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珠玉集

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心の琴線が震えた記事
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#創作

短篇小説『十月のアネモネ』

 町とも呼べぬ町。  ヒトが軀も心も生きられる最低限だけ揃えたふうな、錆びつき朽ちゆく町に。  たいした幅のない、しかし果ての知れぬ水路を境界線として、森が、たかく、厖大に、そびえている。  午后3時。薄曇の空をはんぶん、夜にしてしまうかのように。  葉の1枚も落ちない常緑樹の森って、こんなにも暗い、黒黒としたものだったろうか。緻密且つダイナミックなちぎり絵のように葉は無数に繁り、膨らみ或いは垂れさがり、気の遠くなる樹齢であろう魁偉な幹たちとともに空間を埋め、周囲迄も影

おもいつめるいろ【色見本帖】

夜見世の支度をしようと唐橋ねえさんの部屋に行くと、襖の見事な枝振りの梅を、季節外れの彼岸花の花弁が覆って格天井まで染め上げているのを見た。 ねえさんから迸った花弁。何も身につけていないねえさんは、三つ布団の上に倒れていた。まだ濡れて行燈にてらてらと光る左首の傷口を晒して。普段なら座敷にしか敷かない金襴緞子も紅を吸って、ぐしょり、という感じが触れずとも生々しく指先に伝わってくる。 ただでさえ白いねえさんの乳房は今や絹鼠色を帯びて天井を向き、二本の脚はいいかげんに投げ出されている

掌篇小説『紙のドレスを着た女』

 ホテルへ向かう。 「部屋の鍵を開け放して待っている」  と云う、男のところへ。「○○ボーリング場のすぐ南だから」  公衆電話からの回線によるか当人の資質か、くぐもって如何にも後ろ暗げな声による道案内はそれだけで、スパイでもあるまい、只のどこにでもころがる既婚者だろうに追われるように切れた。  私は《昔アイドルみたいなプロボウラーがいたんだっけ?》とぼんやり思うぐらいでボーリングなんて男みたいに球を片手で持てないし遊ばないから『○○ボーリング場』も知らないし、外は地球がイ

文房具屋の店主

「みのや」に私たちは群れをなして訪れ、店主に嫌な顔をされながら、かわいい文房具を探して、長い時間を過ごしたものだった。香りを含んだ消しゴムとインクの香りが混じり合った清潔な空気感が、午後の「みのや」には漂っていた。2軒隣にある駄菓子屋「イイダ」の猥雑で、ダンボールのすえた香りとは違う清冽な雰囲気が、私たちには感じられた。 店主は唇の下に黒いホクロのある女性で、当時32歳くらいだっただろうか、ショートボブの髪型が知的に見えた。性の匂いはあまり感じられない、ニュートラルな顔立ち

短篇小説『雅客』

 目醒めて、わかりました。天から地へひとすじのすきまより僅かな陽のさす、蒲団にくるまれている分にはいつもと何ら変らぬ朝でしたが、私にはわかるのです。主人が隣に眠るのも忘れ、闇をつきやぶるように障子を、建付けのわるい雨戸をひらきました。雲の残り滓もない好天でしたが、その青と澄んだかがやきを繋ぎあうように、木木を田を畠を、離れあった家の屋根屋根を、丘を、純白の雪がつつんでおりました。  私は逸る胸をおさえながら、化粧台の前掛けをはらいくすんだ鏡を見すえ、髪を、着物を、この日だけの

ベストを尽くした挑戦記

 20代最後。今年はどうしても意識してしまう。20代のうちにやっておきたいことをやろう。そう思って、いろんなことに挑戦した。  20代での一大イベントは、やはり1年前の転職だと思う。  前の会社で出会えたかけがえのない人たちと離れるのは悲しくも、続けていくことに限界を感じ、新しい仕事を求めた。その結果、今はワークライフバランスを前より大切にできるようになった。  6年勤めた会社を転職先も決めぬまま辞めるのは怖かったが、一歩踏み出して本当によかった。前職で働きながらの転職活動

ビリビリの愛をくしゃくしゃに込めて【#秋ピリカ応募作品】

私が3秒、目を離した隙に。 くしゃくしゃに丸まったソレを、翔が飲み込んだ。 「あ、だめ!」 私は叫び、翔の小さな口から、なんとかソレを吐き出させた。 オエッ! 翔が吐き出したのは、美しい虹色の紙だった。本来はもっと美しかっただろうソレは、涎と、さっき食べたバナナが入り混じって、薄黒く汚れていた。 「華!」 私は彼女をすぐさま呼びつけた。 「コレ!華でしょ!?」 華はリビングの隅で、また折り紙を引き裂いていた。さまざまな紙を引き裂き、おもちゃ箱にため込むのが彼女

