新人賞もろもろ
ちょっと話が前後するのですが、ずっと遠ざかっていた総合誌新人賞に応募していた期間がありました。まあ、「うたう」がきっかけです。
2001年と2002年の短歌研究新人賞は2首掲載でした。2003年の歌壇賞は予選通過25人には入りましたが選者の点は入っていませんでした。短歌研究の方は5首掲載でした。2004、2005、2006年は箸にも棒にも。2007年にやっと短歌研究で最終選考に残って10首載りました。総合誌の新人賞に出したのはそれが最後です。
じつは2005年に第2歌集を出し、批評会もやっていただきましたので、(批評会についてはいつか書きたいと思います。)新人賞に出すのは何か違うのかなと思っていたのですが、毎年時期が来ると30首創らなければという気持ちに押されて出していたのでした。だから第3歌集にはその時の応募作がたくさん載っています。
応募をやめた理由としては、その頃の私が、総合誌よりむしろ未来賞に価値を感じるようになっていたというのもありました。私がはじめて見た未来賞の発表号は2004年の1月号なのですが、その選考委員の顔ぶれと、選考過程の記録を見て、このように批評してもらえるならば、未来に入った以上このチャンスを生かさないわけにはいかないだろうと思ったのです。
選考委員は未来の選者が入るので、自分の選者である加藤治郎さんはもちろんですが、岡井隆さんが読んでくれるのです。
わたしは2004年の夏に初めて未来賞に応募しました。2005年の1月号が結果発表号なのですが、それによるとその年の選考会日はひどい暴風雨で、会場に来られた選者が大島史洋さんと加藤治郎さんだけだったと書いてありました。そのためか、その年の選考会採録はとてもあっさりしたもので、私の作品については何の記載もありませんでした。
ただ、得点表を見ると加藤さんだけが私に2位で入れてくれていました。同時に加藤さんが「ゲリラ歌会」と称して誘ってくれた臨時の歌会がまさにその暴風雨の日だったのだとわかり、大変感慨深かったことを思い出します。
2004年にはじめた未来賞応募は、8年(!)続き、2011年度の賞を2012年の新年会で岡井さんから頂きました。
私の経歴の未来賞受賞を2012年としているのはそういうことです。
今日はこれでおしまいです。