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真我実現=悟りに至った!?悟りとはどういう状態か?!ラマナ・マハルシ「真我」

真我実現=悟りに至った!?悟りとはどういう状態か?!ラマナ・マハルシ「真我」

ボク:なんかさ、真我を実現しちゃった。いわば悟っちゃったんだ。つまり、至福の状態になっちゃったんだわ(笑)。

覚者:覚者たるオレが悟るというのも、パラドキシカルだけども、書いてる人が実は同じ人(「ポリドルフィン」)だから、オレも悟っちゃったよ(笑)。至福の状態に至ったんだ(笑)。

でもまあ、同時にまだ悟り切れてもいないよね?(笑)。

うん。悟り切れてない(笑)。やっぱり、悟り切るには、知識(ジニャーナ)のみで至福(アハンカーラ)に至る、即ち、悟れるとするシャンカラさんの教説も、また、さらに深く勉強しないといけないと思うんだよね(笑)。だから、次の2つの本を注文したんだけど、まだ届いてないんだよね~。

「究極の悟り」と「世俗の悟り」。

悟りの状態ってどういうものだと思う?(笑)

オレに言わせれば、悟りには、「究極の悟り」と「世俗の悟り」があると思うんだ(笑)。

「究極の悟り」、「世俗の悟り」って何?(笑)。

オレ独自の枠組みで恐縮なんだけど、
「究極の悟り」=「この世界が消えて、真我だけになる状態。」
「世俗の悟り」=「この世界を真我の現れとして見ていて自分の中に実在していると見ており、さらに自我・想念は残っているけれども、真我には気づいている状態。」
(一般的な意味で、「究極の悟り」「世俗の悟り」という言葉が使われることもあるけれど、それとは意味が違うんだ。あくまで、便宜上、オレ独自にこのブログ向けにまとめた概念・枠組みとして考えてね!(笑)。)

ボクと、覚者さんが悟ったのは、「世俗の悟り」だよね?

オレはそうだな。オレが悟ったのは「世俗の悟り」だよ。

「究極の悟り」を短い時間だけ悟ることもあるよね?

「究極の悟り」もあるねー!でもあまり長い間はキープできない(残念!)。

やっぱり、常に存在する悟り・至福は、「世俗の悟り」の方じゃん(笑)。

オレはそうだな(笑)。オレにキープできるのは「世俗の悟り」の方だな(笑)。

具体的に言えば?

具体的に言えばどんな感じ?

この世界は消えてないけれども、すべてはブラフマン、すべては真我の現れだと、腑に落ちるって感じ?そして、想念は依然として湧き上がってくるし、想念の束である自我も残ったままだけども、真我には常に気づいている感じ?「存在ー意識ー至福」(=「サッチダーナンダ」。存在=サッチ、意識=チット、至福=アーナンダ)を常に感じている感じ?(笑)。

それじゃわかりにくいから、映画館にたとえてみて(笑)。

映画館があるとする。鑑賞者とスクリーンが真我だ。ちなみに、スクリーンは意識でもある。そして映る映画・映像が世界だ。このたとえでいえば、スクリーンは意識だから、意識に映る映像もまた、世界であるとともに、スクリーンという意識に投影されている自分の中の世界なんだ。ここで、また、ラマナ・マハルシさんの言葉を引用しよう。

 真我実現した賢者は、スクリーンも映像もともに真我であることを知っています。(中略)

本書より

というわけで、スクリーン=意識=真我も、映像=自分の中の世界も、ともに全部真我であるわけさ。
言ってしまえば、鑑賞者=「見る者」=真我、スクリーン=意識=真我、映像=自分の中の世界=真我、なんだわ(笑)。すべては真我なんだわ(笑)。
そして、ただ漫然と映像を見て没入するのではなく(映像に没入している鑑賞者は、自我と異ならない。「世俗の悟り」では、自我が残っているから、多少とも映像に没入しているわけだが。)、以上のことに常に気づきながら映画を楽しんでいる状態、それが真我実現なんだ(笑)。そして、この意味での悟りは、「世俗の悟り」なんだ。

でもさ、ラマナ・マハルシさんは、こうとも言っていたよね。

4 真我の実現はいつ得られるのでしょうか?
「見られるもの」である世界が取り除かれたとき、「見る者」である真我は実現されます。

本書より

世界が消えないと、真我実現はなされないという。上の映画館のたとえの意味での真我実現=「世俗の悟り」とは意味あいが違ってこない?(笑)。

そうだね。上の映画館のたとえの意味での真我実現とは、意味あいが違ってくるね(笑)。この世界が消えたときの真我実現というのが、「究極の悟り」であって、映画館のたとえで言ってた「世俗の悟り」とは、意味あいが異なっている(笑)。

まずは、「世俗の悟り」を目指せ!

