文房具屋の店主

「みのや」に私たちは群れをなして訪れ、店主に嫌な顔をされながら、かわいい文房具を探して、長い時間を過ごしたものだった。香りを含んだ消しゴムとインクの香りが混じり合った清潔な空気感が、午後の「みのや」には漂っていた。2軒隣にある駄菓子屋「イイダ」の猥雑で、ダンボールのすえた香りとは違う清冽な雰囲気が、私たちには感じられた。

店主は唇の下に黒いホクロのある女性で、当時32歳くらいだっただろうか、ショートボブの髪型が知的に見えた。性の匂いはあまり感じられない、ニュートラルな顔立ちが特徴的な人だった。切れ長の目は、いつも微笑んでいるようにみえた。店番に立っているのはいつも彼女で、夫の姿は私が小中学生だった9年間一度も見ることはなかった。もしかしたら、独身だったのかもしれない。確かめるすべはもうないのだけれど。

私たちが集まるのはもっぱら「イイダ」で、そこには老齢のおばあちゃんが一人で店番をしていた。昔は、もんじゃを焼いたり、メンコを競ったりしたのだろう、店の奥の広い遊び場スペースは、溜まる子どももいなくなったせいで、荷物置き場と化していた。おそらく、このあたりにも、もっと子どもがかつてはいて、純真だった彼らはきっと、まだ若かったおばあちゃんに導かれて、この奥のスペースで楽しく遊んだのだろう。

私たちの時代も、決して子どもの数は少なくはなかったが、昔のような純真さに欠けていたことは事実なので、おばあちゃんもウカウカと遊ばせることは出来なかったに違いない。私たちは、団塊ジュニアと呼ばれる世代に属していた。その上の世代は、ツッパリ世代と呼ばれ、学校は荒れていた。とはいえ私たちの多くは平凡な家庭の子どもだったので、とりたてて悪さをしようなどとは考えていなかったけれど、お金を持ち寄る場所には、お金を欲する悪い子どもが集まってくる可能性が高いこともまた事実であった。

もちろん「イイダ」で使うお金は大したことはなかった。せいぜい100円玉1枚で、ガムが買え、クジが引け、ジャンプ弾と呼ばれる遊び道具が買えた。クジにあたれば、キャベツ太郎のようなスナック菓子も得ることができた。それだけで、私たちは満足だったのである。時は80年代の前半だったけれど、まだまだ、子どもの世界はゆったりと時間が流れていたのだろう。

私たちの中に藤野という奴がいた。藤野は、このあたりの子どもの中では、お金を持っている家の子だった。お父さんは船員で、キャプテン翼の父親と同じ職業であることが自慢の、鼻持ちならない男だった。藤野はいつも、「イイダ」に行くと、当たりが出るまでクジを引き続けた。ハズレでもらえる粉ジュースの素を、まずい、といって全部地面に捨てていた。両手に余るほど買うのだが、ひとに分けるという発想はなかった。

藤野はまた、仲間はずれを作ることを趣味にしていた。買い占めたおもちゃをわざとその日決めた子には使わせず、寂しくなって「帰る」と言わせるように仕向けるのだ。

ある時、時計屋の息子だった三角が、その標的になった。三角は私のように貧しいわけではなかったが、たまたま小銭を持っておらず、藤野のいう賃借料のようなものを払えなかったので、仲間はずれにされたのだ。

「みんなで仲良く遊ぼうよ」

三角の訴えは正しかった。圧倒的に正しいと私に感じられた。私は貧しかったので、おもちゃはいつも買えなかった。だから、藤野に媚びへつらって、10円を払って遊ばせてもらっていた。「イイダ」でなにかを買えるはずのお金を、藤野に差し出して、おもちゃを使わせてもらっていたのだ。それが普通だと思っていた。

「じゃあ、僕、帰る」

三角は泣きながら帰って行った。私は体の中が熱くなるのを感じた。今まで感じたことのない激情だったと思う。どうして、このような感情が湧き上がったのかわからない。誰に教わったわけでもなく、体の内側をチリチリと火で炙られたような、そんな熱さで体は自然に動いた。

「こんな汚いおもちゃいるか!」

ジャンプ弾を遠くに放り投げ、藤野らが呆気に取られている中、私は三角の家に行った。まず三角に謝ろうと思った。三角は居間でおやつを食べていた。私が見たこともない焼き菓子のようなものを食べていた。初めて三角の家に入った。昔の町家で、奥に長く家が延びていた。

「三角んち、どこまであるんだ」

藤野なんかよりも金持ちなんじゃないか。街の時計屋は、実は宝飾品も扱っていたのである。最奥の八畳間が三角の部屋で、備え付けのテレビがあり、カセットビジョンというテレビゲームすらあった。

