佐藤理江

未来、「まいだーん」埼玉県歌人会、日本歌人クラブで活動中。埼玉歌壇選者。#毎日歌 毎日更新。 第6歌集『最初ギリッとふたを開け』書肆侃侃房・Amazon で絶賛販売中(笑)。

佐藤理江

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最近の記事

私が80になったら

 今日は立冬です。やっと富士山に初冠雪があったそうです。  ところが、6時間前のニュースによれば台風22号は非常に強い勢力でフィリピン辺りに居るんだそうです。  立冬だぜ!?  確かに異常気象だなという感覚は何年も持ち続けてきましたが、今年はもう底が抜けたような不気味さを感じます。  先日、GoogleアプリのGeminiという生成AIに、「あなたのような生成AIを多用するとわが家の電気代は跳ね上がりますか?」ときいたら、生成AIは確かに多くの電力を使うが、個人の家の

    • 少数派ということ

       少数派、マイノリティーと言う言葉の持つイメージは、それを口にする人がどの立場にいるかによってさまざまです。  私は、自分がフルタイムの教師であまつさえ公務員、共働きで母親しかも短歌をやっている少数派であることを嘆いていたことがあります。  職場では女性が少なかったし、そのうち育児中の人は私だけでした。 住んでいるアパートには専業主婦が多かったし、教えている生徒が多い地域に住んでいたので近所の人は利害関係者ですらあったのです。 そして当時の職場にも地域にも短歌なんてやって

      • 写実と私性

        前記事を西巻さんに取り上げられたのですが、 (これですが)https://note.com/cocoatalk/n/ndcb000612612 ちょうど、まったく別の場でまさに似たことを考えていたのです。 先日埼玉県歌人会の講演会があって、沖ななもさんからある質問をもらいました。沖ななもさんは加藤克己の「個性」解散後、「熾」という結社を主催する歌人で、埼玉県歌人会の現会長です。 質問内容を端的に、言うと 「自分の歌を、これは短歌ではないと評価されることが多かったのだが、

        • 中途半端耐性

          すみません、久しぶりに書くのに短歌とは全く別のことです。 もうすぐ選挙があるのだとおもうと、強烈に不安です。 石破首相は、あの先行き不透明感満載の、のらりくらりと煙に巻く言い方が、国民には嫌われると思ったのか、総裁選が終わった途端、急に手のひらを返したようにスパッと真逆のことを言ってきましたね。 まあ、私自身はまだ石破に農業について(農水大臣経験者だし)多少期待するものがあるのでもうちょっと待ってみます。ただ、のらりくらりとした中途半端への耐性の低さってのは、昔から日本

          写実、写実・・・。

           佐藤は昔から、基本的に写実で歌を作っているんです。ただ、初めて歌集を渡して、自己紹介的にそう言うと意外そうな顔をされることがあります。  写実と言うと、なぜかそれが近代短歌的かつ伝統的手法だと思っている人がいて、じゃあ何を新しいと考えているか聞くと「前衛短歌」や「ニューウエーブ」と言う答えが返ってきたりするわけです。  そういう視点で見れば、たしかにわざわざ写実主義を標榜する「花實」から「未来」の、あまつさえニューウエーブの代名詞のような加藤治郎の欄に移った私が写実を主

          写実、写実・・・。

          短歌ブーム

           確かに今「短歌ブーム」なのだと思います。ただ、ブームってどれくらい時間の幅まで「ブーム」なのでしょう?  朝ドラ「舞いあがれ!」は2022年10月3日から2023年3月31日の放送で、終了してからもう1年半近いです。また、やはり朝ドラの「花子とアン」で柳原白蓮が話題になり、同時に短歌にも注目が集まったように思います。この放送は2014年3月31日から9月27日で、ブームは更にぐっと遡ります。    もっと遡れば俵万智さんの「トリアングル」が読売新聞に連載されていたのは20

          短歌ブーム

          子どもを相手に短歌を教える

           短歌ブームと言うこともあって、世の中的に歌人じゃない人を対象とした短歌イベントが増えていいるように思います。  佐藤はいま、埼玉県歌人会に入っているんですが、その関係で去年今年と、夏休みに小学生向け短歌講座の講師をやらせて貰いました。今年は「かばん」の辻井竜一さんとコンビで2日間いっしょにやったんですが、みんなとても乗ってきてくれてとても楽しく、過ごせました。  わざわざ夏休みの短歌イベントに参加するくらいだから、少しは作ったことのある子供たちが来るのかと思っていました

          子どもを相手に短歌を教える

          結局誰の弟子にもなり損ねたかもしれません

           以前ここにも書いたけれど、私は過去、おもに3人の「先生」と言われる人の元で短歌を作ってきました。大学の時は小市巳世司さんに、その後10年間くらい結社「花實」の利根川発さん、その後20年加藤治郎さん、という具合なのですが、大学の時はまあアララギに入っていたわけではないのでともかく、後の2人はそれぞれかなりの年月結社の中でお世話になったわけです。  でも、結局私の歌のどこを見ても「師系」を思わせるようなものはないなと、ホントにないなと、自分で見てもびっくりするほどないんです。

