【秋ピリカ】わたしを束ねないでください。
ちいさな紙の束をたばねる。
ちいさな会社のちいさな資料だ。
失くしてしまったとして誰も困らないような
そんなささやかな紙の束だ。
はじっこを出来るだけあわせて、ばらばらにならないようにカキンとやる。
紙がすこし分厚い時。
あの指にかかる微かなステープラーの圧力の中には、みえないぐらいの罪悪感が潜んでいる気がする。
紙を束ねているのにいつからかじぶんを束ねているように思ってしまう。
紙谷栞は、名の如くもはや紙なのだ。
名も知れぬ紙だから平気で誰かに束ねられてしまう。
佐伯課長の机に用途のわからない硝子の器があった。
濁ったぽってりとした硝子の器の内側で蛾が休んでいることを発見した。
はじめからいなかったもののように、ふるまいながら。
ふいに雑紙一枚を擦りガラスの広口からそっと下ろしてみる。
蛾は紙のきざはしを上がって来る。
窓の外へと放った。一瞬開け放った時、夏と秋が交じり合ったような風が吹き抜けた。
資料には明治半ばから末ぐらいのホッチキスの写真がでてきた。
「どんな物にも、始まりのものがある」という文章から始まっていて
束ねることが仕事だった道具のはじまりを思った。
人々はその昔、何を束ねていたんだろうと思いを馳せる。
その頃のホッチキスからはどんな音がしたんだろう。
わたしは職場に来ても日々束ねることしかしてないような気になって、溜め息が出た。
その溜め息の音が届いたはずもないのに、夏島がこっちを見て目線だけで微笑んだ。溜め息がそのまま彼の顔を掠めたみたいで、なんとなくばつが悪くて、わたしはすごく不器用に笑った。
夏島はあれの返事を待っているのだ。
ふたたびカキンとやる。なにもなかったところに傷がついたみたいで、微量の罪の意識がよぎる。
「いろいろ考えずに、俺の言うことだけを信じて付いてこればいいんだから」
夏島に言われた。喉ぼとけは錨の様に上下していた。その喉元ごとマリアナ海溝海にでも沈めてしまえたらどれだけよかっただろうと一瞬よぎった自分のことは嫌いじゃない。
紙谷栞のなかで頭の中の糸がせめぎあいぷちんと切れた。
すべて終わったと思った。
こういうときに使うすべては、ほんとうの意味ですべてだ。
ステープラーの音を聞きながら。
わたしにも武器があると思うとすこし心が華やぐ。
束ねられない時のわたしは案外強いのだ。
まえぶれもなく、指を切ったことがないだろうか。
悪意もないのに切ってしまえる紙のことを思ってすこし微笑んだ。
会議室の机の上に資料をセッティングし終わると、富樫先輩はすごくとんがった表情で化粧直しのためにドレッシングルームへと急ぐ。プレゼンに臨もうとしているいつもの顔だ。
バカみたいにステープラーを握っていたせいか、親指と人差し指が炎症をおこしたみたいに熱を持っていた。
わたしを束ねないで、夏島の横顔に向かって紙谷栞は呟いていた。
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※こちらの小説は詩人の新川和江さんのご著書『わたしを束ねないで』(童話屋)よりインスパイアされて作りました。