記事を投稿する際に気を付けていること 自分の衝動を大切にしよう 精神的高齢者の弊害 孤独死を心配する小泉今日子さん
今日は、noteで記事を書く際に私が気を付けていることについて述べます。なお、当記事のネタを下さった方は、尊敬する習慣応援家shogoさんです。もちろん、この方とは相互フォローをしている関係です。
今日初めて彼をお知りになった皆さんは、習慣応援家shogoさんをフォローをしておいても絶対に損はないです。すべてにおいて有益な記事ばかりです。本当です(キリッ)!!!🐼🐼🐼
本題に入る前に、大切なことを2点書いておきます。
「あなたの記事が紹介されました!」について
今日の午前中に下の通知が来ました。記憶が曖昧ですが、昨年1年間は20回以上この通知が来たはずです。もしかすると30回以上だったかもしれません。
それで、習慣応援家shogoさんの記事を読んで、正確には記事タイトルを読んで、今日の私の記事を思い付きました。感謝です。
私の記事が紹介された記事がこちらです。
noteクリエイターは記事紹介を積極的に行った方がベター
時間的にも精神的にも余裕のある人は、この記事紹介を積極的に行った方がベターです。
一見紹介された人が一番得をしているように感じるかもしれませんが、それは違います。
間違いなく記事紹介をした人の方がメリットが大きいです。
もちろん、記事紹介は、自分のメリット・デメリットを考えて行うものではありません。
自分が感動して、どうしても「その人」や「その記事」を紹介したくなった時に行えばいいのです。
心から込み上げてくる「自分の衝動」を抑えその時に行動しませんと、あとで必ず後悔します。
私たちnoteクリエイターは、この衝動を文章で表現しています。noteクリエイターは、芸術家の一種です。<もちろん、ほとんどが素人芸術家です。私も含めて。>芸術家は、まさに自分の衝動を様々な形で表現しています。
そう言えば、昔、「芸術は爆発だ!」と発言した人がいます。この方は超有名な岡本太郎さんです。岡本太郎さんは、もしかすると心からの内なる衝動を「爆発」と表現していたのかもしれません。
ご存知ない方でも「太陽の塔」の制作者と言えば、彼を思い出すかもしれません。「太陽の塔」は、1970年の日本万国博覧会(EXPO'70・大阪万博)のテーマ館の一部として建造されました。そして、万博終了後も引き続き万博記念公園に残されています。
岡本太郎さんの本を読んだことがあるのですが、やはり、天才でした。
個人的には、この衝動が無くなった人を「精神的高齢者」と呼びたいです。つまり、実年齢が若いにも関わらず高齢者が存在するということです。十代や二十代でこのような衝動がない人は、すでに精神的高齢者と言えます。
自分の中に毒を持て<新装版> (青春文庫) 文庫 – 2017/12/9
私が読んだ本はこれです。今はkindle版もあります。ちなみに、アマゾンの評価は、星6,332個でした。やはり、化け物です(笑笑笑)。もちろん、私の最大賛辞ですよ、化け物とは。
ここからが今日の記事の本題です。前置きが長くなってしまい非常に恐縮です。
締め切り時間の3時間前にはある程度記事を仕上げて置くこと
私たちnoteクリエイターは、基本的に素人集団です。そして、自分が書いた文章を誰かが推敲したり添削したりしてくれるわけではありません。そのため、誤植や表現の間違いが多くなります。
そのことを避けるために、私は自分の締め切り時間の少し前に記事を仕上げておきます。そして、記事投稿時間の1時間ぐらい前に、仕上げた記事を読み返します。
その理由は、その方が自分の記事を冷静に読めるからです。
最近の私は午後6時頃に自分の記事を投稿しています。ということは、大抵の場合、午後3時から4時頃までには一応自分の記事が仕上がっていることになります。
このやり方には唯一欠点があって、それは直前になって書き漏れに気が付くことです。それが長文の時は最悪で、締め切り時間のギリギリまで書いている時があります。たまに、私の投稿時間が午後6時を過ぎる時があります。このような時は午後6時直前まで記事を追加していたことになります(笑)。
