記事一覧
いかにして自分がアダルトチルドレンだと気づいたか。部屋が広くなるほど窮屈な彼との生活。
(前回の記事で6月下旬に部屋を探したと書いてしまいましたが、正しくは5月下旬です。6月には現場に配属されていました。)
6月。水を張った大きな桶のなかに一抹の不安を残したまま、それぞれの現場に配属になり、家にはただ眠るためだけに帰るようなものだった。
下っ端なので誰よりも早く出勤し、掃除し、勉強し、練習しなければならない。
休憩時間中も買い出しや勉強や練習に追われ、本当の意味で休憩できるのは15
いかにして自分がアダルトチルドレンだと気づいたか。幸せの正体とは。
彼との新生活を決断する一方で、会社の研修も順調に進んでいた。そこで後に私に大きな決断をさせる学びとなったのが【TA 人生脚本】という研修であった。
TAとは Transactional Analysis(トランザクショナル アナリシス)、日本語に訳すと「交流分析」という意味になる。
ジークムント・フロイトの考え方を基礎として精神科医エリック・バーンが提唱した人格理論である。
交流分析とは、目の前
いかにして自分がアダルトチルドレンだと気づいたか。彼と小さな部屋での生活編。
彼が転がり込んできた部屋は当時1Kのとても小さなマンスリーマンションで、勤務先の本社にほど近かった。
本社で2ヶ月間の研修ののち各地に配属されるということで、東京のとの字も知らない私は下見にも来ずとりあえずどこになるか分からない配属に備えて都心の小さなマンスリーマンションを借りたのだった。
家具家電つき、光熱費込みで、テレビは小さく黄色いカーテンも趣味とは違い部屋は狭かったが、家賃以外ははじめての
20年以上親友だと思っていた幼なじみの不倫、子どもはシッターに育ててもらう宣言、不払いの千円に「もう終えよう」とピリオドを打った話。
読者のみなさんには親友と呼べる存在はいるだろうか。
私はもともと友だちが少なく、狭く深くタイプである。
そもそも心の部分で深く交われる親友が居れば、友人などただ寂しいときや時間が空いたとき、親友が対応不可のときに代打をしてくれる上辺の存在でしかないのではなかろうか。
私が中学生のときに不登校になり、だれとの面会も拒否し、そのうち離れていった同級生たちの中で、ひとりだけ粘り強く私と交流を絶たなか
母と私を悩ませた摂食障害。治るときは突然に。きっかけは何気ない会話。
半年ほど東京で過ごした母は、体重28kgから34kgになっていた。
もともと細い母は、これぐらいがちょうどいいと言い、家も心配だし一旦帰るといって年明け前に山口へ帰って行った。
しかし「病院に通っても一緒やな」と感じた母は、田舎に戻ってからは内科も心療内科にも通院しなくなってしまった。
”私”と一緒にいたこと、家で話したり家事などやることに追われていたことで気が紛れたことが大きかったと本人は振
突然の孤独から摂食障害になった母。私の選択が正しいか判らないまま②
ドアから出てきたのは、ミイラ化した母だった。文字通り骨と皮だけになり、足取りも覚束ず、すり足でなんとか歩行している感じだった。
それに突然娘が帰ってきたというのに、あまり驚きもしなかった。
家も手入れされておらず、枯れ草がぼうぼうに伸び、鎧戸は汚く錆び、人が住んでいるのか分からない屋敷。住んでいるのは年寄りのゾンビ。まるでバイオハザードの世界に来てしまったかのようだった。
やっと家の中に入れた
突然の孤独から摂食障害になった母。私の選択が正しいか判らないまま①
愛犬が死ななければ、上京など微塵も考えなかっただろう。祖母が施設で静かに暮らしていたなら、その面倒を見る母を置いては行かなかっただろう。
しかしすべては重なった。
祖父の死、愛犬の死、祖母の死。
これは私に”いま行け”というシグナルなのだと受け取り、会社の採用通知を受け取り、東京へ来た。
東京の人はやさしかった。
来たその日に作ったSuicaを落としてしまったが、届けてくれた人がいたと駅から
祖父と私。10年以上同じ家に住んでいたが交わした言葉は数えるほど。私は祖父が苦手だった。そんな祖父の死②
その日祖父はいつも通り朝から部屋でテレビを見ていた。
祖母のアルツハイマーが進行し脳梗塞も見つかり、特別養護として入院生活がはじまってから、これまで暗黙の了解で出入りを禁止されていた1階リビングが祖父の主な拠点となった。
しかしそれ以外は変わりなく、祖父は自分で自分の飯を作り、二槽式洗濯機で洗濯をして干した。
ほかに変わりがあるとすれば、大腸がんが見つかったことだ。手術で大腸を切り取り、スト
祖父と私。10年以上同じ家に住んでいたが交わした言葉は数えるほど。私は祖父が苦手だった。そんな祖父の死①
みなさんは、祖父母とどういう関係だろうか。
夏休みや正月など、たまに会うと優しくしてくれて、お菓子をたっぷり用意し、お小遣いをくれる。
はたまた同居していれば、夕食を囲んだり一緒に買いものへ行ったり、たまに旅行したり。
私の中にある祖父母とはそんなイメージである。
子どもではなく、孫だからこそ特別やさしくしてもらえるような。
うちの祖父は違った。
どう違う、と聞かれても言語にすることが難しい