船に乗る
初めて船に乗ったのはいつのことか。
ASD(自閉スペクトラム障害)の私にとって、公園のボート、優雅に彼女を載せて颯爽と漕いで・・・なんて芸当は無理だ。いわゆる協調運動が苦手なため、ボートはあらぬ方向に進み、また出港したら最後、漕ぎだした元の出発地に戻れる自信がない(ところで、手漕ぎボートがある公園には、なぜかカップルでボートに乗ると別離がやってくるジンクスがあるみたいだが、あれは何なんだろう。舟に乗ら(乗れ)なくても別れるものは別れるというのが、私の経験である)。
船らしい船に乗った、思い出せる記憶は、あの湖の、そう、白鳥型の遊覧船である。多分、野尻湖だ。なぜ野尻湖かというと、乗った遊覧船の名前が「のじりこ丸」だったからだ。波の無い湖面を、優雅に滑るあの白鳥。・・・野尻湖で思い出したが、国語の教科書に「ナウマンゾウ」の牙だか骨だかを冬に発掘した小学生の話が載っていたな。どうせなら野尻湖の遊覧船もナウマンゾウ型にすれば、湖水を優雅に滑るナウマンゾウというシュールさ、今ならSNSで相当話題になったことだろう。
海上の船体験は?と記憶を掘り起こすと、確か水中翼船に乗ったことがあった。水中翼船。今でいう「ジェットフォイル」のように、船体を海面から浮き上がらせる翼状のものが船体に付いているのであるが、ジェットフォイルみたいに高圧水流を噴出して進むのではなく、普通の船についているスクリューを勢いよく回転させて高速で進む。これがまた、スピードと引き換えに、ジェットフォイル並みに乗り心地が悪いシロモノである。
子どもの頃の私は乗り物にあまり強くなく、父の運転する自家用車に乗って、その車が山道に差し掛かるとよく気分が悪くなった。だから自然と私は車に乗ることに用心する気分が育ってしまった。・・・んだけれど、よくよく思い返すと気分が悪くなった山道は決まった道だったことから、「車+山道=車酔い」ではなく、かつてその道で何らかの原因(影響)のため気分が悪くなったことが無意識的に体験的に結びつき「車+その道=車酔い」という、あまり般化できない問題につながったのかもしれない。もしかしたら、当時車に積んでいた消臭剤の匂いのせいがあったのではないだろうか(このあたりもASDっぽい。ちなみに今自分の車に消臭剤は使用していない)。
しかしそんな(もしかしたら)思い込み的な乗り物酔いの経験からの予想と異なり、幸いにもその時乗った水中翼船では気分が悪くならなかった。ともすれば、なんだか右に左に上に下に、予測もつかない波に翻弄されながら疾走する船の揺れが逆に楽しかったほどだった。で、周りを見ると・・・ビロウな話で申し訳ないが、大人たちが真っ青な顔をして、備え付けの袋を口元に当てている姿が目に入るのである。そんな大人たちの様子をまじまじと見つめる私のもらい〇〇を心配したのか、母が「見ちゃいけません、遠くをみていなさい」と私の顔を強引に窓の方に向けたのである。
あれから何十年か過ぎ、各地の水中翼船は高速船か、それこそジェットフォイルに置き換えられた。
そうそう、ジェットフォイルに乗ったのは成人してからだ。五島列島の上五島から福江島まで。特徴的なT字の水中翼が出発前に水の中に沈むのを見て、「おお」と一人喜んだ。で船体に入ると、何となくね、臭うのですよ。「ああ~、みんなこの船で気分が悪くなったんだな~」という証拠のニオイが。
結論から言うと、私はジェットフォイルも全然酔わなかった。乗り心地は確かに良くなかったが、意外と五島列島の島々を目に船旅を楽しんだ。ただあの飛行機以上のエンジン音が頭の中に酷く響いて、耳栓なしではちょいときつかったくらいだろうか。
あの時乗ったジェットフォイルは迫りくる島々を縫うように、まさに飛翔するかのように疾走した。そして船窓からは、日が傾くと夕景の島々のシルエットと時折島々の間から差し込む西日が交互に翻るのが見えた。一つの島が眼前に大きく大きく広がり始めると、次第にスピードを落として船体が沈み、福江港に入ると夕日が港をオレンジに染めていた。私を待つ人の無い福江港で降りたジェットフォイルを何度も振り返った。
