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ベストを尽くした挑戦記

 20代最後。今年はどうしても意識してしまう。20代のうちにやっておきたいことをやろう。そう思って、いろんなことに挑戦した。

 20代での一大イベントは、やはり1年前の転職だと思う。
 前の会社で出会えたかけがえのない人たちと離れるのは悲しくも、続けていくことに限界を感じ、新しい仕事を求めた。その結果、今はワークライフバランスを前より大切にできるようになった。
 6年勤めた会社を転職先も決めぬまま辞めるのは怖かったが、一歩踏み出して本当によかった。前職で働きながらの転職活動は私には無理だったとはいえ、思いきった決断だったと思う。今でも前職の方と交流があるのはありがたいし、現職の方との関係性が縮まっているのもありがたい。理解ある同居の社会人の妹にも感謝の気持ちでいっぱいだ。

 noteを始めたことも、20代の大切な挑戦だ。
 丸3年が経ち、いろんな出会いや学びがあり、いろんな創作をした。とっても楽しい。時に反省や後悔もある。創作に恐怖を感じることもある。それでも止められない魅力や抑えきれない衝動がある。無趣味だった私が創作という趣味をこのnoteで見つけることができた。素敵な方と繋がれて、素晴らしい作品と出会えた。本当にnoteにやってきてよかったと思う。
 今年は創作大賞のために3万字を超える小説の計画連載にも初めて挑戦した。残念ながら選考を突破することは叶わなかったが、挑戦したからこその思いや気づきがあった。この思いや気づきを必ず次に繋げて、いつかの受賞を目指したいと真剣に思っている。

 noteではずっと、自分はプレーヤーだった。プレーをしていたい人間。仕事では、縁の下の力持ちになることも多いが、だからこそ、創作者として、自らで自由に活動できることに喜びを感じていた。これからもプレーヤーとして活動していくんだろう。そう思っていた。
 しかし、転機が訪れた。昨夏、初めてプレゼンターを務めた。noteの私設企画のなかで、代々受け継がれてきた素晴らしい賞にふさわしい作品を1つ選ぶ。そんな、とっても大切な役目を仰せつかった。お世話になってきた大切な企画。その企画がお休みに入り、その賞は今回が最後となる。そんな節目の大切な役割を担うことになった。がんばらなきゃ。張り詰めながら、ガチガチで臨んでいた。
 転職して数ヶ月、慣れない仕事に苦戦しながら、仕事もプライベートもバタバタしており、心に余裕を持てなかった。発表当日も、残業や急遽の打ち合わせが入り予定時刻を過ぎてしまった。賞に関わる運営の方をやきもきさせてしまい、本当に申し訳なかったと今でも思っている。
 私の余裕がないことを察した運営のみなさんは、私に寄り添ってくださった。温かいコメントを都度くださったり、裏で丁寧にメールをくださったりした。運営の方だけでなく、フォロワーの方も気遣ってくださり、賞の発表後に労いのお言葉もいただいた。とってもありがたかった。受賞者の方が喜んでくださり、参加者の方が受賞者の方にお祝いの言葉を寄せてくださった。なんてあったかいんだろう。その企画参加者のみなさんが素敵なことは重々知っていたけれど、目の当たりにして目頭が熱くなった。
 これは本当に伝えておきたいのだが、すべての作品を1つ1つ味わいながら、本当に楽しかった。時間はかかったし、忙しいなか大変ではあったけれど、とても楽しかったのだ。勉強になったり、心揺さぶられたり、元気をもらったり、感動したり。どれも素敵な作品ばかりだった。
 こんな素晴らしい作品がたくさん集まる企画、なかなかない。運営の方々には頭が下がるし、素晴らしい方々ばかり。その熱量や優しさに応えたい。参加者の方々の温かい思いがひしひしと伝わってきた。特に節目だから、みなさんの思い入れも強かった。だから、そのプレゼンターを務められて本当によかったと思う。当時多忙なあまり、きちんと伝えきれなかったことを、ちゃんと言葉にしておきたいと思った。
 同時に、後悔もしていた。時間がとれず、向き合いきれなかったなぁ。コメントへのお返事が追いつかないまま休んでしまい申し訳なかったなぁ。企画感想記事も書けていないまま、それでもnoteに戻ってきていいんだろうか。いろんな思いが胸のなかを駆け巡っていた。
 それでもnoteに戻ってくることを決めたのは、フォロワーの方が、私の作品を待っているという記事を上げてくださったのを目にしたからだ。企画に参加する私ではなく、私の作品自体を好きでいてくださるフォロワーの方。私もそのフォロワーの方の作品が大好きだ。その方が待っていると言ってくださった。だから、戻ってこのnoteで創作を続けることを決めた。

