ASDと診断された日

私はASDだが、診断が下ったのはそんな昔のことではない。むしろ、ごく最近のことだ。判明した経緯は職場での立ち位置が変わったことから始まる。それには最初から不安があった。ただそれなりに社会人経験を積んでいるので、どうにかこうにかこなせると期待したのだが、どうにもこうにもならなくなって、精神科にアポをっとった。

予約診療のため、診察されるまでの待ちの期間が本当に待ち遠しかった。もう診断名はなんだろうがどうでもいい。とにかく早くこの状態を誰か何とかしてくれ、という気分だった(同じ気分で診療を待った病気が私には過去もう一つある。それは尿路結石だ)。

ほぼ1か月して予約診療の日がやってきた。初診は時間がかかることはどの診療科でも同じである。調子が悪いにも関わらず、今日で何とかなる道筋が立つかもしれないと思うと、なんだかワクワクしてきて、朝から早くクリニックにいきたい気分がもりあがった。

そのクリニックは清潔で、実に清々しい内装をしていた。初診予約のためか、待合室で他の患者と顔を合わせることもなかった。

30分ほど待って、いよいよ診察が始まった。

細かい内容は避けるが、最終的にドクターが言った言葉は、私にとって半分「意外」で、半分「そうなんじゃないか」と思っていたことだった。

「発達障害ってご存知ですよね?おそらくあなたの現在の症状は、発達障害からくる二次障害の可能性が高いです。ウチは発達障害の専門でもありますから、診断のためのテストを組みましょう。いくつか検査しますので、ちょっと時間がかかりますから、1日空けておいてください。今日もこの後、ちょっとした検査も用意しますのでそれを受けて行ってくださいね。」

その日はとりあえず、現在起こっている症状を抑えるために、胃薬としても使える抗うつ剤と抗不安薬を処方されて帰宅した。これがまたばっちり効いて、わずかにぼんやりと眠気があるんだが、あんなにオロオロしていた頭の中が本当に平穏になった。

さて、それからまた2週間ほどして、検査予約の日。朝一番からテスターの先生とあれやこれやと検査しながら雑談したり、また検査したりを繰り返していく。

その中でなんとなく、「あ、これオレダメだ」と実感する検査項目がいくつかあった。とにかく出来ないのだ。できない内容を日常生活に当てはめると、「そういえばこんなことに超絶苦労したな」とか色々思い当たってくる。

「はい、お疲れ様でした。長かったから疲れましたよね。結果は2週間ほどしたら出ますから、出た後でご連絡差し上げます。」

今回受けた検査たちは、ほかの診療科でいういわゆる精密検査ということになる。この時までには自分の頭の中が確信に変わっていた。

ほぼきっちり2週間後。クリニックから電話がかかってきた。検査の結果が出たので、診断結果を伝えたいから来院してほしい、とのことだ。慌てて仕事を調整して、何とか約束の日時を空けることに成功する。これほどの人生の一大事、仕事など空けるために何とかやれば何とかなるものである。

クリニックに行っても不安や緊張はなかった。当然薬の効き目が大きいとは思うが、先にも述べたように、ある種、確信があったため、言われることが間違いないと思っていたためだ。

「結論から申しますと、自閉スペクトラム症ですね。発達障害の一種で、おそらくお聞きになったことがあると思います。かなり中核的な症状をお持ちです。おそらく今生じている症状もASDの二次障害としての適応障害です。それからこれまで感じてこられた生きづらさとか、何となく気づかれていた他者との違いとか、うまくいかなさはその特性からつながっていることが多いと思われます。」

「はぁ。グレーゾーンとかでは・・・」

「ないですね。中核的ですし典型的です。」

「知的には・・・」

「IQも測定しましたが、こちらはむしろ非常に高い方です。逆に出来ないところの力との落差というか凹凸が激しすぎて、それが生きづらさにつながってると思ってください。」

「あ、そうですか」

「何かわからないことがあったら、お尋ねになってもいいですよ。」

「突然はちょっと・・・」

「そうですよね。では次回いらっしゃるときにお聞きになりたいことがあったらお話してください。今回の説明も何度でもお答えしますよ。」

「あの・・」

「はい?ご質問ですか?」

「診断書っていただけるんですか?」

「よろしいですよ。職場にお持ちになりますか?」

「はぁ、まぁ」

「それでは作りますので、受付で受け取ってお帰りくださいね」

私のASDはこうやって診断された。グレーゾーンだと、小学校の通知表を持ってきたり、さらには親を連れて来たリしなければならないこともあるらしい(親はさすがに無理だが、この日一応小学校の通知表は持ってきていた。出して私の小学校の輝かしい成績をドクターに披露する機会はなかったのが残念である)。

しかしあの日以来。

自分はASDという診断を受けたものの、ありのままの自分がそのままである。じゃ、むしろ定型発達の人の感覚世界や生きている世界ってどうなんだろう?っていう疑問がわいてきた。

とにもかくにも今は生じているこの苦しい適応障害をなんとかしたい。

それからじっくりゆっくり、私の基盤となっているASDと、今はちょっと真面目に、そして本気で付き合いたいと思っている。


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