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世の中どうよ

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世の中、社会、不満もありましょう。憤りもありましょう。ほっとするニュースがあればいいですね。自分もその中に確かに存在する、その世の中。少しでも別の視点があれば、シェアしたいなと思…
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#聖書

タブレット端末

タブレット端末

会社で、集団健診が行われる。年に一度、定期的な検査だ。面倒な気もするし、胃透視はなかなかハードである。検査結果もいろいろ引っかかってきたが、病気を見つけてもらった、という意味ではありがたいことこの上ない。
 
但し、近年9月にそれが割り当てられている。できれば、9月というのは避けてほしい。夏期講習で乱れた生活と疲労した体を背負った結果が、そこに出てくることがあると思うからだ。
 
仕事は午後、いま

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言葉の変化

言葉の変化

「ちゅらさん」の再放送を見ている。主人公の恵里ちゃんのぶっとんだところには、むしろ心が洗われるような気もするのだが、看護婦になっての成長もまた見所ではある。ドラマは元々2001年に放送されていた。
 
と、ここまで、何か引っかかるところはなかっただろうか。言葉である。ドラマではすべて「看護婦」という語が飛び交っていた。いまは「看護師」という。男女雇用機会均等法などの背景があり、男女の呼称の区別を撤

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コロナ禍はまだ顧みる段階ではないが

コロナ禍はまだ顧みる段階ではないが

命に関わる情報なので、迂闊に素人の発言に全幅の信頼を寄せることはご遠慮ください。しかし、本当かどうかご確認戴くことは歓迎したい。
 
2023年5月中旬から、新型コロナウィルス感染症の新規感染者数や死亡者数を発表しなくなった。それは、医療機関に、逐一所定の形式で毎日報告する義務を課さなくなったということである。医療機関は、少し助かっている。但し、それが感染に関して安全になった、ということを意味する

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他者と自己

他者と自己

対面セールスで「お母さん」と若手社員がご婦人を呼ぶ。「私はあんたを産んだ覚えはありません」とぴしゃり。こうしたお笑いネタは、実はごく日常的であるとも言える。
 
ある人は、子どもを前にしては母親であり、自分の母親を前にしては娘と呼ばれる。生徒を前にしては先生であり、姉がいれば妹となる。会社で部下がいれば上司であるだろうし、売る店の中に来れば客となろう。
 
人は、本当に自分一人であったとしたら、自

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ダメ男がモテる話

ダメ男がモテる話

ダメ男が、ふとしたことから、モテ始める。ダメ男というのは言い過ぎかもしれないが、本来いわゆるモテタイプではなく、ダサい部類にしっかり入っているような男の子、あるいは非常にオクテであるような男の子が、とびきり可愛い女の子に好かれ、それを見てまた他の女の子たちがその男の子の周りに集まるなどして、男の子は可愛い女の子たちに囲まれ、奪い合いのようにされる。でもどの子を選んでよいか分からないことも……。
 

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個性について

個性について

いわゆる「キラキラネーム」。誰がこのきらびやかな名称を考えたのかは知らないが、実際子どもを対象にした職務に就いていると、現代は、もはやよみがなが記載された欄がなければ、子どもの名を呼ぶことさえままならぬ社会となっていることを痛感する。
 
果たして、人に読めない文字が、名の役割を果たすのであろうか。古来、名を呼ぶことはその存在の本質を知るということと考えられていた。名を明かさないことで、秘密の力を

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ドラマや映画は虚構となった

ドラマや映画は虚構となった

新型コロナウイルス感染症が警戒された当初は、得体の知れない疫病に、人類は怯えるしかなかった。海外からの悲壮な映像がもたらされることで、日本は、学校を休校するという事態になり、さしあたり人々はそれを受け容れた。さながらあの時の風景は「沈黙の春」であった。
 
テレビや映画の撮影はストップした。連続ドラマも途中で止まり、NHKも最初のほうから再び巻き戻すように放映した。その他、収録が厳しくなった各テレ

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警告

警告

自分もまた、不愉快なことを言ったり、したりしているはずだ。悲しい哉、自分ではそれを、相手が感じるようには認知できないのが常なので、たとえ自ら気づいたにしても、相手が感じることとの温度差は否定できない。世にある加害者と被害者との理解の相違というものが、それを如実に表している。
 
だから、自分が嫌なことをされた、と意識したときにも、した側は悪いことをした、とは思っていないだろう、と考えるのが、ひとつ

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世の終わりを

世の終わりを

聖書は、「世の終わり」について、しきりに叫ぶ。ユダヤ文化の時間概念の中には、直線的で、終末がある、という観点が確かにある。
 
日本史でも「末法思想」というものがあった。仏教思想に基づくもので、たとえば平安から鎌倉時代に大いに広まった。ブッダの思想が、衰える、あるいは滅びるというような考え方に基づいているのだという。
 
当時は、武士の台頭により、歴史が大きく変わる頃であった。世の乱れや変化を見て

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大学と問い

大学と問い

私は不良高校生だった。社会悪をしていたという意味ではなく、勉強に不誠実だった、という意味だ。しかし、優等高校生も世の中にはたくさんいる。ストイックに受験勉強に向かい、目的を達成して、花の大学生活が始まった人も多いだろう。
 
そこへ待っている魔の手がコミカルに表現されたのが、「四畳半神話大系」で、いま福岡ではそのアニメが放映されている。再放送らしいが、私は初めて見たので、新鮮に喜んでいる。実にクリ

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戦争犯罪

戦争犯罪

「戦争犯罪」という言葉が、どうにも馴染まない。私の心に入ってこない。
 
言おうとしていることが、理解できないわけではない。「戦争」にも何らかのルールがあるのであって、ルールを犯すときに「犯罪」という言葉が使われるのだろう。だが、そのとき「戦争」というものは「犯罪」とはまずは関係がないというような捉え方を示しているわけで、互いに殺し合うことには「犯罪性」がないということでよいのか、という引っかかり

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カルト宗教に注意

カルト宗教に注意

息子が大学生となった。入学式には、学生は入ることができたが、保護者はだめだった。そのためいまはネット配信というものがあり、家でそれをずっと見ていた。
 
式の後のオリエンテーションまで配信してくれ、学生生活の注意などがアナウンスされていた。その中でまず、気をつけてほしいということで、そのために制作されたアニメーションがひとつだけ流された。アニメとは言っても、紙芝居的なものだったが、ストーリーも声も

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キャッチボール

キャッチボール

キャッチボールをする親子を、昔は時折見かけた。だが、いま見ることがない。昔はありきたりだった風景も、時と共に見られなくなり、それに伴い、生活様式だけでなく、考え方や文化まで変わってしまうという法則をここにも感じる。
 
そもそも、キャッチボールができる「広場」がなくなった。整備して設置された「公園」は、決まって「キャッチボール禁止」である。できる場所が身近にあるというのは、特権的な価値があるといっ

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流されないために聖書を

流されないために聖書を

流されたくない。自分の道を進みたい。若者でなくても、そんな願いを懐くことがあるだろう。いやいや、世の流れに乗ることこそ人生だよ、と嘯く大人もいることだろうが、そうでないタイプの人に聖書をお薦めする、という主旨の拙文である。
 
まず言いたいことは、いま止まっているようなことでも、一度何かが動き始めたら、大多数が一気にそちらに流れていくだろう、ということ。人々の考えが、Aという意見がいま強いとする。

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