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子どもを相手に短歌を教える


 短歌ブームと言うこともあって、世の中的に歌人じゃない人を対象とした短歌イベントが増えていいるように思います。

 佐藤はいま、埼玉県歌人会に入っているんですが、その関係で去年今年と、夏休みに小学生向け短歌講座の講師をやらせて貰いました。今年は「かばん」の辻井竜一さんとコンビで2日間いっしょにやったんですが、みんなとても乗ってきてくれてとても楽しく、過ごせました。

 わざわざ夏休みの短歌イベントに参加するくらいだから、少しは作ったことのある子供たちが来るのかと思っていましたが、聞いてみると、そういう子は20人以上いた中に1人しかいませんでした。

 どうも夏休みの宿題に短歌を出した学校があちこちであったようで、保護者が同伴する理由もそこにあったようです。聞けば保護者も全くの未経験で、指導の仕方を聞きたいという事情があったようです。

 私も長く教員をしてきましたんで生徒に短歌を作らせることは何度もしてきましたし、歌人クラブのジュニア短歌や、東洋大学の現代学生百人一首などに応募させたこともありますが、それは私が歌人として、生徒に短歌指導をすることに抵抗がなかったと言うことが大きかったと思います。

 短歌指導が出来るかどうかは国語の教員であるなしとは余り関係ありません。むしろ「教員である」ことのせいで苦手な人が多いのです。

 だいたい自分から進んで短歌を作ろうとする児童生徒は圧倒的に少数派です。1首に使う文字数は原稿用紙1行半なので、読書感想文より全然簡単そうですがそういう問題ではない。

 生徒はみんな短歌には自分の本音を書かなければならないと思っており、そんなものを教員にみられてたまるかと思っている。多くの教師も同じスタンスでいるので、生徒は教師に評価されるための短歌なんか作りたくないに決まっていると思っている。

 だから教師は生徒の歌を評価するのが自分でなく、応募先の誰か、知り合いでない偉い人(笑)と言うことにして、(あ、賞品とか賞金のことなんかも言っといて)実際に教師は集めて名簿にチェックしたらそのまままとめて投函、と言うことになりがちです。

 でも、その前にざっと目を通して見れば、いくつか面白いものがあり、それはだいたい「思ったこと」でなく「見たことや聞いたこと、やってみたこと」で作った歌です。たまたまその子どもがそう作っただけかもしれませんが、そういう歌は、何百とある(つまらない・・笑)作品の中に埋もれず必ず光って見えるものです。

 だから、最初から「思った通りのことを書く必要はない、見えたとおりに書きなさい。字数は一緒に考えてあげるから」と言うと、今度は大抵の子はズラズラといろんなことを時系列で書き出してきます。

 その時系列から一部だけを選んでやって、このことだけで書いてご覧というと、そこから先は自分で考え始めることが多いように感じます。その時に感情語や評価を含む言葉を(それが良い評価でも)入れないように言い、最後に多少の字余りは構わないとすると結構面白いものを作る子どもが出てきます。

 なんだ、自分が普段気をつけてることじゃん、ということです。

 とかやってると、高校生だと口が悪いので「先生、俺のアイデアパクんなよな!」とか言ってよこしますが、安心してください、パクりません(笑)。

 こんなまどろこっしい文章ですが、よろしければサポートお願いします。  あたし、いつもふと気づいたことはいっぱいあるんですが、ほっとくと忘れちゃうんですよ。  で、ここではもうちょっと落ち着いて深く考えてみたことを書いて見ようとしているんです。