 気づけばnoteを始めて3年の月日が流れ、フォロワーの方もずいぶんと増えた。プレゼンターを経て初めて、ずっと参加者として楽しんでいた企画の裏側で奔走してくださっている方の努力、ご尽力を垣間見た。今まで数多の私設企画に参加させていただき、毎度とっても楽しませていただいてきた。そして、ずっと挑戦できなかったことを、20代最後というエネルギーを燃やしてやってみようとついに決めた。私設企画を立ち上げたのだ。
 小さな創作企画だった。2度長期でnoteを空けたにも関わらず、今でも繋がってくださっている大切なnoterさんたちに、少しでも恩返しするにはと考えてのことだった。創作者であるnoterさんたちに楽しんで創作していただきたい。読むのが好きなnoterさんたちに素敵な作品を楽しんで読んでいただきたい。だから、読者も含む参加者全員が楽しみながら傷つかず、少し学びもあるような企画にしたいと要項を練った。
 ただ、私はもともとキャパシティが小さいので、ちゃんとやり遂げる算段をつけて、参加者が少なくなるように要項を作った。他にもいくつかの意図をもって、細かく長い要項ができあがり、公開した。正直、参加者0でもおかしくないな。本気でそう思っていた。
 しかし、予想に反して、その後、質問や応援のコメントをいただいた。とても丁寧で真剣なご質問や、温かいご声援。私には、多くの人を受け入れるだけの余裕もないなか、私1人でやり遂げられるだけの小さな企画にしようという、利己的な思いがあるのに。

 そして、それらのコメントを受けて、強く思った。

できることはすべてやる。 やるなら最善を尽くす。

この精神を大切にしたい、と。

 私は、恥ずかしながら、このカーネル・サンダース氏の精神を、今回の投稿企画を通じて知った。詳細は下記の記事に丁寧に綴られているので、ぜひ読んでいただきたい。他にも、素晴らしいメッセージが詰まっている。

 カーネル・サンダース氏がそのような精神をお持ちだったことは存じ上げなかったが、私設企画をやるにあたり、同じ思いで覚悟を決め、できることはすべてやった。
 まず、質問へ真摯に回答するよう努めた。その質問と回答を要項の「よくある質問」に加筆するとともに、要項のわかりにくい部分を書き改めた。加筆するたびに追記日時と内容がわかるようにした。次に、参加を迷う方や不参加になることを申し訳なく思われている方に向けて、決して無理をしないでいただきたい旨を新たに記事として書き、要項記事冒頭にもリンクを貼った。企画期間前日で恐縮ながら、要項を抜粋したまとめ画像も作った。そうして、当日までに自分が限られた時間内でできることをすべてやり、当日を迎えた。