外洋に出るもうちょっと大きな船に乗ったのも、成人してからだ。
学生は金がない。金がないときに、遠くへ行くときの強い味方、そうフェリーである。
初めて見たフェリーは「想像以上にデカい」という印象だった(余談だが私には共感覚がある。巨大なものを見ると、頭の中に巨大さに応じて音が響く。なかなか共感しづらいだろうが・・・)。
飛行機のようなボーディングブリッジを通り、船内に入るとなんだかゴージャスなエントランスが待っていた。フェリーの良い所は何といっても公共スペースがほかの乗り物の比ではないくらい広いことだ。まさに海のホテルだ。
最初に乗ったフェリーでは二等船室、つまりあの「雑魚寝スペース」。だだっ広い座敷みたいな空間に、一人一人が使えるスペースの範囲にマクラと毛布が鎮座していた。窓があり、出航前にそこから外を見ると、客室は意外と地上から高い所にあったことがわかった。
客層は結構バラバラで、長距離トラックの運転手さんみたいな武骨なタイプが多いかと思ったら、案外若い女性のひとり旅や高齢の男性、女性、スーツ姿の男性など、多様な乗客が静かに各々自分の落ち着けるスペースに陣取っていった。
時はまだあの名作映画「タイタニック」公開前の話である。誰も氷山にぶつかる心配もしていないし、沈没する不安を口にする人もいない(当たり前か)。
到着までの居場所を定めると、すぐに枕を頭の下に置き横になる人、連れ立って船内を探検に出る人、その場で荷物をかき回して何事か考えこむ人など、それぞれの過ごし方を始めており、またそれにだれも干渉する様子もなかった。とりあえず私は出航が見たいので、デッキへの出口を探して靴を履いた。
公共交通機関の中でもこれだけ動き回れる船というのは本当にスゴイものだ。途中途中で示された船内案内図は、幾重にも甲板が重なり、客室のグレードも様々で、レジャースペースもふんだんに作られてある。またエントランスにしつらえられたインフォメーションスペースには、キリリとしたホテルマンのようなスタッフが立っており、にこやかに乗客に対応していた。
デッキへ向かう乗客は私と他に数人しかおらず、ほとんどの乗客は出航のタイミングには関心がないように見えた。「夜間は転落防止のためデッキは施錠します」とさらりの恐ろしいことが書かれた重いドアを開くと、夏の風が船のエンジンの排気のニオイを伴って流れ込んできた。なめらかなデッキの向こうには、出航前に傾きかけた日がもうすぐ山の端の向こうに落ちようとしているのが見えた。船とその向こうの世界を分けるための手すりまで近づき、そこから見下ろすと今いる場所がかなりの高さにあることがわかった。今度は後ろを振り返ると、思いのほか巨大な煙突が空に向かって聳え、エンジンの排気を空に放っていた。
銅鑼の音が響き、船は静かに静かに横向きに岸から離れた。頭の中にある出航のイメージとしては、大勢の乗客が名残惜しそうに岸壁に残された見送り人に手をふり、船と岸壁の間にはたくさんの紙テープが渡されて、船が一歩岸から離れるごとに、一本一本ちぎれ、鮮やかに宙を舞っていく画像だ。ところが実際は数名の乗客が、船貨物のパレットでごった返す武骨なフェリー乗り場を無感動に眺めているだけであり、また岸壁にも船を岸壁につないでいた舫い綱を外したらしき係員が、船にさっさと背を向けて次の作業に向かっていく姿があるだけだった。
そう、この船に乗る乗客の大半は、見送られる人の無い旅をする、そんな人たちの集まった船だった。そういえば気づけば、駅や空港からもだれにとっても旅が身近になりすぎて旅の見送りが減ったような気がする。
船は外洋へ向けて進路を変えた。だんだんとはるか遠くなる陸を見送ると、私はまた船室に戻った。
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