孫子 「彼」を知り己を知れば百戦殆からず / バレットタイム撮影の様に捉えて戦場を盤面化する
※バレットタイム撮影=マトリックスの360°撮影、あのスロー映像弾避けの有名なやつです。
※原文コピー
「知レ彼知レ己、百戦不レ殆。 不レ知レ彼而知レ己、一勝一負。 不レ知レ彼不レ知レ己、毎レ戦必敗」 ※レ=帰り点
「知彼知己、百戦不殆」
最近note内で偶々読んだ別々の人、投稿年も違う2人の記事に「敵」を知り己れを知れば百戦危うからず、と書いてあった。
確か「彼」だった筈と思い調べると、矢張り原文は「彼を知り己を知れば百戦殆からず」でした。2人が読んだ本にそう書いて有ったのだと思う。上の原文には「敵」の文字は無い。
いかにも日本人な考え方だと思います。共感出来るか?敵か?味方か?悩み、考える事が面倒で、それを手放したい人達が沢山居る。その人たちのニーズに応えて行く内に「彼」を「敵」に、日本人がしてしまいました。
(先に書いた2人は読書家なので、むしろ膨大に考え、悩むタイプの人達です。著者が知らずに間違えたのか、意図的にウケを狙って改竄したのか?どちらかだと思いますが、どうなんでしょう。)
「戦場の盤面化からの俯瞰」
孫子は「彼」と「己」の視点から見える世界を、グルグル高速で何度も入れ替え、回し続けて行けば、映画マトリックスの360°撮影の様に戦場を理解出来る。
そうして立体化し、将棋の盤面を俯瞰する様に観れる様に成れれば、勝てなくとも大敗はしなくて済む。と孫子は伝えたかったのだと思っています。
将棋を自分一人で交互に打ったなら、勝負は中々決着しないと思います。当然、自分には実現不可能ですが、、、それに近い事を実現する人が現れる事も事実です。(三国志、呉の陸遜は負けた記録が殆ど無いそうです。)
「中国と日本の違い」
中国と日本は条件がかなり違います。兎に角広い、それに孫子の時代は始皇帝以前の、七国が統一される前の状態です。
孫子がそもそも存在したのか真偽は分かりませが、呉の国に所属して居たらしいです。今でも長江より北と南では相当文化生活に違いがあるそうです。(呉は地図で右下、長江以南で温暖多湿。移動は南船北馬、武術は南拳北腿、等の南北の違いを表す言葉が日本にも伝わってます。)
文化、食生活、言語、気候も違う国に攻め込み、そこを統治するのは大変です。統治に大変な手間を取るより、和睦して金で解決するパターンも沢山有ります。
なので総玉砕せず、被害を最小に抑え再起を図る考えが中国では強いです。実際かなり短期間で勢力図がひっくり返ります。
日本より広い領土を維持する、攻め来る相手を撃退して追い返す。専守防衛するだけで本来の目的は達成出来る。そこがビジネス書と兵法書の目的の違いだと思います。
ビジネスは利益を出す=勝つに近い
生活を維持し国を守る為に戦う=負けない様に戦う
そもそもビジネス書ではない本を、ビジネス書に置き換える事自体、筋違いなのでは無いのか?と思います。ビジネスの為だけなら、もっと適した本が沢山有る筈です。
本を売る権威付けの為に「孫子の兵法書」と名を利用し、誤解される「孫武」が不憫です。
そう言えば何かと言うと未だに「儒教的」と付ける人達には辟易します。千年以上経って、まだ日本人は儒家思想を自分達の物に出来て無いと、自ら言っている様で恥ずかしい言葉だと思います。
(※自分が儒家思想を体現出来ていると言う訳では有りません。口に出して使う言葉では無いと言う意味です。)
ネット上に溢れかえる上手く行けば、日本人は自分達なりのアレンジが上手い。上手く行かなければ中国の思想が悪い。
それが西洋思想→アメリカ→最近は北欧でしょうか? そろそろ、また中国かインドの出番ですかね。どちらにせよ、いい加減な話しです。
最後のチェック中に思い出しました。憶え方は「顔尻、己お尻」です。(かをしり、おのれをしり)確か、「コータローまかりとおる 柔道編」に載ってました。上手いですよね。
「匹夫の勇」も日本には根付かなかった、そう思います。でも「HIPのYOU」は根付いた様です。