爽涼志信

ASD(自閉スペクトラム症)の専門職(臨床系ではなく基礎系)。乗り物好きストラクチャ―好き。各種感覚過敏があり、適応障害に悩んだりしながら、過ごす日々。

爽涼志信

ASD(自閉スペクトラム症)の専門職(臨床系ではなく基礎系)。乗り物好きストラクチャ―好き。各種感覚過敏があり、適応障害に悩んだりしながら、過ごす日々。

最近の記事

鈍い。

ASDであることの影響だと思うが、フツーに子供のころから協調運動系が苦手だった。 たとえば先生が「定規で線を引きましょう」とか命じて、一斉にクラスの子たちがそれに応じる。ほとんどの子はまっすぐ綺麗な線が描ける。ところが私は定規を当てているのに線が歪む。定規を抑えている手が、線を引いている手につられて動いてしまうのだ。 ああ、こりゃいかん。とばかりに消しゴムで今書いた線を消して、今度は定規を抑える手に力を入れて線を引くと、定規を抑えた手の指の一本が定規本体からはみ出しており

    • 南の小島で

      折角石垣島まで来たのだから、ということで滞在中に、高速船に乗って近くの別の島に行くことにした。ご存知の通り石垣島には周辺にいくつか島が集まっており、その大半が高速船で3、40分程度で行くことが出来る。 と、聞けばきっと竹富島じゃないだろうか?と思われるかもしれないが、私が行ったのは小浜島である。実はこの時まで私は(あの超有名な)竹富島のことは何も知らなかったが、小浜島は「はいむるぶし」というリゾートホテルの存在を知っていたので、私の中では「近くの離島ならはいむるぶしがある小

      • 石垣島に行く

        初めて「現実の南国」に触れたのは、沖縄だった。しかも本島ではなく、いきなり体験した沖縄は「石垣島」だった。 沖縄出身の人とも、大学を卒業するまでほとんど接したことがなかった。首都圏含む大都市部の大学に進学していたのであれば、その機会もあっただろうが、地方都市の学校に行っていた私の大学には、少なくとも私のいた学部には沖縄出身の学生がいなかった。それもあって、沖縄は遠く、どこかテレビの中の世界に近い印象があった。 そういえば、子供のころ見ていたドラマで「いつも輝いていたあの海

        • 土曜日とは

          私が子供のころは、土曜日、学校は休みじゃなかった。半日、4時間目まで授業があった。つまり、毎週5日半学校に行っていたのだ。偉いもんである。そう公務員の完全週休二日制が施行されてる前の話。だから多くの働く人たちも、土曜日はお昼まで仕事をしていた。ちなみに私にとって土日が完全に休みになったのは大学生からだった(ところが大学院生になると「休み」という感覚は「午前」と「午後」という感覚と同時に「消滅」した)。 土曜日の学校には、帰りの会の騒ぎがつきものだ。先生が来週月曜日に持ってく

          ASDであること。

          先日、弘前大学の研究グループが、5歳児時点で3%(推計3.22%)がASD(自閉スペクトラム症)であるという、診断基準改定後初国内のASD有病率の推計結果を示した。 記事によると旧診断基準による国内推計は0.3%であり、しかもその推計有病率は0.3%であったということ。 たとえば医療教育を含めた様々な臨床の現場で、なんとなく「0.3%より多いんじゃないの?」と持っていた印象が、ある程度当たっていたというわけだ。 もちろんその背景には、ASDそのものが増えた、というわけで

          ASDであること。

          新幹線に乗る

          ♪びゅわーん びゅわーん びゅわーん ♪あおい光の超特急~ じそーくにひゃーくごじゅーぅっきろー 子どものころは新幹線といえば「東海道新幹線・山陽新幹線」だった。新幹線の形も、今みたいにちょっと、どこかTOTOの衛生陶器をひっくり返して、宇宙人味を振りかけたような姿を思い起こすものではなく、団子🍡っ鼻で速そうなんだけど、今見るとどこか愛嬌があってもっちゃり感があった姿だった。 今でこそ、仕事にお出かけにホイホイ使っていて、乗ること自体に何の有難みも感じなくなった新幹線。

          新幹線に乗る

          寝台列車に乗る

          「高いなぁ、いいなぁ」見るたびにため息が漏れる。  寝台列車は私にとって、今も昔も手の届かないものの一つだ。今のもはやセレブの乗り物化したクルーズトレインに、今の私の収入ではとても乗ることなど叶いっこない。  子どものころ憧れたあの寝台列車群は、今の収入さえ当時あればホイホイ乗ることができたのだが、いかんせん子供のお小遣いでは高根の花の乗り物であった。  しかも通常、鉄道というものは移動手段であり、乗ること自体を目的には敷設されていない。「そこに行く」必要があるからこそ

          寝台列車に乗る

          遠足のおやつ

           私には子供がいないので、今はいくらなのか知らない。  私が子供のころは、その金額は200円だった。  何の話かというと、遠足に持っていけるおやつの金額のことだ。  200円。なんという些少な額んだろう、と今なら驚愕する。それこそそろそろ日差しも強くなり、外に出て「やれやれ」なんて言いながら、自販機でドリンクでも買おうモンなら、あっという間に残りは50円程度になってしまう額である。どこかに出ていたらもう帰りの電車賃すら払えない。  子どもの頃のおやつって、親もしくは祖