          結局誰の弟子にもなり損ねたかもしれません

          歌集『箱船』批評会あれこれ

           私は平成17年10月8日に第二歌集『箱船』で批評会を開催させてもらいました。会場は以前は神楽坂にあった日本出版クラブ会館でした。  会場確保やパネリスト依頼をして要項がすっかり決まり、出席者募集の往復葉書を投函したときは、これでもう進むしかないのだ、とちょっと恐ろしい気持ちでした。  歌集批評会には、お客さんとして参加したことは何度もあったので、それがどういうものか見当は付いていました。しかし、いざ自分がやるとなると想像以上に大変で、手伝ってくれた彗星集の仲間には言葉に

          歌集『箱船』批評会あれこれ

          未来短歌会には20年以上いさせてもらってます

           前にも書いたように、私は22歳の時初めて短歌結社というものに入り、もうかれこれ36年経つのですが、そのうちの21年を未来短歌会で活動しています。  ご存じの通り未来は大きな結社ですので、よく、「大きいところでの活動は大変でしょう?」と言われることがあるのですが、月刊で結社誌を出しているところは、小さな結社なら割り付けも校正も会計処理も当然少ない人数でやるはずだし、結局大変さは同じだと思います。伝統ある結社なら年次大会も行うでしょう。  また、大きな結社は他にもありますが

          未来短歌会には20年以上いさせてもらってます

          彗星集J歌会

           私は彗星集発足に少し遅れて未来に入ったのですが、歌会に出てみると、すでにタイトルホルダーの歌人や雑誌で良く名前を見かける歌人と同席することになり、単純にうれしかったことを覚えています。  彗星集の歌会は「J歌会」と呼ばれています。  初期のころの歌会は隔月で、前半は2号分の月詠合評、後半は研究発表という形でやっていました。会場は渋谷のルノアール・マイスペースや勤労福祉会館でやることが多かったと思います。1時半から5時までたっぷり時間を使い、毎回終わったときはヘトヘトでし

          彗星集J歌会

          新人賞もろもろ

           ちょっと話が前後するのですが、ずっと遠ざかっていた総合誌新人賞に応募していた期間がありました。まあ、「うたう」がきっかけです。  2001年と2002年の短歌研究新人賞は2首掲載でした。2003年の歌壇賞は予選通過25人には入りましたが選者の点は入っていませんでした。短歌研究の方は5首掲載でした。2004、2005、2006年は箸にも棒にも。2007年にやっと短歌研究で最終選考に残って10首載りました。総合誌の新人賞に出したのはそれが最後です。  じつは2005年に第2

          新人賞もろもろ

          未来に踏み込む

           また大分経ってしまいました。G・Wも母の日もとっくに終わってしまいました。  実は自分の歌が初めて掲載された「未来」を押し入れの奥から探し出したものの、それで満足してほったらかしになってしまいました。書かなくてはいけない原稿がいくつかあってやっとその「未来」をパラパラ眺めているところです。  前回は第1歌集を出した翌年早々に未来に入れてもらったように書きましたが、よくかんがえるとそうでもありませんでした。  というのは、未来誌上で彗星集が始まったのが2003年10月号

          未来に踏み込む

          第1歌集が出来てから

           さて、第1歌集『虹の片脚』が出来てから大変だったのは謹呈です。  謹呈という言葉は知っていましたが、誰に送るべきかと言うことは全く見当も付いていませんでした。注文の冊数が丸々送られてきた記憶がありますので、代送サービスは歌葉になかったか、あっても使わなかったのです。  段ボールの中の本は、最初からビニールで封をされた個包装の状態でしたので、今思えば封筒にそのまま入れても大丈夫だったのですが、緩衝材代わりに換気扇のフード用不織布シート(笑!)にくるんだりしていました。

          第1歌集が出来てから

          第1歌集が家に届くまで

           第1歌集を出したときの話の続きです。    「歌葉コース」での出版が認められてから、コンテンツワークスという会社と印税や装丁についてなどの決め事があったのですが、実務的なやりとりは全て荻原さんを窓口として行いました。  表紙絵は高校時代からの友達であるジャンプ作家の浅美裕子さんに依頼し、彼女との交渉ごとも荻原さんにしていただきました。  それらが終わって、原稿完成までのサポートを加藤治郎さんか穂村弘さんのどちらにお願いするかを聞かれまして、私は悩んだ結果、加藤さんにお願

          第1歌集が家に届くまで

          「歌葉」というレーベル

          私の第一歌集はSS-PROJECT(エスツープロジェクト・・・荻原裕幸さん 穂村弘さん 加藤治郎さんのグループ)が運営する歌葉(うたのは)レーベルから出した『虹の片脚』という本です。2002/10/10に発行しました。 歌葉は現在はもうないレーベルですが、従来の歌集概念を覆す画期的なものでした。この企画は2001/1/28に「@ラエティティア」というMLで発表されました。ただ、私自身はこのMLに入っていなかったので、何処でこれを知ったのか覚えていません。https://ww

          「歌葉」というレーベル