「これコンピュータゲームじゃない、すごい」

ファミリーコンピュータが発売される前に、家庭を席巻したカセットビジョンというテレビゲーム機があった。木こりの与作というゲームが代表的だったが、ドットは粗く、キャラクターはシルエットのようだった。それでも、僕らは満足していた。そんな高価なゲーム機は藤野の家にしかないものと思っていた。

私は、思ってもいなかった僥倖に浮かれ、あの義憤とでもいうのか羞恥とでもいうのかわからぬ感情を忘れていた。夢中になっていた。藤野らの報復に対する恐れのようなものすら、消えていた。テレビゲームとは、当時の僕らにとって、そのような魔術的な効果を持っていた。

そのことをすっかり忘れて、行った翌日の学校で、藤野の報復が待っていた。机の中に腐った牛乳パックが入っていて、教科書を入れた途端に半分開けられた紙パックの口から臭い汁が飛び散った。今なら、こんな仕打ちをされたことを皆の前で言い出せずに、陰湿なイジメに繋がっていくのかもしれない。しかし、この時代は、その腐った牛乳パックを思い切り藤野へと投げる振る舞いが、許されていた。

牛乳を入れたのは藤野ではないかもしれない。けれど誰が入れようと、藤野を痛めつければ、犯人は震え上がるだろう。とにかく藤野を叩くことに専念した。喧嘩をして仲が深まるなどということは幻想である。授業を破壊するほどに藤野と大立ち回りを演じた私は、床掃除を命じられていた。藤野は弱かった。引き絞って、突き上げた拳が腹部に当たり、鳩尾を押さえて崩れ落ちていた。

係累を一人一人やっていくしかないし、やるなら教師の前でやってやる、と憤慨しながら、牛乳を雑巾に染み込ませ、バケツの中に絞り汁を回収した。皆は、体育をしに校庭に行き、藤野は保健室で寝ていた。藤野が、新たなイタズラをしてきたら、その都度やってやると誓っていたが、その後の藤野はあっけないほどに何もしてこなかった。私は、今でいうところのキレやすい奴というレッテルを貼られ、教室では孤立したが、そもそも学校の勉強になんの不自由も感じていなかったので、図書室で借りた本を読んで暇を潰した。放課後は学童保育に行っていたので、遊ぶ相手がいなくても、気にはならなかった。

後日、藤野の親に謝りに言ったが、そこでの藤野は借りてきた猫のようにおとなしかった。だから、私は奴の悪業を奴の親の前でことさらに訴えた。嫌な気持ちになったのかもしれないが、父親不在の藤野の母親は道理のわかる人だったのか、単に強く出られなかったのか、無言で聞いてくれた。おそらく奴はその後で叱られたに違いない。翌日、とてもしょぼくれた顔で登校してきた。

翻って、「みのや」の女店主のことである。この事件から3年が経ち、中学年になった頃、「イイダ」は店をしめ、「みのや」がその機能を一部引き継ぐようになっていた。すでに、私たちは、駄菓子を買って、それで遊ぶことはなくなっており、「みのや」の駄菓子コーナーは、徐々に書籍コーナーに変貌していった。「みのや」はいつしか書店と文房具店を兼ね、教科書などを扱うことで、したたかに地域で生き残っていった。

私は本が好きだったので、「みのや」に入り浸り、ゲームの攻略本を立ち読みしたり、セルジオ越後のサッカー指南書を購入したりしていた。ある日、藤野が入ってきて、ある場所を行き来しながらなにかをチラチラと眺めては、深いため息をつくという動作を繰り返していた。私はそこに何があるかを知っていた。とある青年マンガで、のちに成人指定がなされるほどに過激な描写のあるマンガだった。本屋は私の庭のようなものだったので、どこに何があるか、ということをすでに熟知していたのである。

藤野の意図を理解した私は、これは使えるぞ、と思った。あいつの弱みを握ってやった、と思った。しかし、次の瞬間、別の天邪鬼な思いにとらわれ、買えずに外に出た奴に自然に話しかけていた。

「あれ、俺が買ってやるよ」

藤野は何が起こったのかわからぬまま、私に金を握らせた。そして、自動販売機の裏に隠れた。私は、可愛い女の子の水着姿が描かれたマンガを2冊、平積みの山から取り、レジに持っていった。当時はまだ成人指定がされていなかったので、見咎められることはないはずだけれど、やはり購入する時にはいささかの緊張が走った。

