未来に踏み込む
また大分経ってしまいました。G・Wも母の日もとっくに終わってしまいました。
実は自分の歌が初めて掲載された「未来」を押し入れの奥から探し出したものの、それで満足してほったらかしになってしまいました。書かなくてはいけない原稿がいくつかあってやっとその「未来」をパラパラ眺めているところです。
前回は第1歌集を出した翌年早々に未来に入れてもらったように書きましたが、よくかんがえるとそうでもありませんでした。
というのは、未来誌上で彗星集が始まったのが2003年10月号で、遅くとも6月号には投稿の募集記事が流布されていたはずなのに、私が初めて未来に掲載されたのは2004年の3月号、つまり初投稿が2003年12月だからです。
彗星集として行われた第1回目の歌会が2004年の2月で、私はそれに出ているので、長いこと自分がスタートメンバーなのだと記憶を上書きしていたようです。
実は、私は入会前に一度だけ見本誌として2003年3月号を購入したことがあるのですが、3月号には新選歌欄の予告もまだ掲載されていませんでした。会員でなかった私がそのことを知る手段は全くなかった。未来に入る前に私が話したことのある未来の歌人は加藤治郎さんだけでした。
彗星集発足を期に未来に入った人はどうやって送稿先を知ったんだろう?
というか、改めてよく考えると、私が知っている彗星集の初期メンバーで、彗星集が出来る前から未来にいた人が誰なのか、その人たちはどの選歌欄にいたのかすら、私は良く分かっていなかったし、あまり考えてもいなかったのだと、今更ながらびっくりです。
私は、本当は現代短歌の世界について、何にも知らないまま迷い込んできてしまったのかもしれません。
今日はこれで終わりです。
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あたし、いつもふと気づいたことはいっぱいあるんですが、ほっとくと忘れちゃうんですよ。
で、ここではもうちょっと落ち着いて深く考えてみたことを書いて見ようとしているんです。