あめだま
その他、色々です。
怪奇なミステリーゾーンです
結婚式は豪華になればなるほど式場側は儲かるものです。しかし式をあげるカップル側は、なるべく出費を抑えたいものです。かといって、一生に一度の結婚式、ケチったという記憶は、なるべく残したくはない。そこで花嫁の中には、お手製のドレスを着て心に残るような式にしたいと思う人も多いです。けれども、こんな花嫁の攻略法は、すでに結婚式場側にも確立されているのです。 まず予約係がこう言うのです。 「ドレスは持ち込まれても結構ですが、どうしても地味になります。最近は列席される方も華やかな
これは埼玉県の国道4号線沿いでガソリンスタンドを経営する男性が見舞われた惨劇である。 2年前の夏真っ盛りの8月、仕事を終えた彼は愛車に乗り込み、夜中の国道を自宅へと走らせていた。自宅付近まで来た時、彼は猫をひいた。ひかれたのは黒猫だった。しかも1匹ではなかった。2匹であった。国道の交差点を右折し真っ暗な農道を走行していた彼の車のヘッドライトの光を目がけて、その黒猫達が飛び込んできたのであった。彼は慌ててブレーキを踏んだ。そして車から降りて確かめに行くと、2匹の黒猫がボロ
昔ある病院において胃潰瘍の患者たちを2つのグループに分けて次のような実験を行った事があります。最初のグループには看護師が薬を渡す際、わざとつれない態度で、これが効くかどうかは私には分かりません、だけど、これが私の仕事だからあなたに勧めるのです。患者たちは誰もが浮かない顔つきで、その薬を受け取りました。 もう一方のグループには、 担当医が直接同じ薬を勧めました。 「この新薬はとてもいい薬で、あなたの症状にとても効果があります。是非服用してください」 満面の笑み、しかも
日本人は人と会った時にお辞儀をするのが習慣なのに、やたら握手をしたがる人たちがいます。政治家と芸能人です。特に選挙期間中の政治家は、1日何十人、何百人との有権者と握手をしたかが、選挙運動をどれだけ頑張ったかのバロメーターになります。1日1000人、いや 2000人といった具合に目標を立てて、それこそ手が真っ赤に腫れ上がるぐらい死に物狂いで握手をします。また有権者の側も、握手されるとその政治家が急に身近に感じられてくるから 奇妙なもの、選挙カーの中から手を振られるよりかは、握
1955年10月3日、南太平洋西サモア諸島近海で貨客船の乗員乗客25人が突如、蒸発してしまうという怪事件が起こりました。 その船の名をホタヤ号。 ホタヤ号はサモア諸島を結ぶ貨客船として活躍しておりましたが、船長はイギリス人のミラーという男の人でした。 事件の発生した10月3日、午前5時ごろ、 いつものように、西サモア諸島のアスアからトケラウ諸島のフォアカオに向かって出向したホタヤ号は、乗組員5人、乗客20人、計25人の人たちを乗せていました。 アスア港からフ
毎年冬の夕暮れになると思い出すことがあります。ある忌まわしい予言を伴って。 この話は私の小年時代にまで遡ります。 当時小学5年生だった私は弟と一緒に母に連れられて、占い師のもとまで行ったことがあります。 それは私の暮らしていた街から少し離れた埼玉県草加市の占い師で、そうしてその占い師はよく当たるという評判でした。母はその頃、占いに凝っていましたので、それを知って行く気になったのだと思います。 小さい頃のことで占いの結果についてはあまりはっきりと覚えていませんでし
ある所に、春夫という若い男がおりまして、この人が不眠症に悩まされ困っておりました。何でも1週間ほど前から、一睡もできないと言うのです。そこで、ある日、女房に相談しましたら、 「なんだい。眠れないって。だったら私がいいところに連れてってあげるよ。あそこに行けば、必ずぐっすり眠れるはずだから」 と言われて春夫が連れて行かれたところは近所の公民館でございます。公民館の入り口には、 「本日、あの地元出身の代議士、横山真一郎、講演に来る!」 としたためられた白いのぼりが、曇天の空の下
山で激しい体験をした人の中には、かなり怖い思いをした人も多いと思います。遠くの空でピカッと雷光が走ったかと思うと バリバリバリと音がします。続いてゴロゴロゴロという大きな音がして、山全体が揺れるような感じがします。まるで戦場で爆撃を受けたような錯覚を覚えるはずです。ところが第2次大戦中、本物の爆撃音で連合軍を苦しめたのが、ドイツ軍でした。 当時、ドイツ軍にはシュツーカと呼ばれる急降下爆撃機があったのですが、これは地上の戦車や施設などを狙って急降下し、爆弾を投下し、味方の進
