ゼロの紙 糸で綴る言葉のお店うわの空さんと始めました。

ダ・ヴィンチ誌でエッセイ連載後、歌集刊行。note公式コンテスト#推したい会社 創作大…

ゼロの紙 糸で綴る言葉のお店うわの空さんと始めました。

ダ・ヴィンチ誌でエッセイ連載後、歌集刊行。note公式コンテスト#推したい会社 創作大賞ベストレビュアー賞受賞。 絵本『どこかでだれかが』を発売中。 ショップはイシノアサミさんのショップ、「きりんの背中」です。⇨https://asami29.base.shop/

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さびしくならないサラダを探して<第一話>

屋上植物園のようになった<天神屋デパート>の屋上には、半円型の舞台があって、その前にはベンチがいくつか置かれている。それは3列並んでいて背もたれに描かれたペコちゃんマークはすでに錆びていて、すごく末枯れた風情を醸し出していた。  雨ざらしのせいか、さびさびでペコちゃんはもうペコ姐さんって感じで、傷だらけの舌をたらりと垂らしたまま、ずっと屋上のベンチの背もたれにいた。  わたしはここに居るペコちゃんのことが嫌いになれない。ここで年老いていくペコちゃんのことが、まるでじぶんのよ

    • 今日も仲良くなれますように。

      食べるという行為はほんとうに不思議だ。 ファミレスのハンバーグランチだって 時には一口一口がじぶんの心に快速急行 ぐらいの速さで効いてくる時がある。 わたしは今、そのことを実感している。 大好きな友人が毎日畑を耕しながら 作ってくれたお野菜を食べている。 ゆうのうえんさん。 二年前の11月。 彼女がマルシェをしているというので訪れた。 こんな野菜たちが不定期じゃなくて 定期的に我が家にくるとうれしいなって 思っていたら。 彼女が野菜を各家庭に配達するビジネスを 始めたこ

      • 言葉はどこからやってきて、どこへゆくんだろう。

        この間、ふるい喫茶店で話をしながら。 文章を書く時どんな感じで言葉が 手元にやってくる? みたいな話になっていた。 言葉ってみなさんどこからやって 来るんだろう。 どこで決断してその言葉を選択しようと どんな働きがあって、その言葉を獲得しているのかみたいなことに興味がある。 わたしは短歌をはじめた頃から 言葉はなにも浮かばない。 映像で頭に浮かんでしまう。 浮かんだ映像が頭にあるので、それを こんどは逆に言葉に翻訳している。 そんなふうに答えたような気がする。 最近

        • 図書館で長い散歩をしてきました。

          まだまだ夏まっさかりの日曜日。 図書館にいくために待ち合わせした。 この間は七月にそこを訪れた。 街の風景は少しひそやかになっていて。 お祭り風景も浴衣の人たちもだれも そこにはいなかった。 空はまだ入道雲がこれでもかと出ているけど。 街は季節を着替えようとしていた。 同じ町の違う横顔をみたみたいで、すこしだけさみしかった。 図書館に行く前には駅からすぐの昭和テイストばりばりの 純喫茶にはいってランチする。   その純喫茶は二度目なのだけど。 今まで気になりつ

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          夏へ短い手紙を書くとしたなら。

          春も秋も冬も。 気がつくと季節はそこにいて。 皮膚感覚として好きとか嫌いとか 色々言ってしまうのが人だけど。 この夏はほんとうに嫌われていて。 わたしもたしかに嫌っていた。 でも夏が終わると思うとどこか 心寂しくなってしまうのは 恒例の気持ちのグラデーションだけど。 いろいろあったね。 この夏、わたしは人に出会うのが楽しくて しかたなかった。 むかし引きこもっていたわたしにも 教えてあげたいぐらいだ。 母の介護らしきものが生活のなかに 馴染んでやっと四カ月半。 母

          しあわせなピリオドと、はじまりと。

          ①はじめて夏バテみたいなものを経験して。 体調というものは簡単に崩れてしまう ものなんだなって思っていたら、もう9月に いつのまにかなっていて。 その間にお知らせしなければいけなかった ことなどごてごてになってしまっていました。 去年の11月にイラストレーターのイシノアサミさんと ご一緒した絵本、「どこかでだれかが」が BASEにてようやっと完売いたしました。 ゆっくりやっていきましょうねってふたりで 約束していたので、ほんとうに最後の一冊が 在庫としてゼロになったとお

          夏風邪と三ツ矢サイダー。

          あーって扇風機の前で言ってみる。 あーってふるえる声が辺りに放たれる。 蝉が鳴いていた。 いつか網戸に蝉がくっついていて、部屋中に 蝉の声が鳴り響いていた。 あんなに思い切りなにかを言えたらすっきり するだろうなって夏の蝉に勝手に憧れる。 あー風邪ひいたかもしれん。 大学の終りの夏。 卒論疲れを感じていたわたしは 身体だけが取り柄だったはずなのに風邪をひいて、彼の部屋で悔しがっていた。 おでこに手をやるんじゃなくて、おでこで熱を測るあれをやってくれて、すこしだけお

          「安全な場所に居続けてください」、もうひとつの意味。

          もうひとつまえの台風が、やってくるとテレビのニュース 番組でアナウンスされていた時に、耳に止まったのが このフレーズだった。 安全な場所に居続けてください。 もちろんこれは災害に向けての命を守るための文言だし。 この文章の意味以上の意味はないのだけど。 わたしはすぐに思った。 ほんとうに、そうしたいと。そうありたいと。 Xとかを柄にもなくはじめてみたのが二年前だった けれど。 やり始めてみると、やたら内省するようになっていた。 内省し始めると、わたしのメンタルは

