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中途半端耐性

すみません、久しぶりに書くのに短歌とは全く別のことです。

もうすぐ選挙があるのだとおもうと、強烈に不安です。

石破首相は、あの先行き不透明感満載の、のらりくらりと煙に巻く言い方が、国民には嫌われると思ったのか、総裁選が終わった途端、急に手のひらを返したようにスパッと真逆のことを言ってきましたね。

まあ、私自身はまだ石破に農業について(農水大臣経験者だし)多少期待するものがあるのでもうちょっと待ってみます。ただ、のらりくらりとした中途半端への耐性の低さってのは、昔から日本社会はそうなのかな、あのわかりやすい手のひら返しの方に日本人がうっかり寄って行ってしまったら困るなと言う気持ちがあるのです。

余り上手く出来そうもないことに「わざわざ」手を出す人を愚かだと考えたり、言い出して最後まで完成出来ない人を無責任だとばかにしたり、中途半端にやるんだったらやんない方がましと考える人って多いじゃないですか。あるいは、政治家になる気もないのに社会を批判するのは無責任とか言う人も。

でも、何かを言い出して、最後まで出来るか分かんないのに始めた人は偉いのだし、中途半端にでも手伝う人は手伝わない人より偉いですよね。中途半端な状態から逃げてばかりいると、却って無責任な愚か者になっちまうと思います。(別に首相をかばっているわけではありません。)

てか、中途半端なんてホントはなくて、その時その時が全部何かの区切りなんですよね。

他人の活動成果が自分たちのイメージした完成体と違うからって、だれかがそこまで積み上げた実績を挫折扱いして笑う社会は、ただ中途半端に対する耐性が低いだけであってみっともない。

そういう社会は受け継ぐものを持つ覚悟がない社会です。そういう社会を私は尊敬出来ないです。

唐突にいま思ったんですが、中途半端に耐えられない人って短歌にもむいてないかも。

そして不全感のままに終わる(笑)。

 こんなまどろこっしい文章ですが、よろしければサポートお願いします。  あたし、いつもふと気づいたことはいっぱいあるんですが、ほっとくと忘れちゃうんですよ。  で、ここではもうちょっと落ち着いて深く考えてみたことを書いて見ようとしているんです。