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飛行機に乗るのは楽しい。

飛行機に初めて乗ったのは、いつだったか。

今なら子供は親の里帰りとか、旅行とか、それからそうそう、修学旅行なんかでもホイホイ飛行機に乗りまくってるんだろうけど、私が飛行機に初めて乗ったのは大人になってからだった。(注:その後親に確認したら、2歳くらいに乗ったはずだ、ということだが全く記憶にない。ちなみにもっと小さい頃乗った列車の記憶はある。この辺りが乗り物オタとして飛行機オタ成分より鉄オタ成分の方が濃い現状を予測していると思われる)

いずれにしろ、物心ついてからの初飛行機は成人してから。高校の修学旅行は国内で新幹線移動だったし、それまで何より本州から出たことがなかった。

さて、初飛行機は間違いなく羽田―新千歳便。機材は写真やら模型やらで「おお、カッコいい」と見惚れていた今は亡きダッシュ400である。

それにしても飛行機っていうのは想像以上にでかい。普段目にする写真や模型は手のひらの上だし、日常生活で見る実物の飛行機は遥か空の彼方にあり、豆粒なので、実機の大きさなど身の回りのサイズ感の埒外の存在なのだ(現時点の私にとってこれと同趣向のサイズ感に東京スカイツリーがいる)。

まだ飛行機のチケットがあの横長の搭乗券カードだった時代。ポケットにも財布にも収まりが悪くて、受け取ってどこにどうすりゃいいもんかと悩みまくった。

それからまだ羽田も第一ターミナル(ビッグバード)だけだったけど、ターミナルのデカさも想像以上だった。荷物を持ってあっちへうろうろ、こっちへうろうろしているうちに足も腕も肩も疲れてくる。まぁ、羽田のターミナルはあれから第二ターミナルが出来てさらに拡張しまくった挙句、航空会社のターミナルを間違えまくることが私の中で頻発する事態となっており、あのころの第一ターミナルなんて可愛いもんである。

さて、誰かと旅をするならば、何があっても「これどーするんだろうね」「聞いてみよっか」「あ、あっちに○○があるからあそこで聞こっか」と二つの脳と4つの目で乗り切れることが、広いターミナルで大量の人がひしめきあう中、一人だと何をどうしたらいいのかすらわからない。「こんなとこ気慣れているもんね。」とのカッコつけすら通じない世界がそこに在ったのだ。電車はチケットをもって改札に行けばいい。チケットを切ってもらって、該当の列車が止まるホームに上がり、チケットに印字された車両に入って指定された椅子に座る。いや飛行機も基本は同じなんだけど、「チェックイン」という「空港に来ました。これから約束通り乗ります」という意思表示をせねばいけない仕組みになっている。それから列車の場合はえっちらおっちらホームに持って上がった荷物を、空港ではまとめて機体に仕舞ってもらうように預ける。手招きされたカウンターに「よっこらせ」と横の置き場に荷物を載せると、重さが表示されてなんだか自分の体重が晒されているかのような気になって恥かしい。あれこれ質問されて、「ハイ」だの「いいえ」だの答えると、預けたカバンにあちこちべたべた色々なシールが貼り付けられたりタグが結びつけられたりする。

晴れて荷物から解放された私は、ようやく空港内をちょっと見まわす余裕が出てくる。といっても実はターミナルの本体は、保安検査場の向こうに広がるさらに広大なエリアであることを、この時の私はまだ知らなかった。

さて、茶を飲むにも一人、ひとり旅なので土産も必要ないとくれば、ターミナルを見まわしたところで先回りしてやることも何もないことに気づく。新千歳まで1時間半くらいだし、何か食べるなら絶対北海道で食べたい。搭乗開始まで1時間以上あるのだが、とりあえず保安検査場に行く。荷物を預ける際にグランドのおねーさんから「ご出発〇分前には保安検査場を云々」と、言われたのだが、肝心の〇に入る数字を忘れてしまったためでもある。

とりあえずこっちかな?と歩き始めて、保安検査場の前に立つ。持ち込めないものリストがずらずら書いてあり、人が列をなして並んでいる。並んでいたら当然その後ろに並ぶ。時間がたてば列は進む。自分の番になる。「搭乗券をお手元に」と言われて、あの長い搭乗券がリュックカバンの何処に入れたか大慌てで手を突っ込んで引っ張り出す。意気揚々と見せるのだが「こちらの保安検査場ではなく、あの向こうの検査場をお通りください」と拒否られる。つまりターミナルの反対側の端までまた歩いて行け、と言われたのだ。

せっかくここまで並んで、もうちょっとだったのに…と意気消沈し、悄然と長い長いターミナルを歩いて反対側の保安検査場へ向かった。

保安検査場について同じように並び、わたわたしながら搭乗券を取り出し、リュックをコンベアの上に載せろと命じられ、自分の手荷物が丸裸にされる機械を通されていく。この矩形の囲いが噂の金属探知機かと思う間もなく、保安検査員が「あちらの世界」から手招きをするのだ。

