土曜日とは
私が子供のころは、土曜日、学校は休みじゃなかった。半日、4時間目まで授業があった。つまり、毎週5日半学校に行っていたのだ。偉いもんである。そう公務員の完全週休二日制が施行されてる前の話。だから多くの働く人たちも、土曜日はお昼まで仕事をしていた。ちなみに私にとって土日が完全に休みになったのは大学生からだった(ところが大学院生になると「休み」という感覚は「午前」と「午後」という感覚と同時に「消滅」した)。
土曜日の学校には、帰りの会の騒ぎがつきものだ。先生が来週月曜日に持ってくるものの指示を与える。親に見せるプリントを配る。今週の給食当番は、給食配膳用エプロンを自宅で洗濯するように持ち帰る。あれこれ指示される内容を、連絡帳にみんなメモしていくのだが、私はなぜか連絡帳にまともにメモが出来なかった。先生の指示の速度について行けず、周囲のざわめきに気を取られて聴き洩らし、気づくと帰りの会が終わっていて、まぁいいや、となっていたような気がする(おかげで小学生時代はよく忘れ物をした)。
・・・ところで今急に思ったんだが、クラスには先生と気やすく話せる子どもが一定数いた気がする。いまだにあの子らの力は何なんだろうと不思議な気分になる。ASDと反対にコミュ力の高さのある子っていうのは、やっぱ小学生のころからコミュ力が高いのだ。
「起立、礼、さようなら!」で今週のカリキュラムすべてがが終わると、小学生はお昼ご飯を目指して家に帰る。
午前と午後のはざまで家に帰れる気分は、まさに土曜日。毎週のことなのに、いつもとちょっと違う気分を毎週味わえてうれしい。
校門を出たあたりでは沢山の小学生がそれぞれの自宅に向かって群れを成して歩いていたが、道が一本交わるたびに何人もその角を右へ左へ折れてゆき、そのたびに「じゃーね」とか「バイバイ」とかいって別れていく。そしてだんだんと自宅に近づくたびに近くを歩く子供は少なくなり、自宅への道を最後に折れるころには自分一人になっている。
いつもちょっと斜めに傾いた光を受ける伸びた影を追いかける平日の帰りと違って、陽はさんさんと高く自分の影は足元に短い。またこんな角度から陽があたる自宅を見られるのも土曜日の特権だ。家の門のあたりに来ると、家の中から昼ごはんを作る音と匂いが漂ってくるから、今日のお昼ご飯のメニューがそのときわかる。
「ただいま~」と家に入ると、作っている音もしっかり聞こえてくる。「あ、今日は〇〇だ」と思いながら、手にした給食袋を洗濯機まで持って行って、袋を開けて中身を洗濯機にぶち込む(実は、入れてはいけないタイミングがあることをこの時の幼い私は知らなかった。いや知っていたとしても、それを忘れて次回にまたおなじことをやらかしただろう)。
カバンを置いて居間に戻ってくると、すっかり昼食は出来上がっていて、テーブルの上で暖かそうな湯気を立てていた。
そんな土曜日の昼のメニューは、たいてい前の日までに残った古いご飯を消費する目的で作られるチャーハンか、焼きそば、前日の夕飯がカレーだった場合は再度カレーの登板、インスタントラーメン、夏前なら冷やし中華とか冷や麦がテーブルの上に載るのだった。
だから私にとってこれらのメニューは、「土曜の昼ごはん」をいまでも強く意識させるメニューだ。当たり前に今でもそこらじゅうにあるにもかかわらず、見たり食べたりするたびにノスタルジーを掻き立てられる食べ物たちである。
テレビを見ながら昼食を食べるのも、土曜日の定番だった。あの当時土曜日の昼には「吉本新喜劇」とか「独占女の60分」とかやっていて、小学生はお昼時にみんな見ていた気がする(お上品な家では食べながらテレビを見るなんてしなかったかもしれないが、ウチは土曜の昼ごはんは居間で食べたので土曜日の昼だけ食べながらテレビを見た。)
さぁ、昼食が終わると午後の時間はたくさんある。たくさん、たくさん・・・。
ここまで書いてハタと手が止まる。
平日ならば、学校から帰ってから夕食まであまり時間がないので、やることは限られているし、「あんなことしていたな」と思い出せるのだが、土曜日は昼食から夕食までの時間が長い。午後まるまるなのだ。
私は一体何をしていたんだろう?
平日は誰かを遊ぶこともあった。ただ、なんだか居心地が悪くて、不自由だったし、空気が読めない私は子供同士でもだれかと一緒に遊ぶことには徹底的に向いていなかった。
私は土曜日日曜日に誰かと遊ぶ約束をした記憶がない。多分一人遊びだと思う。
当時、私が嵌っていた一人遊びはいくつかある。
道路に路側帯の白線があると思うが、その上を自転車でずーっとたどって町中を走ること(徒歩でもしていた)。
住んでいる町には3本の川が流れていたため、川沿いの堤防をこれまた自転車で走ったり、水際まで降りていって川を見たりしていたこと(ただし当時の川は今よりももっと汚く、水際まで降りていくと悪臭がした)。
近所の神社の本殿は石垣が積まれたかさ上げされた上に建築されていたが、石垣と本殿を区切る塀の間に多少の隙間があって、その上を落ちないようにぐるぐる歩き回ることも好きだった。
この神社の本殿を囲う塀には誰かが書いた落書きががあって、ポイントポイントに「上見ろ」とか「右みろ」とか書かれてあった。そのとおりに辿っていくと、最後社務所の裏の倉庫屋根の天井につながり「ざまぁみろ」になる。何度も何度もやってすっかり展開を知っているのに、この神社の石垣に上って塀の周りをぐるぐる歩いて回るときは、この落書きの指示にも従って遊んだ。
どれもこれもたいしたことない遊びなんだけど、例えばすっかり大人になりきってしまった今、恥も外聞もすてて「これをやれ」と言われたら、まず間違いなく「あのころを思い出してそこそこ楽しめる」自信がある。
半分学校で半分休み。あの頃の土曜日は特別な日だった。大して勉強もしていなかった(そのうえ集中して授業を聞いていなかった)私には、土曜授業が格別苦ではなかった(もちろんそれが当たり前のリズムになっていたから)。もうひとつはやはり、私が子供のころは、次(翌週)の見通しがないまま自宅へ戻ることで、学校のことはすっかり頭の中から消えてしまっていたからかもしれない。
社会人になってしばらくの間、4週8休の3交代制業務に就いていた。いちおう完全週休二日制であったものの、土日が休みではなく、変動制だったので土曜日が仕事の時もあれば、休みの時もあった(ちなみに日月、火水、金土の組み合わせパターンで月ごとに変動していった)。世間が土日休みであるため、職場も土日には(雰囲気的にも)土日の業務になっていた。
しかしながらく身に着いた土曜日の呪縛はなかなか変わらない。たとえばある月の週休2日が火曜日水曜日に割り当てられていた場合でも、月曜日が「花金」気分にも「火曜日」が「土曜気分」にも全くならなかった。
今は土曜日の休みを手に入れた生活をしているけど、大人になってあの頃ほど土曜日が輝いて見えていないのが、ちょっと残念な気がする。
・・・かといって土曜日の半日を仕事したいわけではないんだが。
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