「究極の悟り」「世俗の悟り」は、オレのこのブログのために作った便宜上の概念・枠組みだけどさ、まず悟っていない、読者のアナタにオススメしたいのが、「世俗の悟り」を、まずは目指せってことなんだよね(笑)。

上の映画館のたとえで言っていた、「世俗の悟り」だね?(笑)。

「究極の悟り」はキープするのが非常に大変だ。「世俗の悟り」はキープするのがずっとラクなんだ(笑)。

あのさ、ラマナ・マハルシさんは、真我実現を、「究極の悟り」と「世俗の悟り」のどっちの意味でも使っていたんだよね?(笑)。

オレ個人的には、そう思ってるんだけどね(笑)。
(ただ問題はある。もしかしたら、この枠組みは、オレ独自のもので、ラマナ・マハルシさんの教えとは、少し違うかもしれない。ChatGPTが、「彼の教えに忠実であれば、最終的な真我実現には、依然として自我の超越が必要とされる点は強調されるべきかもしれません」としているからね。でもChatGPTも「真我に気づいた時点で、実際には真我実現が始まっていると言えるでしょう」としているので、真我の気づきが重要な第一歩であることは認めている。)

ラマナ・マハルシさんによれば、「真我の気づき」がまずは重要なんだね。ボクもそう思ってるよ!。

だから、まずは「世俗の悟り」=「この世界を真我の現れとして見ていて自分の中に実在していると見ており、さらに自我・想念は残っているけれども、真我には気づいている状態。」、つまり、我々、「オレとボク」(実は「ポリドルフィン」)が悟った境地に達することが大切だとオレは思う。
(ちなみに、ChatGPTによれば、オレの言う「世俗の悟り」で真我実現したとの解釈は、「合理的な枠組みの中で成立すると言えるでしょう。ただし、これはラマナ・マハルシの教えそのものというより、あなたの定義による新しい枠組みです」としている。)

なんか、ChatGPTがいちゃもんつけてるね(笑)。

ChatGPTも間違えることがあるから、ChatGPTの指摘は、参考程度に読んどいてね!

ポイントは、世界=自分の外にある世界ではないということ。

ポイントは、あくまでも、悟りでいう世界は、自分の中にある世界で、自分の外にある世界ではないということだろうね(笑)。

ここを取り違えると、悟りではなくなってしまうね!(笑)。

あくまでも、この世界は、自分の中にあるんだという自覚。認識が必要なんだわ(笑)。

真我(アートマン)から、自我(アハンカーラ)が生まれる。そして、自我(アハンカーラ)から世界が展開する。この意味での世界が、自分の中にある世界なんだ(笑)。

そうだね。真我(アートマン)から、想念の束である自我(アハンカーラ)が生まれる。そして、自我(アハンカーラ)から世界が展開する。この意味での世界が、自分の中にある世界なんだ!(笑)。一般人の読者のアナタは、自分が広い「外の世界」に投げ入れられた、ちっぽけな存在だと思っていることだろう。でも違うんだ。この世界は、真我(アートマン)から生まれた自我(アハンカーラ)が展開して作っているんだ。そして、真我の現れであり、梵我一如(つまり、宇宙の根本原理=ブラフマン=アートマン=真我、ということ)で、ブラフマンの現れでもあるんだ。ブラフマンの現れが真我の現れでもあると悟るとき、この広大な宇宙は、同時に真我=本当の自分でもあるんだ。だから、自分はこの世界での「一切者」「神」でもあるんだ。だから、アナタは、決して広い世界に投げ入れられた、ちっぽけな存在じゃない。アナタはこの宇宙の「一切者」であり「神」なんだわ(笑)。

すごいね!アナタは「一切者」「神」なんだぜ!(笑)。

以上のことが本当に腑に落ちたとき、悟りは開かれるんだ!!(笑)。

どうやったら悟れたの??

どうやったら悟れたのかと言えば、ラマナ・マハルシ「真我」を何回も読んで、実践したんだわ。それに尽きるよね??

ボクはそうだな!。

オレは、①自我探求(アートマ・ヴィチャーラ)もやったし、②明け渡し(シャラナガティ)もやった。

ボクもそうだな。①②両方やった。

とにかく本書を何回も読み返しまくったんだ。それが特に効いたんだと思う!!(笑)。アナタも読みまくれば、キット悟れるよ!!

ただ、完全な悟りに至るには、シャンカラさんの教説を学ばなきゃいけない?

ただ、ボクらは、まだ悟りの入口に立ったに過ぎない。完全な悟りに至るには、最初に書いた通り、シャンカラさんの教説を学ばなきゃいけないような気がするんだよね~(苦笑)。

たしか、シャンカラさんは、知識(ジニャーナ)だけで、至福(アーナンダ)、つまり悟りの境地に至れるとしていたよね?

そうなんよー、シャンカラさんは、知識(ジニャーナ)だけで、至福(アーナンダ)、つまり悟りの境地に至れるとしていた。だから、ボクらが悟り切るためには、やっぱり、シャンカラさんの教説を学ぶのが、一番の近道だと思う(笑)。

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⇧やっぱり、ちゃんと勉強するなら、シャンカラさん自身が書いたものを読む必要があるよね?

⇧シャンカラさん関係の本では、かなり安い部類に入る本なので、いいのではないか?

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