【秋ピリカ】わたしを束ねないでください。

ちいさな紙の束をたばねる。 ちいさな会社のちいさな資料だ。 失くしてしまったとして誰も困らないような そんなささやかな紙の束だ。 はじっこを出来るだけあわせて、ばらばらにならないようにカキンとやる。 紙がすこし分厚い時。 あの指にかかる微かなステープラーの圧力の中には、みえないぐらいの罪悪感が潜んでいる気がする。 紙を束ねているのにいつからかじぶんを束ねているように思ってしまう。 紙谷栞は、名の如くもはや紙なのだ。 名も知れぬ紙だから平気で誰かに束ねられてしまう。 佐伯

マル秘ってほどでもない創作メモをお見せしたい。

※これから創作を始められる方と楽しく共有したい内容です。 ※ときどき、自分の汚い字を世の中に見せびらかしたくなる私の癖を満足させる目的の記事でもあります。  一時期遠ざかっていましたが、最近また毎週ショートショート(以後毎ショ)のお題で書くようになりました。  以前のように〝毎週必ず〟ではないですが、ちょこっと頭の体操をしたい時に書きます。  久々に、410字にぴったり収める努力をしつつ書き上げるショートショートに取り組んでみて、「そういえばこういう書き方で書いていたな

【創作】ラはラララのラ

サモ・ハン・キンポーのこと覚えてる?、と君に訊かれた時にとっさに気の利いたことを言えなかった僕を君は、あなたにそっくりなの、とダメ押しのように僕を無言にさせた。 僕は市役所の委託で、放置自転車の回収に携わっていたから、特にこんな暑い夏には、サモ・ハン・キンポーのことなんか思い出しもしなかったよ、と二週間後に答えたのだけれども、君は何のこと?と首をかしげた。 それよりも二人でいった修学旅行のことを最近よく思い出すの、と君は言う。僕がちょうど5年生の秋ごろ、父親が長い闘病生活

空と契る、或いは九月の桃

妻があまりにパイナップルや梨、りんごといった果物ばかり食べるので、わけを尋ねると 「子宮の内側を柔らかくしているの」 と言う。分からない、と正直に伝えるとさらにこう付け加えた。 「酢豚にパイナップルを入れるのは、お肉を柔らかくするためでしょう? 鶏むね肉をりんごや梨をすりおろしたのにつけておくと柔らかくなるのも、パインと同じでたんぱく質分解酵素のはたらき。だから、子宮を、ね」 妻の声は淡く、ともすれば十二畳のリビングダイニングルームの空気に溶けて見えなくなってしまう。

短篇小説『3月85日』

 車のない車道はまっすぐ、傾斜5度ほどのゆるやかなくだり坂で、プラタナスのアーチを飾りながら、僕の悪い眼では永久に続いていると感じる。下へゆくのに、逆に天へのぼるように彼方のほうが光が満ちているように思う。  車がたえず往来しているときは、気づきもしなかった。  空なんか視るよりも不思議とやすらぐので、ときどき来ては交差点のど真ん中にたち、みおろす。 ……だが、いま。  その、僕のアパートから凡そ8分の近所に存在する私的な永遠の象徴に、まさかの邪魔、異物が混入する。二車線

【ピリカ文庫】しゃれこうべは生意気な口をたたいて朽ちた

『こんなはずじゃなかった』 暁の頃、薄明かりのやわらかい光が東の空から徐々に上空に広がって、ビル群のガラスに映り込んでいくさまを見るのが好きだ。 明け方のスクランブル交差点は、昼間の騒々しさを忘れてしまったかのように静まりかえっている。ビールの空き缶ゴミが不意につま先に当たり、カランという音が大きく耳に鳴り響いた。 台形型の巨大ビルの大型ビジョンに映ったメッセージは、そのあとリクルート企業のCMとなった。 「こんなはずじゃなかった?」 「じゃあ、どんなはずだった?」

【創作】隣に越して来たもの【守り猫マモル】

【前回のお話】 興味本位で事故現場を見に行った主人公のOLは、それがきっかけで怪現象と体調不良に悩まされるようになる。 続く怪現象と酷くなる体調不良にとうとう限界を感じた主人公。 何を思ったか「恐ろしい思いをしながら部屋に一人でいたくない」という一心で、ペットショップに駆け込む。 そこで「俺を飼えよ、追い払ってやるから」とテレパシーを伝えてくる一匹の猫と出会う。 何度も生まれ変わり霊格が高く、それ故に波長の合う人間(飼い主)と出会えず売れ残っていた猫は、見事主人公に取り憑く悪