南の小島で

折角石垣島まで来たのだから、ということで滞在中に、高速船に乗って近くの別の島に行くことにした。ご存知の通り石垣島には周辺にいくつか島が集まっており、その大半が高速船で3、40分程度で行くことが出来る。

と、聞けばきっと竹富島じゃないだろうか?と思われるかもしれないが、私が行ったのは小浜島である。実はこの時まで私は(あの超有名な)竹富島のことは何も知らなかったが、小浜島は「はいむるぶし」というリゾートホテルの存在を知っていたので、私の中では「近くの離島ならはいむるぶしがある小浜島だろう」と決めたのだった。

夏の石垣港は日差しがさんさんと照り付けていた。高速船乗り場はあちらこちらの島へ渡る人達で賑わい、多くの観光客は竹富島を目指しているようだった。

港の海は透き通ったエメラルドグリーンに輝き、これまでの人生でこんな色の海を見たことがなかった。

北国の大学に通っていた私にとっては、海は夏でも激し厳しかった。浜辺は黒っぽく、その黒っぽい石が沖合まで続いているせいか、海の水は遥かシベリアの方に向けて黒く暗くうねっていた(それでも夏になればそんな暗い水を目指して海水浴客が押し寄せていた)。

陳腐な表現であるが石垣港の水は「〇スクリンを入れた風呂」で暖かそう、というのが最初に頭に浮かんだ言葉である。

八重山の中心である石垣と周辺の島をつなぐ高速船網は、かなりなフリークエンシーで運行されているようである。このあたりの島の住民にとっても仕事に買い物にと生活には欠かせない交通路線であることが理解できる。

少し高速船乗り場待って、小浜島行きの船に乗る。思ったより乗客が少ない。観光目的で渡る人は少ないんだろうか。

乗船が完了すると、ほどなく船は動き出した。思った以上にぐんぐんとスピードを上げていく。島を離れると、そこはすぐに外洋なので、窓にかかる波しぶきも結構な激しさだ。以前にも書いたが、ジェットフォイルの激揺れに平気だった私は、波の間を跳ねるように進む高速船も平気だった。むしろ、小島目指して突き進む小さな船の窓から、どこまでも続く波光が輝く外洋の雄大さというコントラストを楽しむ余裕があった。

そうこうしているうちに、船はスピードを落として、穏やかな小浜港に滑り込んだ。

ここで気づいたのが、この時間この船に乗っていた人たちは、小浜島に何らかの用事がある人達らしかった。港には数台の軽トラやワゴンが止まっており、下船した人はそれぞれの車に向かって歩いていく。

え?え?と思う間もなく、私以外のすべての人が軽トラかワゴンに収まり、軽い砂埃を残して港からいなくなってしまったのだ。

後に残ったのは私一人だけである。

とりあえず帰りの高速船の時間を確かめてみると、都合2時間島で時間を過ごすことになった。

観光案内板とか観光案内所とかどこにあるだろう?と思って周辺をすこし歩いてみたが、探し方が悪かったのかよくわからなかった。タクシーとかもいるかな?と思ったが港に常駐のタクシーはいないようだった。

港を振り返るとさっきまで停泊していた高速艇はまた石垣に向かって遠ざかっており、港は完全に私一人だけになってしまった。

ここにいつまでもいても仕方がない。折角来たのだから、島を観光しようと決め、島の内部へ向かう道に沿って足を踏み出した。

歩き出して気づいたのが、とにかく静かな島である。耳の横を渡る風の音、歩くそばに揺れるハイビスカスが葉を揺らす音、風にしなるサトウキビの葉がこすれる音、とにかく人工的な音が何一つ耳に届かず、身の回りの自然が発する音だけが供としてついてくる。

ゆったりとしたカーブのついた上り坂の頂上に、小さな小さな集落があった。沖縄の離島らしい屋根瓦を固めた家、嵐にも飛ばない強固な家が立ち並んでいた。集落は静まり返っており、そこは「観光地」というよりも「生活地」であることを嫌でも意識させられた。

街角に小さな商店があった。

また、古い型の郵便ポストを見つけた。

どれをとっても、島の人々の生活の一端を匂わせるのに十分な風景だった。

なんだか「観光」という名目でこの辺りをうろつくのは失礼な気がして、集落から離れることにした。集落に着いてから踵を返して集落を出るまで、誰とも会わなかったことが幸いであった。

「はいむるぶし」に行ってみようと思ったが、どうやら道の途中、この暑さをさえぎるものがないさとうきび畑の中を延々歩かなければならないことに気づいて、港に戻ることにした。

港に戻ると、目の前にはあのエメラルド色の海が深い青の空と連なる雲の一団を連れて、はるか遠くまで広がっていた。

海を見おろせるちょっと小高い場所に、自動販売機と屋根がある待合所みたいなところがあったため、残りの1時間30分ほどをそこで過ごすことにした。

・・・本当に静かである。誰にも会わないし、だれも近くにいない。まるでこの島に一人取り残されたようである。

しかし、なぜか逆にそれに慣れて、落ち着いてきた。目の前の海と空のパノラマは、じっと見ているうちに少しずつ色と形を変えてゆく。連なる雲は遥か遠くの海の上にスコールをもたらしているかのような色味を示し、それが島の上まで広がったと思ったら、島にもサッとスコールをもたらす。数分後には、雲が途切れ空から光の梯子が何本も海に島のあちこちにと下りてきて、またきらめく世界を回復させる。

とにかくあんな短い時間で、世界の色が灰色に失われたと思ったら、また鮮やかな緑と青のグラデーションを取り戻すことがあろうなんて、思いもよらなかったのだった。

また穏やかに戻った島に、静かな時間が訪れた。

ひたすら風がわたり、風の音だけが私の耳に音を届ける唯一の現象だった。

何だろう。凄く退屈なんだけど、とてつもなく贅沢な退屈さであり、この退屈さにずーっと身を任せていたい感覚。これは私にとって初めての体験だった。

そしてどれくらい時間が経っただろう。ぼんやりと海と空を眺め続けていた私の目に、久々の動く人工物が遠くから近づいてくるのがわかった。

帰りの高速船である。

その姿を見て、「やれやれやっとか」という気分と「もう帰るのか」という複雑な気分がないまぜになって、私は高速船乗り場へ向けて歩き出した。

石垣島に帰り着くと、八重山の中心らしく様々な店が立ち並び、たくさんの観光客が華やかに街を歩いている。

小浜島で過ごした半日は、特に何の刺激もなかったけれど、「折角来たんだから何かしなきゃ」という、実に日本人的な気分を諫めてくれたような気もする。なにもしない贅沢を味わう余裕も、実はリゾートには必要なのだろう。

何もしないためにどこかへ行く。

いつか本当にそんな旅をしてみたい。


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