なお、これは私の裏話なので「ここだけの話」です。内緒にしていただければ幸いです(笑)。
曖昧な表現は必ず調べること
私の表現力の多くは、読書と耳から入ってきた情報によるものです。そのためある表現が頭に浮かんだ時に、それが正しいかどうかがわからない時があります。そのような時は必ずネット内で検索して、その表現が正確であるかどうかの確認をしています。
私の実感では、10回中4回は間違っています(笑)。さらに、10回中2回はその語彙や表現の意味を正確に理解していませんでした。ですから、確認することは本当に大切だと思います。
同じ表現をできる限り避けること
同じ表現を繰り返すことはできるだけ避けたいものです。
例えば、小学生の作文を読んでいますと、その語尾が永遠に「~だと思います」と続く時があります(笑笑笑)。
これと似たようなことを行っている大人たちを見かけますと、私はその人たちの記事を二度と読みません。
ということは、もし私が似たようなことを行っていれば、同様に呆(あき)れられて速攻で立ち去られている可能性もあるわけです。
語彙力を少しずつ増やせるように過去に使用したことのない言葉を使用すること
これはいつも行っていることではないです。比較的時間に余裕のある時に行っています。
それは、自分が書いた記事の表現の中で言い換えができる部分がないかと考えることです。
そして、自分でその代替表現が思いつかない時は、必ずネットで調べています。そうしますと、毎回100%その代替表現がヒットするのです。
その検索結果によって、私の語彙力が少しずつ増えていることは事実です。
noteクリエイター、特に、中高年の私たちは、人生の最期まで語彙力を増やすべきだと思います。
私は、日本人として日本語を巧みに活用しているわけではありません。ましてや、言語学者と比較すれば、私の日本語の駆使力など赤子同然でしょう。
そんな私が日本語の表現力増強を怠ってはいけないと思うのです。
この日本語力増強は、私にとって楽しいことです。ですから、最近半年ぐらいは継続できています。
文章力より文章量に拘(こだわる)ること
あらかじめお断りしておきますが、この大見出しに関しては、習慣応援家shogoさんに対して異を唱えているわけではありません。その点を誤解せずに読み進めていただければ幸いです。
習慣応援家shogoさんからは、ご紹介いただいた記事の中で人生最大最高の評価をいただきました(笑)。
しかし私は、自分の文章力が日本人全体の中でどの位置にあるのかは、全くわかりません。ある超有名インフルエンサーが私の記事が気になって気になって仕方がないらしいです(笑笑笑)。そのようなマニアやファンがいることは承知していますが、それでも私自身や私の文章にどれほどの価値があるのかは相変わらず不鮮明です。
ここで少しだけ私が文章を書くようになった経緯を書きますと、こうなります。
30歳より以前の私は、文章を書くことに関しては、全くの素人でした。30歳頃から会社の社報を真面目に書いている内に、表現力が徐々に上昇したようです。
そして、40代から50代にかけて、無料ブログやnoteで記事を書くようになって現在に至っています。
その間に、文章のプロや専門家の指導を受けたことは一度もないです。つまり、20年以上、全くの独学でここまで来たわけです。
ということは、文章を書くプロから見れば、私の文章など「野生の猿」レベルではないでしょうか?(笑笑笑)。
「野生の猿」様には失礼かもしれませんが(笑)、これは、それぐらい「独学には罪がある」という私の持論です。
以上の持論により、現時点の私が考えていることは、とにかく長文記事を書くことです。
文章は書けば書くほど、上手になる可能性が高いのではないでしょうか。
そしてこのことは、私の人生論や人生訓にも通じる話なのです。
つまり、「挑戦してみること」や「量をこなすこと」、「経験を積むこと」などが、私の人生論や人生訓の根底にあるということです。
今の私は、文章を書くことにおいても、修業中の身です。