音が鳴る。

つまり「おまえの姿かたちは怪しい、これから乗る飛行機に害をあたえる恐れがある」とレッテルを貼られたのである。すぐさま係員がこっちへ来いと誘導され、他の乗客が横目に見る中で体中を触られ(ひー)、手持ちの金属探知機で背中だの尻だのを撫でまわされ、上着脱げ靴を脱げベルト外せポケットの中身を出せと矢継ぎ早に命じてくる。スリッパをはかされ、ベルトを取られたためにちょい大きめのズボンがすり落ちそうになるのを必死で手で引き揚げつつ。もう一度金属探知をくぐれと命じられたので、ぐったりとしながらそれに従う。

音が鳴らない。

どうやらベルトのバックルに反応したようである。端っこの方でずり下がりそうなズボンにベルトを通しながらふと、金属探知機をくぐってくるほかの乗客を見ると、慣れた人はベルトなどすでに外してトレーに載せて入ってくる。なるへそ、いかに迅速にこの不快な検査を潜り抜けるかの知恵は、経験によっても変わってくるのだな。

やれやれ見事保安検査場を抜けると、そこには警察官が立って保安検査場から流れ出てくる乗客一人一人に目を光らせているではないか。てことは、オレのあのみっともない姿も真っ先に「怪しいやつ」としてマークされていたのだろうか?と思ってしまう。

警察官の横にはあの「ザベストテン」で見たものよりもっと巨大な「パタパタ」があって、その中から自分が乗る飛行機を探して、搭乗口番号を見つけ出す。番号はわかったが、示された番号がありえない数なんである。羽田にはそんなアホみたいな数の搭乗口があるんだろうか?と思った瞬間である。

出発ロビー内にはあのテレビでよく見る「動く歩道」があるのだが、その理由もすぐにわかった。頭上の行灯型サインに搭乗口番号がいくつもいくつも表示されているのだが、遠い数字には距離が書かれてあってそれがもう建物の中の数字ではありえないような距離が書かれているのだ(数年前だったか羽田で〇番搭乗口まで900mだかの数字を見た時は、もはや笑いしか出なかった)。

行けども行けども搭乗口が見えない。はるか向こうまで続く途切れがない人々のあいだ間をスタッフが縫うように駆け抜けていく。空港はいつ来てもいつ行っても「非日常」の世界であることがこの時から今も体感として続いている。

目出度く搭乗口を見つけるも、ゲートが開くまでもうしばらくある。すでに多数の乗客は搭乗口近辺の椅子を占拠しており、出遅れた乗客はぐったりした顔でぼんやりと搭乗口を見つめて立ち尽くしていたり、搭乗口が見える壁際の位置でしゃがんでいたりしていた。

一人分の空いた椅子を見つけても、人をかき分けて座りに行く気にはならず、ほとんど人が立っていないトイレの横に陣取って搭乗口を見ていることにした。

ところで今でもそうなのだが、空港は情報が一気に流れ込んでくるのでASDにとってはわかりづらいことが多い。目的のゲートだけではなく近傍のいくつかのゲートが搭乗開始までの案内がほぼ同じ音量で流れきたり、他の呼び出しが重なったりでとにかく神経が磨り減る場所なんである。

「お客様への機内へのご案内時刻は〇時〇分ごろを予定しております」

・・・ちょっと離れていたせいか肝心の時間が聞き取れなかった。この場をちょっとでも離れていいもんだか、じっと待ち続けた方がいいのか判断できないではないか。

それから何分かして、搭乗口の向こうでスタッフたちに動きがあり、その動きを認めるかのように、搭乗口の周辺の椅子に陣取っていた乗客たちがざわざわと動き始めた。我先に搭乗口の前に3列ほどの列を作って並び始めたのである。おおようやく機内の人になれるのか、と思ったのもつかの間、さすが機材はダッシュ400である。しかも新千歳行き。いるわいるわ乗客の数。慌ててトイレの壁際から離れて、並びの後ろ3分の1あたりの位置に並んだんである。

さて、飛行機はこの大量の人間をできるだけ効率よく時間内に飛行機内に押し込まなければならない。そのために飛行機の座席位置ごとにブロックに分けて乗せるのである(ところでお子様連れや体の不自由な方以外、それを無視できる優先搭乗権を持っているあの人たちは一体どういった人たちなんだろう)。機体後方窓側席であるにもかかわらず、正当な位置に並んでいなかった私は、途中で列を外れて横入りせざるを得なくなってしまった。

搭乗口では自動改札機みたいな機械の横でグランドのおねーさんが「いってらっしゃいませ」とほほ笑んでくれる。しかも自分で差し込んだ搭乗券の出てきた半券を受け渡してくれるのだ。ボーディングブリッジを歩くと途中で二股に分かれている。お金をたくさん払うと、前の方のブリッジから乗れるのだ(払った分の差額が、お弁当とちょっと座り心地が良い椅子、ということが1時間半のフライトに見合うかどうか、当時の自分は良く考えず単純に羨ましいとしか思わなかった)。