 当日も、最善を尽くした。とてもご負担の多い要項を満たしてご参加くださる方に対して、誠意を尽くそうとした。6名の方が応募してくださった。
 ご参加作品はじっくり味わい、要項を満たしているかしっかり確認し、コメントを贈るとともに、後追いで企画会場と銘打った固定記事に引用した。さらに後追いで引用記事下に感想を綴った。少しでも早く、少しでも多くの方に、素晴らしい力作を味わっていただきたかったからだ。そして、感謝とともに、本当に作品が素晴らしいという思いを、しっかり応募者全員にお届けしたかったからだ。
 また、応募してくださる方々に不公平感を味わってほしくなかった。だから、要項との照合は怠らなかった。複雑な要項。当然、要項を満たしきれていらっしゃらない場合もあった。これはひとえに、私がわかりやすく要項をまとめきれなかったことに起因している。しかも、一生懸命読み込んでくださり、試行錯誤のうえ全力で挑んでくださっていた。要項を少し満たせていない。それで、この力作を無下に扱ってよいのか。要項を満たせずごめんなさいと謝罪させてしまい、不参加とすることが私のしたかったことなのか。そんなの違う。そんなの嫌だ。
 だから、主催者権限で、丁寧にヒアリングややり取りを重ね、要項を満たすお手伝いをさせていただいた。これは、言ってしまえば完全なエゴだ。私が、私のために、この企画に賛同のうえ、努力して楽しんで参加してくださった方に、最後まで楽しかったと帰っていただきたい。後悔を応募者に残したくない。そんな思いで修正をお願いした。面倒な企画に参加させ、さらなる苦労をおかけしてしまい、申し訳なかった。でも、その方の記事に書かれていた。楽しかったと。ありがとうと。お世辞かもしれないが、うれしかった。
 そして、参加してくださったみなさんが、本当に素晴らしい作品とともに温かいコメントを寄せてくださった。企画者への敬意に溢れていて、企画意図の汲み取り力に脱帽した。ここまでやってくださる、思ってくださるなんて。本当に、涙が出た。もちろん、嬉し涙だ。
 そして、読者も含むすべての参加者や、企画にあたりお世話になったみなさんへの感謝をきちんと伝えたい。そう思い、応募者のみなさんはもちろん、応援してくださった方も含めて、企画参加記事と普段の記事をご紹介させていただき、感謝を綴った。途方もない時間を削ってご参加いただいたことに、少しでも報いたい。参加を心からよかったと思っていただきたい。参加者のみなさんの魅力をぜひ知っていただきたい。その思いで、心を込めて綴った。

 企画を走りきって初めて気づいたことがたくさんあった。後悔は尽きない。それでも、企画をやりきって本当によかったと思っている。学びがあり、他ならぬ私自身が一番楽しませていただけて、感動をいただいた。それとともに、参加者少数でもとても大変なこともわかり、たくさんの方が参加される企画を運営する凄さを実感した。
 幸い今回、本当に素敵な作品、応募者の方々に恵まれ、1人運営のためメンバーに苦労をかけるといったこともなかったが、きっと大型企画のなかでは目に見えないいろんなご苦労が裏であるのだと思う。特に、審査のある企画は大変だと思う。順位付けの大変さも過去に味わったから。それでも楽しんでやり続けていらっしゃる方々への敬意が増すばかりだ。
 最初で最後。そう思って全力でやった。「できることはすべてやる。 やるなら最善を尽くす。」。これを貫けたと思う。やると決めてから、この企画に注いできた情熱が竜頭蛇尾にならないよう、走り抜けた。大変だったが本当に楽しかったし、たくさんの気づきと学び、新たな出会いもあった。参加者あってこそだ。冗談抜きで、参加者のみなさんの温かさに救われた。今後企画をやるかはわからないが、参加する際は最大限の敬意をもって、全力で参加したい。「できることはすべてやる。 やるなら最善を尽くす。」の精神は、参加者としてももっていたい。
 そして、働くうえでも、この気持ちを忘れずにいたい。仕事である以上、制約のなかで、時に妥協も必要だ。私はつい私の信じる正義を貫き通そうとしてしまうところがあるが、引き際の重要性も最近学びつつある。それは、決してマイナスなことではない。円滑に仕事を進めるため、クライアント、仕事仲間にとってよりよい仕事となるよう模索するうえで、歩み寄ることの意義を痛感したのだ。制約があるからこそ、互いに違う意見を持つ相手と協業するからこそ、気持ちよく協力し合い、敬意を払い、成果を出すためにできることを惜しまない。方向性を見誤らないよう気をつけながら、よりよい仕事をしていきたいと思う。
 そして、20代のうちにできることをできるだけやった。どれも最善を尽くそうと努めた。1つ1つの挑戦も、長い目で見れば、カーネル・サンダース氏の精神をもってやってきたことだったと気づかされた。知らなかった彼の思いは、気づかないうちに私にも根付いていた。そして、意識することでいろんなことが繋がり、今後の方針も見えてきた。

 仕事においても創作においても運営するうえでも、カーネル・サンダース氏の「できることはすべてやる。 やるなら最善を尽くす。」の精神は、大切な私の指針となった。
 後2ヶ月余りで20代が終わる。最後まで楽しんで、小さな挑戦も、定常業務や普段通りの創作も、日々の家事もやっていきたい。そして、30代に突入しても、成長はしながら、この精神は変わらず、忘れずに持っていたい。

#挑戦してよかった

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すーこ
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