少数派ということ
少数派、マイノリティーと言う言葉の持つイメージは、それを口にする人がどの立場にいるかによってさまざまです。
私は、自分がフルタイムの教師であまつさえ公務員、共働きで母親しかも短歌をやっている少数派であることを嘆いていたことがあります。
職場では女性が少なかったし、そのうち育児中の人は私だけでした。
住んでいるアパートには専業主婦が多かったし、教えている生徒が多い地域に住んでいたので近所の人は利害関係者ですらあったのです。
そして当時の職場にも地域にも短歌なんてやっている人は居ませんでした。
これらひとつひとつのことで私はしばしば窮地に立たされましたが、この状況で私が一番気に病んでいたことは、自分の悩みが贅沢な悩みで、口に出すべきではないという思い込みでした。
なにしろ悩みの種は全て私自身が望んで手に入れたものなのです。これが私の孤独感の元なのだと相談されたらきっとドン引きされる、下手したら非難されるのではないかと思っていました。
私がムキになって短歌をやっていた時期(今も結構そうですが)は特にそうでした。口に出せないことは短歌にすることが常でした。そして「短歌があるから生きてゆける」とまで思っていました。
しかし改めて考えるとおかしなはなしです。母親をやめることはできないし、家を買ってしまったから仕事を辞めるわけにも行きません。手放すのが一番簡単だったのは短歌だったはずなのです。
子育てと仕事の両立が一番大変だった時期にわたしは2,3年おきに続けて3冊も歌集を出しました。大して認められもせず、一部屋在庫でいっぱいにして、夜中封筒詰めをしたり、土日に何度もクロネコヤマトに段ボールを持ち込んだり、家族にも理解されなかったけど私はそれをやめられなかった。
それは、短歌だけには1ミリも「やむをえず」の要素がなかったからです。そして、短歌に関しては少数派であることが全く苦ではなく、むしろそうあるべきだと私には思えました。
少数派を更に突き詰めて行くと「個」になります。何人かで同じ風景を見ていたとして、私には私だけの角度からしか物を見ることはできません。その時の心の有り様は私のものだから、同じ風景をみんなで見ても同じように感じる必要はない。むしろそっちの方が正しいのだ。
この思いつきは私を元気にしました(ちなみにこれは、私にとっての「私性」の気付きでもあります)。
そして、電磁石のように電流を流しているときは「私たち」になり、電流を止めた習慣から「私」になることで、短歌以外のこと(それは結社での短歌活動も含めてですが)と短歌そのものを区別出来るようになりました。
強固に「私」を求める短歌があったから私は「私たち」として普通の生活人を生きられたのだと思います。そしてどんどん私の「私」度は高くなって、それにともなって「私たち」度も高くなりました。
今では「短歌があるから生きてゆける」とまで意識しなくても普通に「私たち」も生きてゆけます。
今日はこれで終わりです。