ボーディングブリッジから直接機体に入るため、ダッシュ400の外見的デカさは実感できなかったが、中に入ると本当に広い。機体の後ろのほうも遥か向こうである。自分の座席の数字はまだまだはるか先である。途中、止まったり、座席上のハットラックに荷物を入れるのに夢中な人の、通路に突き出た尻を避けてなんとか後方の自席を見つけた。

後ろから人が迫っているので、ハットラックにリュックを上げる勇気が出ず、そのまま窓際の席に滑り込んだ。すると隣の人が続くように滑りこんできたため、窓際の私は物理位置的に永遠にハットラックを利用できる機会を失ったのである。仕方なくリュックを足元において着席し、ベルトを締める。結構ゆるゆるなんだが大丈夫かな?と思って端を引っ張ったら、思ったよりスムーズに体に密着できる長さに調整できた。ただ車のベルトと違い、外す用のボタンがついていない。これどう外すんだろう?と思って眺めていたがわからない。バックルをひねった途端、偶然かけた指でバックル部分が持ち上がり、ベルトはスッとほどけた。

 座席の前ポケットには当時はまだただの「聴診器の聴診する肝心の部分がないもの」だったイヤホンと、雑誌、安全の栞が入っている。今でこそ飛行機のオーディオの音質はイヤホンジャックで向上しているが、当時はただの伝声管だったので、実は自分の耳にはあっていた(飛行機のプログラムきっかけで好きになった曲とかがいくつかある)。

ざわついた機内が次第にそれぞれの位置に収まっていくと、CAさん(当時はスチュワーデスさん)がやさしく微笑みながら「おまえら安全運航に協力しろよ」と威圧して回る。通路から窓際まで二人の人を挟んだ距離にいるにもかかわらず、ハットラックに入れそこなって足元にリュックを置いた私はすぐさま見とがめられた。「お客様、前の椅子の下か、上の物入れをご利用くださいませ」、いまさら隣の二人を除けて物入に入れる気にもならず、前の座席のしたに自分の足で押し込んだ。

さて、500人余りを乗せた夏の北海道行き飛行機である。大半は北海道の涼に期待に胸ふくらませ、暑苦しい都内を脱出しようとする人たちが多かったことだろう。500人も乗っていれば、密閉された機内、その熱気にムンムンである。

さすがに満員だと暑いんだな。

と、思ってにじみ出た汗を拭いた。ドアクローズの機内放送があって、客室乗務員はドアモードの変更指示が出されていた。ドラマで見たように、CAさんたちは親指を立てて合図し、ふた度忙しそうに機内を歩き回り出した。

5分、10分…飛行機が動く気配はない。

真夏の都内、日をさえぎる物がない羽田空港、満員の機内は実に暑い。

「なにか・・暑いですよね」

お隣の乗客が私に話しかけてきた。自分だけの感覚であるか確認したかったのだろう。

「暑いですよね。やっぱり。」

エアコンがあまり効いていないようである。どうやらCAさんにも少なくない乗客からクレームが出始めたようである。

10分、15分…飛行機がようやくバックし始めた。

やれやれようやく飛ぶのかーと思ったとたん、少しバックした飛行機そこでまた止まった。

15分、20分…機内の温度がだんだんと高くなっている気がする。

こうなると客席のあちこちから「暑い」というつぶやきがさざ波のように広がっていた。その上、飛行機は飛ぶ気配が一向にない。

私は暑いながらも動かない景色をそれなりに楽しんでいた。こういう位置から空港を眺めるのは初めての経験である。いろいろな特殊な車が行きかい、つなぎを来た職員が猛暑の空港内で颯爽と働いている。隣の飛行機と地上にいる職員と対比で、飛行機が実に巨大なものだと改めてわかった。

そんなところへ天井から機長の声が降ってきた。

「機材の故障により本機での運行が困難となりました。お急ぎのところ大変申し訳ございませんが、いったん降機していいただき、あらためて機材繰りをいたしましたあと、新千歳へご案内いたします」

記憶では、多分不満の声はあったのだろうが、CAに詰め寄るとか、ドラマでよく見るように「俺は急いでるんだ、このまま飛ばせ」的な無茶を言う乗客はいなかったと記憶している。

とにかく私はプライベート独り旅で急ぐ旅ではなかったし、退屈な時間が伸びたに過ぎない。それよりもこの蒸し暑い機内から解放されることの方が嬉しかった記憶がある。

ようやく収めた荷物をまたざわざわ取り出して、乗客たちは降りて行った。CAは搭乗口の前で列をなして、実に申し訳なさそうな眉を作って「申し訳ございません」と頭を下げていた。

ボーディングブリッジを二たび辿り、搭乗ゲートの前にもグランドスタッフが一列にならんで「お急ぎのところ誠に申し訳ございません、〇番ゲートに変更いたしますので、そちらのゲート前でしばらくお待ちください」とCAと同じような眉を作って頭を下げて案内に奔走していた。

こうして初めての飛行機は、「機材トラブルによる著しい遅延」という珍事で幕を開けた。

とにかく飛行機は乗ってしまえば早いのだが、乗るまでの苦労と乗った後にも何が起こるかわからないスリルがある、これは今でも変わらない飛行機の印象である。




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