          「安全な場所に居続けてください」、もうひとつの意味。

          デーモン笹ヶ瀬の夜はふけて

          こちらの面白そうな企画に参加させて頂いています。素敵な企画をありがとうございます! ゚*。,。*゚*。,。*゚*。,。*゚*。,。*゚゚*。,。*゚*。,。*゚*。,。*゚*。,。*゚ 桃山台駅で降りる。シースルーエレベーターで直行しようと思ったけれど、 その前に明日終わってしまうらしい移動式カフェ<マンダリン>に寄って、最後のテイクアウトをしようかと思う。こういうのを良心っていうのか、社交っていうのかよくわからん。けれど。今までありがとうおいしかった的な会話を頭ん中でシ

          大人びた気持ちを夏の栞にして。

          時間が後戻りしたような純喫茶店にわたしたちはいた。 むかしの昭和の家庭にあったような、ひものついた 電球がふたりの客席の頭上にあって。 そのひもは引っ張ってはいけないのですよといわん ばかりに、くるんとその半円級の丸みにそって ちょんと上の方にしまわれていた。 その駅に着いた時から街はにぎやかで。 阿波踊りが催されることになっているお知らせや ブース、出店などが通りに沿って設置されていた。 店内の窓側の席。 すこしくすんだ曇りの日にみるような曇ったガラス 窓の下には浴

          あやまちに馴染みたい、夜だった。

          罪とは言わないまでも、その場所に居る人に とってはちょっとした心地よくないことを してしまうことってある。 どうしてそんなふるまいをしてしまったん だろうって、忸怩たる思いに駆られることも ある。 じくじたるってほんとうに凹んできそうに、 重たい漢字だな。 ほんとうは全然違うことを書こうと思って いたけど。 この間、大好きな作家の方がもうこの世には いらっしゃらないお知らせをTwitterで 知って。 あの話に出会いたいと㏚誌「花椿」をめくっていた。 <過ち>につ

          ブランコが境界線を教えてくれたように(創作大賞感想)

          傷みをまっすぐてらいもなく書ける人に 憧れがある。 じぶんの何処が痛いのかちゃんと見つめることで、もういちど痛んだじぶんを再現する ことができる強さ。 わたしは北野赤いトマトさんの小説が とてつもなく好きだ。 好きだという時の好きはいつもすこしずつ アングルを変えてそこにいるけれど。 今回の作品はオムニバス小説としてずっと ライフワークのように書き続けられているもの。 いつも「ドライブインなみま」がいい味を出している。 今回も冒頭から、その輪郭をあらわになかなかし

          ブランコが境界線を教えてくれたように(創作大賞感想)

          PTA、なんにも知らないことばかりだった(創作大賞感想)

          わたしはPになったことが生まれてから一度も ないので、PTAのことを母がやっていたという こと以外なんにもしらない。 知らないのだけど。友人達が母親になった時 時々話を聞くことがあった。 その度にその環境にないわたしは彼女たちが 言っていることのほんの少しでも理解していない というもどかしい思いをしたことがある。 今回わたしはその知らない世界をすこしだけ 知る機会を得た。 Mrs.chocolateさんのこちらの記事。 これはchocolateさんが「地区委員長」にな

          PTA、なんにも知らないことばかりだった(創作大賞感想)

          家族は作るんじゃなくて、なってゆくもの。その間にはいつも「おいしいごはん」があった。(創作大賞感想)

          年齢を重ねると、じぶんが育ってきた 「家族」って如実に輪郭をあらわにしてくる。 ああわたしはこの「家族」の一員になることが最初から決められていたのだな。 あんなにぶつかりあったのに、 ふしぎなことよ。 みたいに思うことがよくあって。 若い時は「家族」がうっとうしかったし。 ひとりになりたいねんっていつも思ってた。 いつもその時に考えているのはじぶんの「心」であり、「気持ち」であり、これからどうしようでも笑っていたい楽して暮らしていたいという甘えた想いだったような気がす

          家族は作るんじゃなくて、なってゆくもの。その間にはいつも「おいしいごはん」があった。(創作大賞感想)

          「好き」になるには理由があった。(創作大賞感想)

          和菓子屋さんもいいけれど。 洋菓子屋さんのあのガラスケースの中は 幾つになっても、心が躍る。 味覚の中でも「甘い」には弱い。 甘いのなかでもあの「モンブラン」を えこひいきしながら「モンブラン」愛を 綴った方、もつにこみさんのこのエッセイが 好きだ。 わたしも小さい頃からモンブラン好きですよって 思っていたけれど。 もつにこみさんの「すき」はもっと次元の 違う「すき」にあふれてて、清々しい。 みんな「すき」はもっと語ろうよって思えて しまうほど。 そうモンブランの

          「好き」になるには理由があった。(創作大賞感想)

          AI画像と文章がゆるぎなく一対一で向き合っている。(#創作大賞感想)

          いつもわたしは少し不思議になる。 みんな言葉をどんなふうに読んでいるんだろうと。 わたしは癖なのか、小説の言葉を目で追っている とき、そこには脳内でビジュアルを変換させながら 読んでいる。 ゆえに、わりと描写のこまかい作品がすきだったりする。 書く時も然り。 書く時は頭の中にある映像を言葉に翻訳している。 そういう経験をはじめてしたのは『マディソン郡の橋』 だった。 とつぜん読むスピードで映像がわたしのなかに立ち上がって きて、今脳の中で何が起こっているのかとす

          AI画像と文章がゆるぎなく一対一で向き合っている。(#創作大賞感想)