の中に溜まったあれこれを吐き出した開放感とともに目が覚める。意識が飛んでいたのだろうか。それもそのはずだ、エアコン代をケチって自粛行為に走ったのだから。軽い目眩を覚えながら水道水を喉に流し込む。出来るなら炭酸水がいい。そんな些細なことも叶わないために、こうして鬱憤を晴らしている。そんな堂々巡りの生活。それを支えているのが正社員採用待ちのアルバイトの収入なのだから尚の事だ。「
2022年8月1日 20:47
私の職業は何か。自由業。空想家といってもいいかもしれない。「絵に描いたおかずで白米を食う」それに似た形で、流行りの本を買わずにタイトルだけで物語を空想する。「拾われた男」
2022年8月5日 03:12
「ちゅう」彼女は時々ネズミになる。バカバカしい話である。そうかと思えば猫を被り、都合が悪いと狸寝入りをする。彼女と結婚して雨でも降れば、おそらくは化け狐ではなかろうか。コロコロと表情を変える姿は面白くもあるが、遊びたがる犬のように鬱陶しいときもある。動物にみたてる私に難があるだろうか。愛嬌があれば狸。陰険なら狐。動物に例えたがる私のような馬鹿な男は、どうにも飼い主のよう
2022年8月6日 22:05
気は持ちようなんてことを申しますが、とりわけ人間はわかったつもりになっていることが多いようで、近頃のテレビでは動物の映像にナレーターが声を当てて、さもその動物の気持ちを代弁をしているなんてのがありますが、人間ほどおこがましい生き物はいないのですが、これは人間の想像力ゆえです。大人だろうが子供だろうがこれは変わらない。「ねぇ、パパ、ライオンさん檻の中で可哀想」素直で心優しい女の子がいたもので
2022年8月7日 22:37
ジリジリとアスファルトの上を反射する太陽光。それに音響を加えるセミの鳴き声。少しばかり暑さになれてきたとはいえ、体の節々からじんわりと汗が湧いてくるのがわかる。この汗が売れるとしたら、大金持ちになれるに違いない。そんなバカバカしいことを考えるくらい、私はこの夏の暑さに参っていた。「汗、汗はいりませんか、現役JKの汗ですよ」私は目を疑った。いや、頭を疑った。汗が売れるわけがないじゃないか