ダイエットに失敗した、そんな人は今度食事する部屋を、青で統一して挑戦してみたらどうでしょう。 次のような実験結果があります。 ある学校の生徒30人を男女混合の10人ずつのグループに分けて、テーブルクロスと照明を、赤、黄、青、それぞれの色で統一した部屋で、食事をさせたところ、赤の部屋のグループが、最もよく食べ、陽気に喋りだし、食卓が一番盛り上がり、それから黄色の部屋のグループは、食べるよりもおしゃべりに夢中になりました。 しかしながら、青い部屋では、食欲もわかなかったし
どうも、伊集院です。これは20年ぐらい前のことなんですが、今でもはっきり覚えています。デブ仲間の内山君、まいうーの石塚さん、それから数人のスタッフというメンバーで香川県へ行きました。讃岐うどんの美味しいお店が高松市内にあるというので、僕らはそれの取材に行ったのです。 そして、当日、8月、猛暑、現地のホテルを予約して取材の仕事を無事に済ました僕らが、ホテルに到着したのは、夜の7時頃だったんですけど、ホテルの周辺は何もありませんでした。仕方がないから、仲間と相談の上、一旦、荷物
あるところに真理という実に物真似の上手い娘がおりました。彼女はちょっと愚直ですけど、大変優しい子で、人から頼まれると男の物真似からラクダの鳴き声まで何でも喜んで引き受けていました。 彼女の友人に太一という浮気っぽい男がいるのですが、ある日の夕方、その太一が、真理のもとへやって来て、 「真理さん、ちょっとお願いがあるんだ」 「何でしょう?」 「今晩、俺のアパートに来てくれないか」 「まあ、いやだ。なんて思い切ったことを言う!」 「いや、そうじゃないんだ。今晩、大事な用事があ
1995年8月13日のことである。 茨城県水戸市に森山勝二という53歳の男が住んでいた。地元で運送業を営んでいた。毎年夏になると彼は、知人を家に招いて自宅の庭でパーティーを催すのを恒例としていた。その日も会社の従業員や親戚や友人たちを庭に招いて夕方からパーティーを楽しんでいた。 肉を焼いたり酒を飲んだり歌ったり踊ったり陽気なパーティーは夜遅くまで延々と続いた。 午前0時近く、パーティーもそろそろ終わりかけた時だった。 幽霊が現れたのである。それは、勝一の霊だった。
畳の上に置かれた刃の上を歩いて渡る 刃渡りの術、これは一見、超人技のように見えますが、その仕掛けを知っていれば難しい技でも何でもないのです。その昔、甲子園常連校のある野球部で、この刃渡りの術が稽古に取り入れられていたといいます。その理由は、 精神力を養うためだといいますが、刃渡りの術は、高校生でもできるものなのです。 元々、刃で柔らかいものを切る場合、ただ押し付けただけでは切れません。この事は、人間の皮膚の場合も同じで、押し付けるだけなら意外と大きな力に耐えられるものなの
山奥に暮らす気弱な男が、下町の親類のもとまで行って、そこで酒を振る舞われて、ほろ酔い機嫌になって帰ってきた。 寒い春の晩のことである。 その若い男は独り者で、親類に自身の縁談を依頼していたので、その用事もあって、下町の親類の家へ寄ったのだが、そこから出た頃には夜もかなり更けていた。 男は、ふらふらした足取りで街中を歩いた。そして時たま、すれ違う恋仲らしい男女を振り返ってみたりした。その都度、男はやりきれない思いにかられた。 縁談は、うまくまとまらなかった。それは、今
アメリカのミシガン州のある歴史博物館には、 一見しただけでは用途のわからない妙な道具が展示されている。ガラスケースに保管されたそれは、鋼鉄製で見てくればアメフトの選手が被るヘルメットのような形をしており、そのてっぺんからは長さ10cmほどのネジ式の棒が飛び出している。そしてその棒の上部と途中には、ネジとそのネジを締め付ける金具が備わっている。それから今度はヘルメットの内側を覗いてみると、その両側にはバラのトゲみたいな小さな針が無数に点在していることがわかる。甚だ奇妙な代物で
この前、友人の武田君から電話がかかってきて、 「なんだか、幽霊が出るんだけど、ちょっと来てくれないか」 と言うから、私は行くことにした。私は生まれてから一度も幽霊を見たことがない。 またその存在も信じていないことはないのだが、どうにもこうにも半信半疑。だから幽霊がいるんだったら実際に見てみたいと思った。 武田くんの家は私の家から1キロぐらい離れたところにある。庭が広くてなかなか立派な家である。元々、武田君の一家はマンションで暮らしていたのであるが、医者であるお父さんが開業