女店主は、私をじっと見つめた。視線が感じられ、首の後ろが熱くなった。負けてはいけない。私は、店主を見つめ、邪気のない顔を装った。たまさか、店主の顔を見つめることになった。私はふと、胸の高鳴りと表現してもいいほど、動悸が速くなっていることに気づいた。Hなマンガを購入している罪悪感からではない。明らかに、私は彼女の顔から目が離せなくなっていたのである。

私は彼女の唇の下の黒子に目線を移した。視界から口角が二つ消えた。嘲笑っているのか、微笑んでいるのか、判断しかねた。私は藤野の代わりにこの本を買っているのです、と主張したい気分にかられた。舌の上で声にならないつぶやきが転がった。お釣りを渡してもらう時に触れた肌が妙に温かかった。

「ありがとうございました」

店を出て隠れている藤野を見つけ本を渡した。藤野はお釣りとそれを受け取り、礼も言わずに走って帰っていった。私は、Hなマンガを買ったことを女店主に悟られたことではなく、醜態を晒した当の相手に恋をしてしまったことに当惑した。もちろん、女店主からすれば、ませた小学生がHなマンガを恥ずかしがりながら買っていったという現象に映っただけに過ぎないのだが。藤野との確執など、私の頭からはとうに消えていた。

私は、しかし、次の日もその次の日も、「みのや」に行っては、立ち読みを繰り返すようになった。時に、文房具や本を買えば文句はないだろう。私の部屋には使いもしない消しゴムが溜まっていった。

ある時、学校で「みのや」で文房具が万引きされた、という噂が立った。私が真っ先に疑われた。いつも「みのや」で立ち読みしていることを、誰かに告げ口されたのだろうと思った。教師が緊急の家庭訪問に来て、私の部屋に大量の消しゴムがあることに気がついたことで、疑いは確証に変わった。当然、心外である。私は、女店主に会いに、「みのや」に行っていたからである。しかし、本当のことを、私は言えなかった。

学年集会が開かれた。私は当然嫌疑を否認していたし、親も私のことを信じてくれてはいた。空き地にプレハブのようなものを建てただけの私の家は、いつでも夜逃げできるようになっていた。もちろん、父親がヘマをしなければ、逃げる必要など一つもなかったのだけれども。

母親には、どうしてそんなに消しゴムを持っているの?と聞かれた。本当のことを言ってよ、と。本当のことは言えない。私はやっていない、としか言えなかった。やっていないのが事実だとして、部屋にある大量の消しゴムは何なのか。必要もない消しゴムがどうして大量に存在するのか。親も、本心では私を疑っていたのだと思う。

教師はやがて真相を明らかにすることを諦めた。私は、腑に落ちず、モヤモヤした気持ちを抱えていた。誰が、万引きをしたのか。何を、どれだけ、万引きしたのか。消しゴムでなければ私の嫌疑は晴れよう。あの女店主に、訊いてみるのだ。そして、この思いを伝えよう。そのシーンを思うと、恥ずかしくなり、布団の中で芋虫のようにのたうちまわった。

ところが、唐突にそんな妄想にも終わりが告げられた。朝礼で、真犯人が見つかり、謝罪と弁償を行ったというのである。もちろん、それが誰かということは告げられない。皆は、私がやったことを認めた、と思ったに違いない。けれど、私は私ではなかったから、堂々としていた。結局、誰が、申し出たのかはわからないまま、卒業式を迎えた。噂では、藤野が、自分が盗みましたと申し出たのだけれども、教師たちはその言葉を信じられず、形式上解決したことにしたらしい。藤野には「お前、誰かをかばっているんじゃないか?」と言ったとか。つまらない真似をしやがって、みすみす告白しそこなったじゃないか。

大学を卒業して、就職もかなわず、一時期実家に戻ってきていた。「みのや」はまだあり、女店主の髪も白髪が混じって、首のしわも目立って来ていた。ただ、髪型は相変わらずのショートボブで、目には険があるようになってはきていたものの、優しい目は相変わらずだった。少し、ふくよかになっていた。

「このマンガ、取り寄せられますか?」
「この文庫はね、買い切りなので取り寄せることはできないのよ」

フランス書院の文庫マンガが、買い切りだとは知らなかった。少し恥ずかしくなったその瞬間、あのときの記憶が蘇った。もう昔の私じゃない。女店主の顔もしっかり見ることができる。別に、彼女は笑ってはいなかった。事務的に述べただけのようだった。

藤野は、目当ての高校に入ることはできず、滑り止めの私立高校に進学していった。その後のことは知らない。

三角は、高校の柔道部で部長までやったあと、大学受験に失敗し、マンガ家を目指していたが、挫折して、引きこもっているという。

就職してすぐに別の県に住むようになった。時々、実家に戻ってくることはあったが、「みのや」が入っていたテナントは、いつしか葬儀の仲介業者に変わっていた。



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