ですから、しばらくの間は、この方針で記事を書いて行きます。
なお、今春からは別のアカウントで全く異なる記事を書く予定です。もしその影響があれば、今よりは文章が短くなるかもしれません。
最後に 文章は自分のスタイルで書こう
最近の日本は言論の自由がなくなりつつあります。それは、例えば、ユーチューブ動画(Google)の制限を見ていれば明らかです。
この傾向は今後も続くかもしれません。私も時代の趨勢には逆らえませんので、それには従うつもりです。
しかし、自分の文章のスタイルに関しては、誰に何を言われても変えるつもりはないです。
自分の文章のスタイルは、私の個性です。この個性を批判する人は人権侵害を行っています(笑)。
日本が衰退し続ける理由の一つは、大人たちや教育関係者たちが幼少の頃からの子どもたちの個性を大切にするような教育を行って来なかったことにあります。
私は人様の文章スタイルを批判しません。自分の好きなように書きましょう。それが個人の楽しみの一つですから、好きなように書けばいいのです。
<余談>長文記事は読者を限定する
記事は読者を選びます。つまり、記事が読者を絞っているのです。
私の記事は、大抵の場合、2,000字を超えます。最近は、4,000字以上が普通です。
ということは、私の長文記事について来れない人は、自然と脱落して行きます(笑)。
でも、私はそれでいいと思っています。
読むことが苦手な人や私の記事に魅力を感じない人は、要するに、ご縁がなかったのです。私は神様ではないので、人様とのご縁まで調整したり支配したりすることはできません(笑笑笑)。
<今日の3行日記>
最近の私は寝坊をすることが多いです。これは早朝の気温低下とも関係があります。私の心臓は確実に回復しているはずですが、この私の身体の気温対応力も無意識に心臓を守っているのかもしれません。
<今日の気になったニュース> 熟睡自慢
58歳・小泉今日子「孤独死しそうで心配です」「外食なんて年に3回くらい」旅行も行かず…私生活明かす
このニュース記事の中段にあった部分を抜粋します。
孤独死なんて全く問題ないです。これからの時代は死亡者の多くは孤独死になります。たいていの場合、一か月以内に近所の誰かが気が付いてくれます。特に、その異臭で。ただし、夏場に亡くなると、蠅が数千匹集(たか)って、遺体が真っ黒になっているところを発見されるそうです。
正直に書きますが、私は自分が死んだ後の自分の体には全く興味関心がありません(笑笑笑)。これは本心です。蠅の餌になるならばそれでもいいと思います。自分の子どもや孫の行く末を心配することはあっても、自分の遺体なんてどうでもいいではないですか。どうせ焼かれて骨だけになるわけですから(笑)。
上の記事に対するヤフーのトップコメントがこちらです。私がこのコメントを見た時にはすでに9,480名の共感クリックがありました。
私がこのコメントを読んだ時の第一感想は、「私は幸福な人間だ!」ということです。なぜなら、私の人生において、99.99・・・%以上毎晩熟睡できているからです。私も熟睡できない辛さを知っていますので、なおさら自分の幸福を実感できております。
イラスト素材:パンダ🐼とソーダ!
このパンダイラストを見て真っ先に思い出したことが、大学生1年生の時に最初にご縁のあった某女性です。私には彼女が絶世の美女に見えましたが、不思議なことに大学4年生まで全く男性とのご縁がなかったそうです。
当時の彼女は早生まれの21歳(誕生日は3月)でした。今思いますと年齢の割には幼かったと思います。最後は喧嘩別れで赤い糸が切れました。しかし、それは黒い糸だったようです(笑笑笑)。というのも、当時私がいた国立教育学部の某学科は教員採用試験の合格率が非常に高かったのですが、彼女は3回続けて落ちています。落ちたことは仕方がありませんが、問題はその言動の幼さです。顔がどんなに美しくても、内面の成長のない女性は結婚の対象にはなりません。
最後までご覧いただきありがとうございます。
今日は5,700字を超えました。
ここまで読み進めるあなた様は凄い人ですね。
感服いたします。