          遠足のおやつ

          ASDと診断された日

          私はASDだが、診断が下ったのはそんな昔のことではない。むしろ、ごく最近のことだ。判明した経緯は職場での立ち位置が変わったことから始まる。それには最初から不安があった。ただそれなりに社会人経験を積んでいるので、どうにかこうにかこなせると期待したのだが、どうにもこうにもならなくなって、精神科にアポをっとった。 予約診療のため、診察されるまでの待ちの期間が本当に待ち遠しかった。もう診断名はなんだろうがどうでもいい。とにかく早くこの状態を誰か何とかしてくれ、という気分だった(同じ

          ASDと診断された日

          船に乗る

          初めて船に乗ったのはいつのことか。 ASD(自閉スペクトラム障害)の私にとって、公園のボート、優雅に彼女を載せて颯爽と漕いで・・・なんて芸当は無理だ。いわゆる協調運動が苦手なため、ボートはあらぬ方向に進み、また出港したら最後、漕ぎだした元の出発地に戻れる自信がない(ところで、手漕ぎボートがある公園には、なぜかカップルでボートに乗ると別離がやってくるジンクスがあるみたいだが、あれは何なんだろう。舟に乗ら(乗れ)なくても別れるものは別れるというのが、私の経験である)。 船らし

          飛行機に乗るのは楽しい。~結論

          夕景の津軽海峡が途切れると、眼下にだだっ広い北海道の原野が拡がる。新千歳行きは表向き「札幌行き」である。 たとえば福岡空港や那覇空港は、都市の至近に空港があるし、街並みを見下ろして飛行機は着陸へとアプローチしていく。 ところが「札幌行き」は、町などの姿すらまだ見えない原野へ向かって飛行機が高度をどんどん降ろしてゆき、原野の真ん中に「どすん」と音を立てて着陸する。 遅れに遅れた初フライト。 私は昼過ぎにつくはずだった北海道に、夕闇迫る時刻になってようやく飛行機から解放さ

          飛行機に乗るのは楽しい。~結論

          飛行機に乗るのは楽しい。

          飛行機に初めて乗ったのは、いつだったか。 今なら子供は親の里帰りとか、旅行とか、それからそうそう、修学旅行なんかでもホイホイ飛行機に乗りまくってるんだろうけど、私が飛行機に初めて乗ったのは大人になってからだった。(注:その後親に確認したら、2歳くらいに乗ったはずだ、ということだが全く記憶にない。ちなみにもっと小さい頃乗った列車の記憶はある。この辺りが乗り物オタとして飛行機オタ成分より鉄オタ成分の方が濃い現状を予測していると思われる) いずれにしろ、物心ついてからの初飛行機

          飛行機に乗るのは楽しい。

          子どもにとっての帰省の風景

          記憶の中のゴールデンウィークは、朝もはよ~から起こされて、父の運転する車に乗せられ、ばぁやんのいる田舎に行くウィークだった。まだ高速道路網も、全国あちこち途切れ途切れで、JRはもちろん国鉄と呼ばれていた時代。平常と違い、ばぁやんの家まではどれくらいかかるかすらわからないので、夜明け前から母はおにぎりだのなんだのを準備して、ピクニックよろしくバスケットに詰め込んでいた。私は子供のころから睡眠が不安定な傾向で、いまでも翌日何らかのお出かけイベントがあると途端に眠れなくなったりする

          子どもにとっての帰省の風景

          鈴木祥子は頑固だ「夏はどこへ行った」(1986年 アルバム「VIRIDIAN」所収)

           70年代から80年代にかけて、有望なミュージシャンの発掘育成はレコード会社にとって死活問題だったと思われるが、そんなミュージシャンを甲子園のようなイベント化で発掘・育成をしていたのは、ヤマハの“ポプコン”が最も有名であったと思う。もちろん他のレコード会社も独自のシステムでオーディションシステムを構築するなど、それぞれミュージシャンの発掘育成と売り出しを行っていた。  80年代中ごろから“ポプコン”で選ばれる楽曲は、世間の求める音楽とのズレが大きくなり失速していく。反対に台

          鈴木祥子は頑固だ「夏はどこへ行った」(1986年 アルバム「VIRIDIAN」所収)

          麗美よ何処へ「空が一面海に見えた日」(1984年 アルバム「R」所収)

           今やREMEDIOSは数々の有名ドラマ・映画音楽やCM音楽を手掛けていることで知られているが、彼女がユーミン(松任谷由実)夫妻の妹としてバックアップを受けたシンガーとして「麗美」という名義で活動していたことを知らない人は多い。  また、ユーミンのアルバムの曲のうち、いくつか有名なものが彼女に提供された後のセルフカバーであったことを知らない人も多いだろう。アルバム「NO SIDE」のタイトルチューンである「ノーサイド」の初出は麗美に提供された曲であった。 そんな彼女、ただ

          麗美よ何処へ「空が一面海に見えた日」(1984年 アルバム「R」所収)

          Jamie Cullumが好きなんすよ。 〝Save your soul”

          八百万の神が宿っている日本では、基本的にものを粗略に扱うことを良しとしない。それが高価なもの、もしくは芸術的なであればなおさらである。机の上に乗ってはいけません、椅子の上に足を乗せてはいけません…子供のころから何度その行儀の悪さを親に言われただろうと思い当たる人は多いんじゃないか。  そういう意味ではJamie Cullumは(日本人から見ると)お行儀が悪い。やんちゃ坊主がそのまま成長したような英国のシンガーソングライターである彼は、作る曲歌う曲すべてその根底にはジャズスピ

          Jamie Cullumが好きなんすよ。 〝Save your soul”